種子島

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日本に鉄砲が伝来したのは1543年、種子島。嵐に遭って漂着していた船には明(中国)とポルトガル人商人が乗っていた。嵐の後の浜で巨大な船を発見した村の地頭が筆談でやりとりをし、水や食料を求めた彼らを島の領主 種子島時尭の屋敷へと連れて行った。初めて鉄砲を見た彼は、その場で自分で鉄砲を撃ってみてその有用さを理解した。
この話を自分が初めて知ったのは小学校の時に読んだ「まんが日本の歴史」。小学校の教科書にも載るくらいの、たぶん日本人のほとんどが知っている話。でも知れば知るほど、それは偶然と必然が混じったすごい話であることが分かる。

当時の日本は戦国時代初期。日本の各地で群雄割拠。幕府・中央政権の権威が弱まり国中が混乱していた。こんな日本の僻地(失礼)、片田舎の村で、明の商人と筆談出来る能力を持つ人物が居たのだ。彼らは中国人とやりとりをする為に漢文を学んでいたのではない。そもそも中国人と遭遇することはまず無いからだ。現代の自分達が外国人と意思疎通をとる為に英語を学ぶのとは意味が違う。
そこに突如現れたヨーロッパ人が持っていた鉄砲を見て、それがすごいものであると彼が見抜いたことから、日本の歴史は大きく動いていく。
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次に会った種子島時尭も凄い。まず驚く点は当時16歳だったこと。そしてその若い彼が今まで見たことも無い明(中国)やポルトガル人(何度も書くがいきなり現れた異邦人)とちゃんと応対したことだ。かなり聡明な人物だったはずだ。田舎に住む16歳の男の子がだ。
当時難破した船は襲われるのが常だった。国際法なんて無い。船の積荷は天からの恵み物なのだ。
彼がそこで「全員皆殺しにしろ」と一言言っていたらその後の日本はどうなっていたのだろうか。
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彼はポルトガル人から2丁の火縄銃を貰う。いや火縄銃なんて言葉は無かった。その後に出来た言葉だ。すぐに鍛冶師にこれと同じものをつくらせた。
この時この鍛冶師は日本で初めて"ネジの仕組み"を知る。蓋を何度たたいても開かない。かなりの時間をかけてある事に気付く。「回せば簡単に開くじゃないか、そしてまた反対方向に回せばまたしっかりと閉まるじゃないか!」
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この時に会ったポルトガル人はアユタヤ(タイ)から明への渡航中だった。鉄砲はヨーロッパからアフリカ・モザンビークやゴア(インド)、マラッカ(マレー)、マカオなどを経てやって来た。もちろんそれぞれの土地に住む者は鉄砲を目にしている。でもそこで鉄砲を自分で作ったものは居ない。日本人だけが成し遂げたのだ。
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それからわずか数十年後。日本は鉄砲の大生産国になる。戦国時代末期には日本から大量の武器が各国に輸出されて、世界の歴史を変えていく。
種子島の浜にポルトガル人の乗った中国船が漂着したのは偶然だが、鉄砲の普及は当時の日本人が知識欲を持っていたからで、必然だった。

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