4月13日の夕刊5面の片隅に有った記事。


ブータンを"有名"にしたのはこの人だろう。マッキンゼーから一年間ブータン政府に"転職"、国民総幸福量委員会(GNH commission)、ブータン政府観光局に在籍、ブータン首相フェローだった御手洗さん。まだ20代の女の子。

昨年からの日経ビジネスでのブータン日記の連載、twitterでの日常のつぶやきを、自分は楽しみにしていた。「きれるブータン人」の話など、自分の勝手に想像するブータン人とは違う一面などの話は興味深く読んだ。

今年になってブータンへの空路(バンコクで同日乗継できるようになったり)が便利になり、旅行目的地としての人気が高まっている。元々は外国人の入国者数を制限するような国で、10年前のバックパッカーなら「憧れだが金もかかる国」だったのに、最近は複数の知人が旅行に訪れている。些細なことだが"仕掛けている人"が居るような気がしていた。

先週ブータン国王夫妻が来日して話題になった。日本での知名度も急上昇したのだが、国王に先んじてブータン首相が来日して福島県相馬市を訪れていたのを知る人は、国王来日に比較すると少ない。ブータン首相・国王が訪問地として(他の被災地ではなく)福島県相馬市を選んだ理由は「風評被害をなくすために、原発近くの被災地に行くことが重要だから」という事だったが、そのような情報はこの御手洗さんが流したのだと思っている。もちろんその決定権は首相や国王に有るのだろうが、その戦略の策定に関わったのはこの優秀な一日本人なのだろう、この人はこれから将来どんな人になるんだろう、と先週のニュースを見て思った。

twitterでのつぶやきでは「ブータン人の用の足し方」が秀逸だった
ちはるちゃんの四十九日が過ぎた。
ニュースで突然の事件を知ってからの数日間、葬儀や偲ぶ会で彼女のこれまでの生き方を知ることが出来た。今回の事件は「残念」としか言いようが無い。

彼女が看護士ということは知っていたが、休みが取りやすいということくらいしか、それ以上のことはこれまで自分は気にしていなかった。

大学では国際関係学部だったこと、途上国のことなどに興味が有り、具体的にその事(支援など)と関われる仕事として看護士という職業を選んだこと。
大学を出た後に看護学校に入った後、がんセンターで働き始めたこと。
がんセンターでも組合の委員として活動していたこと。
休みが取れるたびに海外、発展途上国ばかりを行っていたこと。

そのような国への旅の方が、現地の人と触れ合う機会が多くて"面白い"からだろう。
今回の事件はそれが仇となったのが、本当に残念でならない。

葬儀ではこれまでの彼女の旅の写真の一部が展示されていた。
エジプト、ペルー、今回のミャンマーのものが多い。今回の旅の写真も多く有る。
雄大な夕陽、僧侶、笑顔の子供。

現地の人達と一緒に笑顔で写っていた彼女の写真を見て、彼女の笑顔が、日本のイメージアップに貢献しているのを改めて感じた。国際交流には物的な支援だけが重要なのではない。彼女のような旅人が増えてこそ、その国と日本との交流が深まる。


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彼女と最初に会ったのは4年前の秋。ビックサイトでの旅行博の日の夜だった。"面白い旅人と食事するから"とsunnyさんに誘われて渋谷の火鍋屋でおくだかおりさんと出会った時だ。少し遅れてかおりさんの友達である、ちはるちゃんはやって来た。その時にどんな話をしたかは思い出せない。まさかこの歳で亡くなるとは思わなかった。渋谷駅まで歩いて帰った淡い記憶。

その後はかおりさんの講演会の時などで会った。いつも彼女は"なぜか"受付をしていた。旅人を惹きつける何とも言えないオーラを持つかおりさんと、どこか不思議な雰囲気のちはるちゃん。誰からも親しみやすい雰囲気の二人。
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今回の事件を自分が知ったのは9月29日の夜22時ごろ、ネットで偶然見かけたニュースだった。
「ミャンマーで観光の邦人女性殺害 バイクタクシーの運転手逮捕」
彼女がミャンマーに行っていることは知らなかったが、ミャンマーへの単独旅行者で静岡県の30歳女性...。共通の知人に電話をする。誰もが驚くが、彼女の実家の電話番号・住所は誰も知らず確かめる術が無い。

23時過ぎ、かおりさんからのメールで事実だと知る。成田に帰国するちはるちゃんと東京で待ち合わせをしていた事、昔何かの機会で彼女の実家の電話番号を聞いていた事で、実家に電話をすることが出来、外務省からその日(29日)の朝に本人確認の電話が有ったことが分かった。

その日はネットでニュースの続報を探すことしか、自分には出来なかった。

翌日、彼女の家族と電話で話した。旅行会社/航空会社/保険に入っているかどうかすらまだ分かっていないという状況を知り、タイ航空などに確認の電話をする。自分の行動で、彼女が日本に帰国する時間を少しでも早めることに協力できたのならば嬉しい。

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10月5日、葬儀の前に実家に伺った。納棺されたばかりの、棺に横たわる彼女と会った。かおりさんが「中西君が来たよ」と声をかけるが、ちはるちゃんは反応は無く、苦しそうな顔で、自分は何も言うことが出来なかった。寿命を全うした安らかな死ではない。首を絞められ突然自分の身に降りかかった死。無念さを隠すことが出来ない顔だった。

葬儀は非常に多くの人が参列していて、誰からも好かれていた彼女のこれまでの生き方が分かるものだった。
これまでに彼女の撮った旅の写真。ミスチルの歌。水タバコなどの遺品。
幼馴染の男の子、ちはるさん、弟の3人の弔辞。

皆が泣き、彼女が多くの人から親しまれていたのが分かった。見知らぬ人から「この会場から人がこんなにあふれる式は滅多に無いのよ」という話を聞いた。

荼毘に付した後、初七日の法要まで、厚かましくも参加させてもらった。初七日の法要を葬儀と一緒に行ったのは便宜上の理由ではない。事件の日からちょうど7日経っていた事を知る。ただパガンからさらに奥地の村から首都ヤンゴンまで数百kmの陸路、そして飛行機をバンコクで乗継いで静岡まで、初七日に間に合ったことは良とすべきなのか。彼女を迎えに現地まで行くかどうかの問いに「行ってもよいし、行きたくないわけではない。ただ少しでも早く日本に連れて帰れるほうが良い。自分が行くことで帰国が遅くなるようなら行かない」と言った家族の心中を考えた。


火葬場で待っている間、そして厚かましくも参加した通夜振る舞いの席で、彼女の高校や大学時代の同級生、親族の方などから色々な話を聞いた。もちろんみんな初対面なのだがお酒も入ったこともあり、色々な話をした。初対面ゆえに逆に彼女の交友の広さを知り、その人達の話し振りから彼女が親しまれていたことを実感した。また、その人達~普段接している人達を見る事で、その人の人格も知ることが出来る。

今回の件で思う事はまだまだ多くあるが、今の気持ちを忘れないように、感情を加えないで、起こった出来事だけをここに記す。
2004年夏。自分は車で千葉から、ユーラシア最西端のロカ岬まで自家用車で旅をした。
シベリアを通ってユーラシア大陸を単独自走横断したのは、自分が世界で初めてだ(と思っている)。

今週、僕のサイトを見た人から1通のメールをもらった。なんとその人は2003年の夏にほぼ同じルートを走り、そして先々週、2011年11月11日にその旅のことを書いた本を出版していた。

『週刊プレイボーイ』『Number』『NAVI』などに寄稿しているという。

サイトは正直言って、非常に面白い!そしてこの本の予告ムービーを観て、自分はもう何と言ってよいか衝撃を受けた。自分が遭ったのと同じ体験をしていることに。そして車も自分と全く同じ"カルディナ" !!。

この映像を観てホッとしたことが有る。この人には同行者が居る。そして途中、鉄道とフェリーを利用していることだ。2003年にはまだシベリア横断道路が完成していなかった為に、未開通区間は車を貨物列車に載せて運んでいる(シベリア鉄道は戦前に開通しているのに、道路が全通したのは2004年なのだ)。

初めて単独で"自走走行"したのは自分だということは変わりが無いことに安堵した。他の人にはどうでもよいことだし、小市民的なことなのだが、自分にとっては重要なのだ。
(厳密にはヒッチハイカーや、ラストでM上さんを乗せているので"単独"ではないのだが)

この予告ムービーを観て、自分の旅を思い返した。
この旅は自分を強くした。孤独、毎日次々と起こるトラブル、そして先が読めない不安。ロシアに到着した時点からいったいどのような手続きをしたら良いか分からなかったし、言葉も通じない。銃に撃たれ、大自然の中で道に迷い...と言うか最初から地図すらなかったので、道を間違っているのかどうかすら分からない状態の日々。

自分は単独で行ったために、この人のように動画はない。旅人がほとんど居ないエリアの写真は、ネットを探してもほとんどみつからない。サイトをざっと読んだだけだが、この人は自分と同じ体験をしている。の度重なる故障、パンク。泥棒。マフィア(?)と検問所での警官への賄賂。各国での通関、ペーパーワーク。
早くこの本を読まなくては。

興奮している今の状態を、この人に習ってとりあえず文章にしてみた。
自分は文章化しないからダメなのだ...

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p.s.このルートで旅をするのは"カルディナ"がベストなのだ。車に詳しい本職の人と、自分が同じ選択をしたという事が非常に面白い。悪路なので四駆であることは当然として、故障の際の部品交換の必要性から汎用性が高い車種。壊れにくい日本車。ヨーロッパにもディーラーの多いトヨタ。そして失敗(?)したときに諦められるような安い車...金子さんも同じ理由なのかは分からないが。
情報雑誌「ぴあ」が、今日発売の号を持って廃刊となる。
自分が「ぴあ」を初めて読んだのは恐らく小学校高学年か中学生の時で、従兄弟の家でだった。
上の従兄弟は自分と歳がたしか6年くらい離れていて、当然自分よりも情報が早い。
その家に行くと漫画がたくさん置いてあり、小さな頃は羨ましかったものだ。

そこで「ぴあ」を初めて観たのだが、その情報量に自分は興味を持った。たぶん今よりも小さな字でぎっしりと演劇や映画の情報が載っていた。インタビュー記事などより、いつどこで何が行われるかといった情報の掲載に重点が置かれていた。

滋賀県の田舎で観劇など行ったこともなく、映画館すらない街に住んでいたのになぜ興味を持ったのかは分からない。写真も少ない文字ばっかりの雑誌から"文化の香り"が出ていたのだろうか。

本編記事(というか情報の羅列)の横に、読者からの投稿を掲載する、はみだしコラムの欄が有った。秀逸なものが多かったはずだ。今となっては内容は覚えていないが、読みふけったのは覚えている。



...と書いておいてナンだが、自分は雑誌"ぴあ"を買うことはなかった。
京都や大阪などの都会へ、何かを"これが観たい"という自分の意思で行くことがなかったからだ。(ゴメンナサイ。本当に一度も自分のお金で買ったことないんです...いまだに...)

そんな自分が、高校を出て大阪で一人暮らしを始めたときに「ぴあマップ」を買った。ただの地図ではない。エンターテイメントや飲食店情報という、 "ある目的"を持って書かれた地図というものは、その時代には「ぴあマップ」しかなかったのだ。インターネットの無い時代に"情報"に目をつけた「ぴあ」 はスゴイと思う。
(「ぴあマップ」はその後何年か愛用した。東京に来てからも購入した)


社会人になり「ぴあ」の創業時、拡大期について書かれた記事を読んだ。たぶん日経の「文化」欄。そのエピソードが面白く、興味を惹きつけられた。

社長である矢内氏は大学時代に映画が好きだったが、当時どこでいつ何の映画をやるかと言うのはその映画館に行かないと分からない。毎日のように映 画を観に行っていた彼は自分の足で得た情報を紙にまとめて週刊で(?)知人などに配布した。その情報誌(?)は好評で、大学生の彼はこれを売ろうと考え た。
素人大学生が創った雑誌は出版流通ルートに乗せてもらえない。彼は書店を当たって、了承を得られた書店に並べてもらう。これがその後のサクセスストーリの始まりだった。
"学生ベンチャー"のハシリである彼の行動力、目の付け所の良さ。

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その映画情報は東京だけでなく地方にも広がり、田舎に居た自分の所にまで届いた。どんなに素晴らしいもの(映画だけでなく音楽でも何でも良い)も、その存在を伝えるモノが無くては広がらない。

所謂"ヨイショ記事"ばかりの雑誌ではなかったのが良かったのかもしれない。雑誌"ぴあ"に載っていたのは、"面白いよ"といった主観的な記事ではない。 客観的コメントでもない...もっと単純な「7月20日11時よりABC映画館1300円」といった情報。でも、それが"文化を広める"のに役立ったのだ。

シンプルな編集方針に徹するのは簡単なようで難しいのかもしれない。
ライバル誌は現れたが、最後まで生き残ったのは"ぴあ"だったのだから。真似をしようとして簡単に出来るものではないのだ。

だが、即効性・検索性にも優れたインターネットの普及で、このような情報は雑誌で得るものではなくなってしまった。

さようなら、今までサンキュー、「ぴあ」。



ぴあ39年の歴史に幕

ぴあ最終号特設サイト「39ぴあ」
http://39.pia.co.jp/



蛇足だが、ぴあ創業者の矢内氏が表紙の雑誌に、僕のことも小さく載ったことがある。
"チケットぴあ"がサイトを創ったばかりの頃。
あれから10年...自分は成長していない...
そこに掲載された何社かはもう消え去っている。やはり"ぴあ"はスゴイ。
日経ネットブレイン2000年9月


これを書いているときに、ぴあの今年の新入社員入社式でのスピーチをネットで見つけた。 これまでの話がまとめられていて興味深い。
ぴあメッセージ
被災地へボランティアに向かう知人達の報告を聞くだけで、自分は温泉に泊まりに行くだけ。
こんな自分が何かを言うのは、おこがましいのは分かっているのだが...


UK Foreign Office Minister(イギリス外務省の大臣。≠外務大臣。どう違うのか分からない)が地震から4ヶ月経った昨日、石巻市を訪問した。だが、石巻市長とボランティアの炊き出しの視察をしているちょうどその時、震度4の地震が発生した。

津波の可能性が有るので高台に避難した、たぶん地震を体験したことのない彼が、その時の様子を自分の言葉で語っている。

スーツでもわざとらしい防災服でもない、いかにも普段着で映像に映る彼は見た目はとても大英帝国の国務大臣とは思えない。ただ、率直に述べるコメントがなかなか良い。日本人にあてたコメントなんだろうが、他国の人、もちろん自国民に対しても"イギリスの良心"をアピールすることが出来る内容。全然小難しいスピーチではなく。

これをYouTubeにアップしたのは在日イギリス大使館だ。さすが、世界にアピールする術を心得ているなと感心した...と書こうと思ったのだが再生回数たったの103回(笑)。たぶん僕3回くらい観た。全然世界にアピールできてない(笑)。なので微力ながらちょっと宣伝してみる。


2011年6月14日/日経夕刊5面

記事を読みすぐに、頭にうかんだ人が居る。高校の同級生であるIさん(匿名にするだけ無駄なのだが...)のお母さんである池田喜久子さんだ(...と書いたが、僕と直接の面識は無い)。

永源寺町の池田牧場と言えばジェラートで有名で、週末は山村の一本道(本当にすごい山奥)に、池田牧場に向かう車の行列が出来る。ガイドブックなどにも必ず採り上げられる有名店だ。

酪農の三方よしで、生産者と消費者をつなぎ、農と食の大切さを発信
http://www.shigaplaza.or.jp/sanpou/practic_co/13.html

だが池田牧場でジェラートを売り始めたのはそんなに昔ではない。池田喜久子さんは今から約10年前、ジェラート作りを学ぶためにイタリアに渡った。僕の同級生の母親だから、僕の母と同年代だ(たぶん)。子育てが終わった40代後半で新規事業を起こしたチャレンジ精神、イタリアにまで行く行動力には感服する。もちろん、事業を軌道に乗せたアイデアと努力にもだ。"趣味が昂じて"ではない。事業の投資額はかなり大きいはずだ。

現在は牧場横でジェラートを売るだけでなく、古民家を移築して使用している農家レストランも経営している。ジェラートの通信販売も好調だ(と思う)。滋賀県の山村(くどいが本当にすごい山奥なのだ)に産業を興して雇用を産み出しているのだから周囲に与える影響は大きい。金銭的なことだけでなく、前向きな気持ちにさせる効用も。

2年前の夏休みに帰省した際に、高校の同級生(道明・大久保)と訪れた。ジェラート売り場の横のゆっくりとした雰囲気の農家で鹿・川魚(たぶん岩魚)を使ったコース料理を食べた。この事業は何か目新しい奇策で大きくなったのではない。正攻法で着実に客を増やしている。色々と参考にしたいといったことを男3人で話をした。

池田牧場http://www.ikeboku.com/
松本復興大臣の辞任劇がマスコミを賑わして、陰が薄くなったが、細野豪志氏が原発担当大臣に就任した。
これまで首相補佐官だったために、そして山本モナとの騒動で、多少名前は売れてきているがまだ39歳。

出身は滋賀県近江八幡市。
兄弟社中学、彦根東高校、京都大学、三和総研と、滋賀県人が見ればすぐ分かる分かりやすいエリートコースを登ってきた。そして28歳のときに脱サラ。縁もゆかりもない、地盤も無い静岡県で国会議員に立候補、当選。

心配なのはその登り方が急すぎることだ。
30歳代の大臣は戦後5人目だそうだ。
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C889DE1E3E5E6E2E0EAE2E2E4E2E5E0E2E3E39C9C9AE2E2E2
これまで30代で大臣になったのは田中角栄/船田元/野田聖子/小渕裕子という変わった面々。
この4人と大きく違うのは、彼(細野豪志)は一サラリーマンから国会議員になったことだ(親兄弟にも政治家は居ない)。

今回大臣になったのは、実力があることだけが理由ではない。
任務遂行(=原発問題解決)が困難で、誰も成り手が居ないのが理由ではないだろうか。

自分と4歳しか違わない人がこの国家一大事の責任を負っているのが、普通に考えると信じられない。就任早々、何も行っていない時点で早速ケチがついているくらいだ。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110629ddm005010108000c.html

そしてまた信じられないことに今回の大臣は、「消費者および食品安全の特命大臣」兼任ということだ。もう、これは世間の批難を「あなた一人が受け 止めなさい」と、尻尾切りに使われたような気がして心配で成らない。いや、まぁ僕なんかが心配することでもないのは分かっているが。

まぁここは名前を挙げるチャンス、無事に解決(そんなこと可能なのか?)したら歴史に残る人物と成るだろう。批難するのは簡単だが、では誰がこの大役をこなせるかと言うと誰も名前が出ない。誰かにがんばってもらうしかない。

p.s.彼自身とは関係ない理由で短命になるような気がするが...
2011年6月18日 日本経済新聞夕刊1面


最近、一人で旅行に行く気が起こらない。学生時代はよく一人で旅に出たものだが。その頃の自分も周囲から見れば"淋しい人"(←普通は"寂しい人"と表記すると思うのだが、どのような意図が有るのだろうか?)だったのだろう。

価値観は人によって異なるということは誰でも理解しているつもりなのだろうが、絶えず意識している人は少ない。

大多数の人とは異なる人、自分には持っている何かを持っていない人をかわいそう、"淋しい人"と断じるのは簡単だが、実はその多数派の方がサビシイのかもしれない。

結婚しない人or子供の居ない人、金銭的に貧しい人、何でも良い。"かわいそう"と決め付けていないか。実はその人は自分では不幸とは思っていないかもしれない。少なくとも"今、その時点"では。

鮒鮨(鮒寿司、ふなずし)の名前を聞いたことが有る人は多い。その鮒寿司が滋賀県の名産であることも多くの人が知っている。しかし意外なことにそれを食べた事の有る人は、滋賀県以外ではほとんど居ない。

そして食べたことが無いのに「鮒寿司は臭い」ということは知られていたりする。

その断片的な知識だけのために、誤解が生まれるのだろう。

この記事のように、鮒寿司は"つまみ"である、握り寿司のように"主食ではない"、そして"おかずでもない"ことを予め知っていたら、もし鮒寿司を口にする機会を幸運にも得た人は抵抗なく食べれるのかもしれない。

チーズなのだ。メインのおかずではない、主食でもない、調味料とも違う。

フランス料理を食べた後に「フロマージュはいかがですか?」と尋ねられるように、料亭で焼物・ご飯など食べ終わった後、デザートの前に、鮒寿司が一切れでたらオサレだと思うし、都会の人も受け入れると思う。

今週は少し時間が楽になり、早めに仕事場を出て帰宅途中にスーパーに寄る。今週は外食ばかりだったので、外食っぽくないもの、家庭的なものを食べたいと思った。
夜10時前で弁当などが安くなっているが、こんなものを買いに来たのではない。生鮮品売り場に行く。

安い。
千葉県産 ほうれん草 2束で60~80円
茨城県産 ブロッコリー 50円
茨城県産 チンゲン菜 20円

弊店間際で安くなっているのだろうが、元値も安いような気がする。

その日の夕食は
・ハマグリの吸い物 (千葉県産ハマグリ8個で120円)
・巻貝の煮付け (千葉県産 10個くらい80円)
・アユのホイル焼き(静岡養殖120円)
・ブロッコリーをゆでる

まぁこんなものか。安いものばかり買ったつもりだが、合計での値段は普通だな。主婦の道は遠い。

北関東産の食べ物が安いのは風評被害なのだろうか。風評被害だとすれば(僕は)有利な買い物をしたということになる。しかしもしかしたら健康被害が後に出るのだろうか。それならこれは割りと高い買い物になってしまう。

福島県の米作農家の人の話が日経に載っていた。
「(米を)何年も継続して買ってくれていた(都市部の)人から、たった1枚のFAXで契約を打ち切られた。うちの米が怖いんだとよ。地震前の去年の秋に収穫されたものなのにな。これが風評被害ってやつだな」
関係ないが、和歌山県の梅 100円でこれだけ買える。梅酒でもつくろうかな。


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