055江戸中期の最近のブログ記事

「冬の鷹」吉村昭

日本初のオランダ語翻訳書 "解体新書"を著した前野良沢杉田玄白の後半生を記す。
二人の性格の違いが分かり面白い。記録文学(?)の吉村昭の本領発揮。

オランダ語を理解していたのは前野良沢であって、杉田玄白や中川淳庵は応援役(?)でしかなかったこと、だが杉田のサポートが無ければ出版するところまでは辿り着けなかったであろうこと、解体新書には前野良沢の名前は記されていないことなどを今回初めて知った。

人嫌いで孤独な学究肌の前野、人付き合いがうまい杉田。目的を同じとする時期(翻訳中)は仲良くするが、出版後は全く別の道を歩む。前野は引きこもりで貧しく蘭学者として一生を過ごし、杉田は金銭と名誉を得て有名医者となる。二人とも80歳以上も長生きし、30年後に長寿を祝う集いで再会する。現代にも通じる何かが有るようで興味深い。彼らがオランダ語習得を始めるのは40歳を過ぎてからというのも重要だ(当時の平均寿命は50歳)。

"解體新書"について初めて知ったのは「まんが日本の歴史」で、小学校の高学年の時。杉田玄白がオランダ語の原書「ターヘル・アナトミア」を翻訳する有名なシーン。「鼻はフルヘッヘンドである」のフルヘッヘンドの意味が分からず悩む場面。

フルへッヘンドという単語が出てくる文章は他は「落葉を集めるとフルヘッヘンドである」という文章のみ。そこからフルヘッヘンドとは"うず高い状態"を表すと、杉田玄白は推測する。小学生の時には自分はその翻訳のすごさに気付かなかった。


江戸の一医者だった前野良沢がどうやってオランダ語を訳すか。通詞を通して辞典(もちろん蘭日辞典ではなく、蘭蘭辞典)を入手し、パズルを解くように一単語づつ日本語に訳す気の遠くなる作業。

Tafel Anatomie原書がなんとネットで観れる!(さすが慶応大学)
1.最初に絵を探す。291ページ目に有る絵に、人間の頭の上に「A」と符号が打ってある。
2.次に「A」の符号に対しての説明文を探す。
3.その文中の単語を1個づつ蘭蘭辞典で探す(その文章は頭について記述してあると推測される)。
4.その単語について辞典に書かれている説明文に出てくる単語を1個づつピックアップする。
5.その単語が、他に別の文章で使われていないか探す。
6.その単語が出てくる箇所を見比べて、その単語の意味を推測する。
という作業の繰り返し。

アルファベットも知らないところから医学書を訳すのだからすごい。
大文字/小文字から始め、筆記体は日本語の楷書と行書の違いだと知る。文法も日本語と違い述語が目的語より前に来る事(SV,SVO型)を漢語と同じであることと見抜く。

現代の語学の勉強にも通じることだが、何事も興味を持って打ち込むことが重要であることに気付かされた。

江戸時代のオランダ語通詞は、文章を書けず簡単な会話しか出来なかたことも興味深い。オランダ語を教育する機関も無く、通詞は世襲で代々親から子に伝えていたということ。実用に適さない(全く能力の無い人)はさすがに役から外されるからで、能力主義だったこととか。



(脱線1)
フルへッヘンドの話は創作で有ることも今回初めて知った。ターヘルアナトミアの鼻についての記述には、フルヘッヘン(verheven)は出てこない。この逸話は杉田が解体新書発行20年後に「蘭学事始」で書いたことで、吉村昭はこのことから、名声を得た杉田はオランダ語に対する情熱を失った現れであると推測している。

ただ、自分はうまく言えないが少し違うように感じる。過去の栄光に対する意識の美化...と言うか。誰しもに同様なことは起こりうると思うのだが。


(脱線2)
前野良沢は九州中津藩医師。杉田玄白と中川淳庵は越前若狭藩医師(二人は先輩/後輩)。解体新書の挿絵を書いた小野田直武は秋田角館藩武士。良沢に弟子入りする大槻玄沢は奥州一関の在野の一学者。
江戸時代の地方のレベルの高さに驚かされる。



(脱線3)
大学生時代、京都で待ち合わせに良く使っていた三条駅前に有る「土下座像」。高山彦九郎は勤皇思想の持ち主ということで、幕末の人物かと思っていた。
前野良沢と仲が良く、幕府の刺客から狙われる高山を前野一家が支援していたことなどの繋がりが有ったとは驚き。
これは吉村昭が気付いた事なのだろうか?



(脱線4)
"こち亀"で、両さんが杉田玄白の似顔絵を書く場面が有ったはずだが...さて、何巻だっただろう。

「嗤う伊右衛門」
京極夏彦

中央公論社
1997年6月10日


誰でも知っている話(四谷怪談)を、ここまで変えられるか。巧い。

「大江戸ゴミ戦争」(杉本苑子)

1994年 文藝春秋文庫

「大江戸泉光院旅日記」 石川英輔

講談社文庫 1997年5月15日