同級生/高校の最近のブログ記事

この1週間、毎日一人づつくらいfacebookの繋がりが増えている。
去年1年で10人くらいしか増えなかったのに。映画(ソーシャルネットワーク)の影響だろうか(又はデモの影響?)。

高校の同級生T君からfacebookを通して連絡が来た。T君とは小学校と高校で同じだった。
自分は小・中学校は公立(市立)だったが、T君は中学校から近くの私立に行った。
その私立高校に自分が入学したことでまた同じ学校になったのだ。高校3年で同じクラスになったのだが、同じクラスになったのはその時が初めて。それまで(小学校の時も)一度も同じクラスになったことは無く、一緒に遊んだこともそんなに無いはずだが、存在はお互いよく知っていた。

彼は小学校のときから"理系男子"だった。
小学校5年の夏休みの自由研究(雲についてだった)は誰が見てもすごく、同学年全員集めて大和室で彼は発表をしたはずだ。隣のクラスに居た自分もその発表を見た。何かの本を写したものではなく、独創的なものだったように覚えている。割と大規模校で一学年5クラス、記憶が正しければ185人居たはずだ。その中で最も秀でていたのは間違いない。

そうだ、彼とは天文部で一緒で、紙を張り合わせて天球儀を作った(たしかもう一人女の子が居た)。任意加入の"部活動"とは別に全員何かの"部"に属して週に一時間だけ活動するものだったが、森先生(保知先生だったか??)の下で楽しく過ごしたような記憶がある。今思い返せばなんて自由な時間だったのだろう。

彼とは高校を卒業して以来一度も会ったことは無い。が、きっと彼は大きく外れていることは無いと思う。彼がギャンブルにはまっていたり、髪を原色にしていたらそれはそれで面白いが、きっとそれはない。

facebookが無ければ彼とまた接点を持つことは無かったはずだ。ネットではなくもし電話でいきなり連絡が来たならば、その不自然さで"選挙"か"宗教"か"金の無心"かと疑っていると思う。SNSで接点が復活することは自然だ。「便利な世になったなぁ」とだけ言いたいのではない。これまでの人生で色んな人と接点を持てたことを確認し、それを活かす事が簡単に出来るようになったことが素晴らしいと言いたい。

9日に会った際にパクチーハウスの話題が出た。自分の知人がやっていると言うと驚かれたが、Dさんの友達がはまっていたと言うことを聞いてこちらも驚いた。いつか一緒に行こうという話しが出ていたので誘ってみた。

この日はkyoはパクチーではなくgigaの方に居ると言う事だったので、用賀へ。co-workingに参加している人達が飲んでいた。この日はこの店のコンセプトに合った雰囲気で良い感じだった。

F澤さんが"気に入った"という旨のことを言っていたのが嬉しい。

 

千葉に戻って翌日、二子新地に家を買ったしげちゃん(男)の家に。
すごい、この歳で東京に一軒家なんて。僕が「東京でこんな家を買うなんて」という度に、「ここは神奈川県」だと訂正される。それにしても世田谷に家を買うなんて(川を渡ったので川崎だそうだが)。

家はまた本人が楽しんだという感じの内装。 ここに一人で暮らしているのか...とうらやましく思う。
夜までずっと話し続ける。かなり飲んだような・・・ 中島君の日本酒攻撃がかなり効いているような気がする。 酔っていきなり電話をした人が何人か、すみません。
高校同級生4人で新宿の火鍋屋(ラム肉の鍋)に。

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新宿に行く前に千葉駅で用事を済ませていたところ、そごうの前に止めておいた自転車のイスの上に忘れ物(?)が。見知らぬ人のカードケースが置いてあった。外国人登録証と健康保険証とJR定期券。内蒙古自治区赤峰市出身のモンゴル族の女の子(国籍は中国)。名前は読めない。簡単な漢字ばかりだが漢民族ではなくモンゴル族の名前で、どう読んだらよいのか見当が付かない。ちょうどモンゴル料理屋に行くところだったのでその偶然に驚く(定期券の区間が分割されていたことにも驚く。さすが...)

やらなければならない用事が残っていたのと、その飲み会に行かなくてははならなかったので警察には後で行くことにして飲み会に。まぁ許されるだろう、と。

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3宅は上海に行ってしまったが、季節毎に会ういつものメンバー4人。気を使わなくてよいのが楽で良い(いや、まぁどんな人にも気を使わなくてはならないという意見も有るが)。みな気付いているかどうか分からないが、話し方も滋賀県のものに自然となる。

滋賀に実家が有るが上京しているという点は4人共通なのだが、自分以外は一人っ子という共通項も有る。東京で家を買うかとか、子供の話題とか。地元(滋賀)から出ていない人と比較するとやはり生活スタイルと言うか考え方が違う。この高校は少し"普通じゃない"家の人(リベラルと言うか...)が多かったのだが、それでも。

また飲みすぎ&また終電。東京に住んで千葉に通ってるみたいだ。
入学式を終え教室に入り、指定された席に着く。座席は氏名の五十音順、女の子から。少し変則的なクラスで女子20人、男子15人。高校には多くの中学校出身の生徒が来るので、入学時には知らない人ばかり...になると思っていたが、そうでもなかった。自分の席は教室の一番後ろ。ドアのすぐ傍だった(教室の後ろにドアが有る)。一つ前の席の男が後ろを向く、あれ、会ったことの有る顔だ。

中島とは中学のときに通っていた塾で会った。塾では同じクラスだったのだろうか、今となってはほとんど記憶が無い(中島はサボることが多かった...)のだが、知っている顔が居るというのは嬉しいことだ。中島は、JRで一駅隣の町の安土中学の出身だ。

中島はどこか少し変わっていた(僕が言うなよ...)。見た目は変ではないし、奇抜な行動をするわけでもない。スポーツもそれなりに出来る(体育の授業でサッカーをしているところを見たくらいだが)のだが、目立つと言うわけでもない。あのクラスの全員に言える事なのだが、群れることは無い。大人びていて達観していると言うか。 人を虐めたりすることはありえない性格だった。

今でも記憶に残る情景が有る。ダイエーの3階のゲームセンターや、「ストロベリーフィールド」などの書店に入り浸っていたあの頃。中島は唐突に言った。「自分は東大に行く」と。それは普通に考えるとあの高校では有りえない選択肢であり、自分は何も言葉を返さなかった。
彼は形から入った。赤本を買って過去問を読んでいた。"読んでいた"というのは当時の学力では太刀打ちできず、その時は内容が理解できないと思われたからだ。駿台の模試を受けて京都からの帰る電車で彼は言った。「自分は東大に行く」。


中島・川勝・中西(自分)の3人は歴史好きという共通項が有り、高校時代はよく3人で遊んでいた。休み時間に日本刀のカタログを見たり、歴史書をみて家系図を書いている高校生というのは今思えば少し変だが、まぁ高校時代というのは何かにどっぷりと浸るものだ。それは重要なことなのだ。後述するが、その後の人生の進路を選ぶにおいて。

話題は反れるが川勝の歴史狂は尋常ではなく、「英語と数学さえ出来たらなぁ」という愚痴をよく聞いた。彼は愛媛大に進むのだが、愛媛大では何年ぶりかの国家Ⅰ種試験の合格者となった。

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高校を出て数年が経った。自分は大阪の私大に進んだ。その頃に自分と接点を持っていた高校の同級生は、川勝など数人だけだった。中島の話題はたまに出たが、中島は東京に行った事も有り、僕と会うことは無くなった。

そんな中島と再会したのは、僕が東京に出てきて起業をして数年が経った時だった。彼は東京大学の大学院で医学博士課程に進んでいた。僕のブログを彼が見つけ、メールを送ってきたときの僕の驚き、どう文章に表したらよいだろう。

先週、中島は結婚式を挙げた。彼らしい式だった(←と表現するのが一番似合っている)。
中学、高校、それぞれの大学、大学院、病院の人が集まっての式で、それぞれの立場の人がスピーチをするのだが、それぞれの立場を表していて興味深かった。
研究室での彼の様子を見たことは自分は無い。だが、「あぁ、彼ならそうだろう」と思えるようなエピソードばかりだった。小学校からの幼馴染のスピーチと歌が、一番印象に残った。

さて、彼のこれからの夢は何だろうか。


中山元大臣が「彼は蒲生郡安土町で産まれ、蒲生郡というのは蒲生氏の元領地で」と紹介したが、あれは中島の立場を知っての事だったんだろうか。アドリブのようだったが。
中学時に塾が同じだった知人と会ったが、あまりにも変わっていてお互いに分からなかった。中学も高校も異なるのに、こんなところで知人数人の近況を知るとは。
4月から上海に赴任するMの見送り(?)という名目で、東京に居る高校の同級生で新宿御苑で花見。もうすぐジャカルタに引っ越すFさんの子供お披露目も兼ねて。

出身が同じというだけで職業もバラバラの5人だが、気を使わないでよいのがありがたい。数ヶ月にに一度会うのが恒例になってきた。

出世頭の、今や法医学博士のN島の結婚披露の招待を受ける、嬉しい。
中学校卒業以来(高校ではない!いったい何年ぶりだ)会っていない人ともその時に会えるようで、その点も楽しみ。彼らはN島君と同じ中学だったのか。(自分にとっては)意外な接点で、驚く。

社会人になってからは、学生の時のように毎日のように長時間接する人というのは同じ部署で働く人を除いては限りなく少なくなるわけで、対等の立場で話が出来るという意味からもこういう接点は貴重だと、歳をとるほどに思う。

一年に一度人間関係がシャッフルされて、その固定された数十人のメンバーと一年間毎日会うなんて、学校でしか有り得ない。もちろん全員と仲良くす るなんてのは無理という事は分かっている。ただ、自分は昔から活動の幅も狭く、人とも深く接していなかったような気がするのだが、それでも知人関係が何年 経っても続き、このようにして途切れてもまた繋がるというのは有難いことだ。

特定の人と深く付き合うのも、多くの人と親しくなるのも大切だけど、敵を作らないということも大切なのかもしれない。将来の芽を摘み取らないためにも。

中学・高校に限らず塾などで他の学校の人と知り合う機会も、今思えば意外と多かったように思う。面識の有る"だけ"の人を含めたら何百人ともすれ違っているわけで、一期一会を大切にしなければならないなと改めて思う(手遅れだが)。


と思っていたら、偶然この日に、高校で3年間同じクラスだった"まさまさ"(←なんて呼び方したこと無いが...)からメールをもらう。僕の名前で検索してみつけてくれてたどり着いたようで、15年ぶりに連絡が取れたことを喜ぶ。
同窓会でも誰も消息を知らず、実家も引越したこともあって連絡が取れなかったのだが。いや、やはり世間は狭いのだ。やまけんとかとも一緒に会いたい。
大久保氏上京。

高校を出たところで、部活の練習でも有るのか在校生の女の子とすれ違い、「こんにちは!」と挨拶され驚く。いや、驚くほどのことではないのだろうが、高校生の時の自分は知らない人に挨拶するような人間ではなかったので...

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積もる話は尽きず...夕方まで喫茶店で。中島君と大久保/道明は会うのは15年ぶりのはずなのだが、全く違和感無く世間話。でも「何から話したらよいのか...」といった感じではない。「まぁ色々有ったよな、いや、でもあっと言う間やったな」くらいの。

コメダ珈琲が近江八幡に進出していた。スタバまで有るじゃないか。なんとスタバがドライブスルー。何だか変わったもんだ。自分達の頃は「学校帰りに喫茶店」は有り得なかった。

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夜は中学校の同窓会が有る中島君とは分かれて、3人で彦根の若林の事務所に向かう。
今回滋賀まで来たのは、若林と会うのが目的と言っても良い。
ネットで偶然名前を見つけ、同姓同名かもと心配しつつも電話をしたのがきっかけだ。
もちろんそれは杞憂で、「突然すみません、兄弟社の中西と申しますが...」と名乗っただけで
「おおーおー、久しぶりやな!おい!何してんねん!急に。」と始まり、数時間も長電話することになったのだが。

彼の性格からして必然だったのかもしれない(?)、少し遠回りをして若林は司法書士になっていた。"あの若林"が母校で「法律について」の講義をすることになろうとは...
いや、先生達も想像出来なかったに違いない。


名古屋からちょうど戻ってきていたK西とも合流し5人で食事。
その後も何だかんだと明け方まで若林の事務所で過ごす。

こういう時は「思い出話は尽きなかった」と書くべきなのだろうか。
しかし実際は、高校時代の思い出話はほとんどしていないように感じる。それぞれの仕事の話など現在の境遇についての話題が中心だ。毎日顔を合わしていた人間が、少しの間(15年!)忙しくて会えなかった、だけなのだ、きっと。

これは今回のメンバーに限ってのケースなのだろうか。誰でも良いというわけではないだろう。男が13人(それもバラバラな性格)しか居なかったあの少し特殊な環境が、この不思議な結束を産んでくれたのだろう。

...いや結束なんてないな。
これからもそれぞれ好きなことして生きていくんだろう。きっと。

たまにはこんな時間を過ごすのは良い。"利害関係が無く、信用出来て、気兼ねなく話が出来る人間"なんてものはなかなか出来ないものだから。(←と、とりあえず、持ち上げておこう)
岐阜から道明の車に乗せてもらい、先ずは八日市の大久保の事務所に。
イタリアかフランスの何か変わった車か高級車にでも乗せてもらおうと思っていたが、すべてガレージの中ということで、プリウスで出発。

昼食に3人で永源寺町の池田牧場へ。
池田さんの家がこんな事業に乗り出していたとは。高校時代は全く知らなかった。大学時代にも知っていればドライブの途中とかに寄ったのに。
この日は、何かのコンテストも受賞したという「鹿のロースト」のセットを。メニューは鹿や猪、魚はイワナやヤマメなど野趣あふれるものばかりで自分好み。
池田さんとは会えず。対応してくれた従業員に道明が「○○ちゃんによろしくお伝えください」と言ったのを聞き苦笑。そんな呼び方、高校時代にしてたっけ?

駐車場は県外ナンバーの車であふれ、ジェラード売り場には長い行列。商売繁盛のようで感心する。投資額はいったいいくらかけたんだろう。こんな山村に雇用を生み出している事もすごい。古民家を使った店舗。コンセプトも分かりやすく、それに沿った素朴な対応(自然なのだろうが)も良い。

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その後は近江八幡駅で中島と合流、高校に向かう。自分とは1年ぶりだが、中島君が大久保/道明と会うのは卒業以来。高校時代から「東大に行く」と言ってたが、うちの学校の偏差値からしてありえないと思っていた。しかしまさか本当に東京大学の医学部大学院まで出て学者の道を歩むことになるとは...

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高校は...変わっていた。駐車場に入った時点で驚いた。そもそもこんな駐車場って有ったっけ?留学生センターや寮など見覚えの無い建物が並んでいる

お盆の週末ということで校門は固く閉ざされている。警備員も居ない。入るのは断念して帰ろうかと思ったが、自分達の居た教室だけでも見れないかと思い、敷地に沿って図書館の方に回ると....立派な建物が立ち並ぶ片隅に、懐かしいプレハブの建物が残っていた。そこだけ柵もなく、誰でも中に入れるじゃないか。

自分達のクラス(5~7組)だけは、在学中の3年間ずっとプレハブの教室だった。当時から学園内で一番ボロかった2階建ての建物がまだ残っていた。なぜだ...

「防犯センサーとかあるんじゃない?」とか言いながらも敷地内に。立派な建物が並び、自分の居た頃との違い変わったもの、変わっていないもの、どちらにも驚く。例えば、「Met'sを売っていた自動販売機の横に有るコカコーラのロゴの入ったベンチ」「裏口に有る自転車置き場」「木で出来た靴箱」とか。

この歳になって思うのは、やはりこの頃は世界が狭かったなぁという事。小中学校と比べると、高校生になり行動範囲は広くなったが、在学中3年間の行動範囲はこの学校と家の往復だけ(自宅から学校まで1kmほどしかない)。悩みも今から思うと小さなことばかりで....

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最近のヴォーリズのブームで観光客が来るのだろう、小学校の方は昔のきれいなままだった。今回この文章を書くにあたり[ハイド記念館]等の単語で検索してみたのだが、多くの人がブログなどで紹介していて驚いた。自分たちの居た頃、もう少し注目を浴びても良かったのでは...

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