国内での旅の最近のブログ記事


2011年6月14日/日経夕刊5面

記事を読みすぐに、頭にうかんだ人が居る。高校の同級生であるIさん(匿名にするだけ無駄なのだが...)のお母さんである池田喜久子さんだ(...と書いたが、僕と直接の面識は無い)。

永源寺町の池田牧場と言えばジェラートで有名で、週末は山村の一本道(本当にすごい山奥)に、池田牧場に向かう車の行列が出来る。ガイドブックなどにも必ず採り上げられる有名店だ。

酪農の三方よしで、生産者と消費者をつなぎ、農と食の大切さを発信
http://www.shigaplaza.or.jp/sanpou/practic_co/13.html

だが池田牧場でジェラートを売り始めたのはそんなに昔ではない。池田喜久子さんは今から約10年前、ジェラート作りを学ぶためにイタリアに渡った。僕の同級生の母親だから、僕の母と同年代だ(たぶん)。子育てが終わった40代後半で新規事業を起こしたチャレンジ精神、イタリアにまで行く行動力には感服する。もちろん、事業を軌道に乗せたアイデアと努力にもだ。"趣味が昂じて"ではない。事業の投資額はかなり大きいはずだ。

現在は牧場横でジェラートを売るだけでなく、古民家を移築して使用している農家レストランも経営している。ジェラートの通信販売も好調だ(と思う)。滋賀県の山村(くどいが本当にすごい山奥なのだ)に産業を興して雇用を産み出しているのだから周囲に与える影響は大きい。金銭的なことだけでなく、前向きな気持ちにさせる効用も。

2年前の夏休みに帰省した際に、高校の同級生(道明・大久保)と訪れた。ジェラート売り場の横のゆっくりとした雰囲気の農家で鹿・川魚(たぶん岩魚)を使ったコース料理を食べた。この事業は何か目新しい奇策で大きくなったのではない。正攻法で着実に客を増やしている。色々と参考にしたいといったことを男3人で話をした。

池田牧場http://www.ikeboku.com/
GWに実家に帰省した際に家の裏の山(八幡山)で竹の子狩り。
共有地(私有地でない)にはセミプロの人が毎朝数人。まぁ素人の自分でも数本は採れる。

このあたりは八幡城豊臣秀次の最初の城)の本丸のあたり。秀次は秀吉の数少ない親族として、その後尾張100万石、関白へと異例の出世を遂げるが、周知のとおり悲惨な最期を遂げる。近江八幡は彼が20代の数年を過ごした土地。
(左)豊臣秀次像、(右)城内の邸宅跡

周囲は平野なので少し登るだけで視界は広がる。織田(安土はすぐ傍だ)・豊臣の時代が過ぎ、徳川の時代になると近江八幡はどの大名にも属さない江戸幕府直轄地となり、八幡の住民は全国で商人として活躍する。直轄地は長崎(貿易),紀伊,高山(木材),佐渡,甲府(金山)、石見(銀山)など産業盛んな所ばかり。徳川幕府も近江八幡の重要性を見抜いていたのだ。

「高田義甫」なる人の記念碑。明治27年建立と有る。家のすぐ裏に有るのにその碑の存在すら知らなかった...碑文は漢文調で難しい。最近設置されたらしい説明文を読むと、勤皇志士っぽいが明治になって帝国水産(後の日本水産、現在のニチレイ)を創立したというのが八幡人っぽい。その他に新聞社、銀行などを設立したそうな。八幡人は商人になるのを義務付けられているかのようだ。

北末町の肥料屋の子供がなぜ討幕運動に関わるようになったのか気になったので調べてみた。彼は少年期に「帰正館」(仲屋町の西川吉輔が創立)という私塾で学び、思想を育んだようだ。一緒に学んだ伊庭貞剛は後に住友財閥総裁となる。この小さな町から世に出た人達の凄さはいつも驚かされる。


山を降りて図書館に。市立図書館が家のすぐ隣に在る。徒歩10秒(笑)。今から15年前、それまでの図書館が老朽化(これまでの建物は江戸時代のもの、どれだけ物持ちが良いんだ)の為にここに移転してきた。学生時代にここに在れば良かったのに...

ちょうど「ジャーナリスト」についての本がピックアップされていた。長倉洋海、橋本信介から不肖宮島氏の本まで。こんなところでマスード将軍の写真集を見ることになるとは。いったい誰の趣味なんだ...
 (図書館内の近江商人コーナー)
近江八幡でずっと暮らしているが、まだまだ知らない事は多い。ほとんどの人がそんなこと気にしないで過ごしているというのもまた凄い。1km四方しかない小さなエリア出身の人が全国に散っていると言うのに。


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