20今宵の宿の最近のブログ記事

瑞金賓館がイギリス様式でなかなか良い雰囲気だったことも有り、次もまた旧邸宅ホテルに行くことに。

次の「東湖賓館」は同じ時代だが、イギリス人ではなく中国人の建てたもの。そしてその中国人というのは上海マフィアのトップ杜月笙と聞けば、もう行くしかない。全く裏社会とは関係のない一市民が行商人からスタートしてマフィアのボスにまでのし上がるには本人の才覚・力だけでなく、運、そしてその時の歴史のいたずらが無くてはならないだろう。

イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・日本などの列強諸国、そして中国国内の各派閥、共産党と国民党だけではない、たくさんの裏組織が上海の中で勢力争いをしている中で生き延びるには、その各国ともちろん中国国内事情に通じていなければならない。

その彼の邸宅だ。期待をしてタクシーで向かった。


杜月笙は、上海事変後に日本軍の勢力に押されて、香港に脱出する。この建物も交通銀行(現在の中国五大銀行の一つ)となる。太平洋戦争中はアメリカ領事館として使われた。

戦争後に共産党が上海に入ってからは上海市政府の招待所となる。そして1982年、一般人でも泊まれるホテルとして開放された。

ホテルは一般道路を挟んで二つに分かれている。まずは本館の方に向かう。ちょうどリムジンが誰かを下ろして












 

 



 

 

 

 

次は日本軍とは全く関係なく、イギリス租界の中心の曰有る洋館にバスで移動。
目的地にちょうどよいバス停にうまく行けず、瑞金南路のバス停から1kmほど瑞金路を北上。並木の有る雰囲気の良い通りだ。

小さな古い洋館や最近建替えられたような雑居ビル、大きな病院(瑞金医院)を過ぎると左側に長い壁。
目指す「瑞金賓館」はすぐ分かった。中国にありがちな下手な装飾などない、立派な洋館だ。

【瑞金賓館の歴史】
上海開港から20年、上海に来たイギリス人モリスは不動産投資で大きな利益を上げ、邸宅を構える(現在の1号館)。イギリス様式の広大な庭園、建物内装は彫刻、シャンデリアなどには金を惜しまず豪華な屋敷となる。この周りにも次々と新しい建物を建て増している(現在の2号館)。

上海の情勢は風雲急をとげ、モリスはいくつかの建物を三井に売却する。「三井花園」と呼ばれ、社交界の中心として使用された(4号館など)。
第二次世界大戦中は魑魅魍魎がひしめく世界となった(と思う、たぶん)。

日本が戦争に負けて、日本人が撤退すると国民党がすぐに接収する。首道者たちの上海での住まいとして使用された。外国賓客をもてなすための建物として使用され、毎晩パーティが行われた。

国民党が撤退した後はもちろん共産党が進出。文化大革命中はいったいどうなったのか想像も付かないのだが、こうして残っているということは、ここは共産党のトップが使う建物として別格の扱いだったのだろう。

そして対外開放の時代、今はホテルとして民間に開放されている。



で、宿泊者でもないのだが、興味本位でホテル探索に入った。

ロビーのカフェでチーズケーキと紅茶で一服。

味やサービスは残念ながら...親切で愛想は良いのだが、高級ホテルといったイメージのサービスとは言えず...客も明らかに時間つぶしの上級公務員?それも制服着て堂々と...

別館のレストランに行ったら違うのかな。

実際に利用した人のブログが参考になると思う。
安宿も、最近出来た外資系の高級ホテルも良いけれど、こういうクラシックホテルに泊まりたい。

万博期間中でも1室18000円くらいです。

この建物の歴史を考えれば無理な金額ではないのでは。

 

瑞金賓館のガーデンに囲まれたインド料理店は、他にはないカジュアル&リラックス感が楽しめる穴場的レストラン

 

http://bjhimatsubushi.blog29.fc2.com/blog-entry-82.html


空港からのバスから、延安東路で降りた。夜10時半。
中心部に行けばまぁ宿くらい何とかなるだろうと思ったが...無い。
人通りも多くない。もっと中心地へと思い、人民広場まで行くも7000円くらいのホテルばかり。妥協して(?)それでも良いのだが、どうせ寝るだけ、安宿でよい。歩き続けて1時間、南京路までやってきた。途中で何か食事でもと思っていたが、手ごろな店が無い。そもそもレストランが無い。上海ってこんなんだっけ?
南京路で「飯店」(ホテル)の文字を見つけたのは日が変わろうとしていた。

1泊200元。トイレ・シャワー付。宿泊者は5人ほど。壁が薄いので音が筒抜け。夕食はマクドナルドのセット。
朝、外灘を散歩。観光客は減った。数年前の人ごみで歩きにくかった記憶しかないのだが。
朝食は浦江飯店で食べようと決めていた。昔は(お金が無くて)食べれなかったバイキングへ。



蘇州河の外白渡橋、あの鉄橋はなんと工事中。
とうとう取り壊されるのかと思ったが保存改装工事とのことで安心する。
歴史の生き証人。
上海に行った人なら、100年前から老若男女ほぼみんなと通ったことがあるだろう。
この橋より北は日本租界だった。南はイギリス、フランス。
魑魅魍魎のうごめく魔都。

迂回路を通って浦江飯店、噂には聞いていたが立派になっている。
今はもう安宿ではない。いや昔から「安いドミトりー」は有ったが、決して安宿ではなかったはずなのだが...
今は1泊20000円くらい?
朝食バイキングは10時までであと10分しかない。だがせっかくだから入ろうとするも、180元と聞き断念。
スタッフにホールの写真を撮ってよいか聞くと、「私に見つからないように撮るように」という答え。あぁこんな受け答え、人民中国だった時代では考えられない。












懐かしいホテル内を散策。
3年前リニューアルされて、開業当時の雰囲気に戻っている。
とても日本では江戸時代だったころに建てられたものとは思えない。
ここに泊まった世界の著名人達の写真が廊下に掲げられている。
10年前は日本の貧乏旅行者達が600円で泊まっていたのか...なんて勿体無い。

廊下を歩くと記憶がよみがえる。
そうそうこの渡り廊下を渡ると、多人房(ドミトリー)の部屋。
今はレトロおしゃれなツインになっていた。

売店で絵葉書を売っている。[上海]の絵葉書は値引いてくれるが、[浦江飯店]のはまけてくれない。
なんでこれをそんなに欲しいのかと聞かれ「10年前に泊まったここのファンだ」と応えると、「あぁドミトリーね」と言われる(笑)。ドミトリーに泊まったとは言ってないのに...
朝食をとろうと隣の上海大厦に行くも、ここもまともなレストランは11時から。フロントで「近くに良いレストランは無いか」と尋ねると、「すぐ近くにハイアットが出来たばかりだ、そこは良いだろう」とのことで勇んで赴く。

...着いた所には高層ビル。番地は合っているがホテルの表記はまったく無い(中国では施設名を書いた看板が建物の概観を台無しにしていることが多い)。不思議に思いながらも中に入るも大きなフロアに人影はまばら。
綺麗なお姉さんに「あのーここ、ハイアットっすよね?」「ええ、もちろん」
「あぁ良かった、何か食べたいのだけど」「はい、何が宜しいでしょうか?」
「え?どんなのが有るの?」「フレンチとカントン、それにイタリアンのカフェなど。」
「うーん、河が望めると聞いたんだけど」「それなら一番上にフレンチのレストランが」
「もう昼だけど、一人で入ってコースでも良い?」「えぇもちろん、お望みのものを」
...頭に危険信号が灯った。分相応だ。ありがとうと言って外に出た。

結局、朝食兼昼食は浦江飯店のバー。
ローストダックをオレンジソースで。68元(800円弱)。
うん、おいしい。贅沢すぎないこれくらいのものが身分相応だ(笑)。
絵葉書を書いていたらコーヒーをサービスしてくれた。

のんびりしていたら飛行機の出発時刻まであと1時間半!!
こんな時に限ってタクシーが捕まらない。渋滞を避けトンネルではなく橋を渡ってもらいリニアの龍陽路駅に。

上海のリニアモーターカーに乗るのは初めて。さすが時速431km。7分で空港。
間に合った...日本でも早く実用化してもらいたい。

自転車で田んぼの中の一本道を走っていたら、前方に集落が見えてきた。あれが目指す"白沙"かと思いきや、近づくと大きな建物だった。何だと思い入り口の下にあった礎石を見るとなんと[BANYAN TREE]と書いてあるではないか。こんな所に??バンヤンツリーって中国にも進出していたのか。それも看板がない。街で買った地図にも載っていない。たしかに一般中国人には無縁な施設だろう。お金を持っていても成金には面白くなさそう。

門番に「ちょっと休んでも良い?」と聞くと、日本人が自転車で来たのかと笑わってゲートを通してくれた。
すぐにスタッフが3人も飛んでくる。まぁ暇なんだろうなぁ...
カフェまで案内してくれる。暖炉も僕のためだけにマキをくべてくれる。冬は寒いのだろう。こういうリゾートはビーチしか行ったことが無いけど、タイの北部などもきっとこんな雰囲気なのだろう。

一番安い78元(1000円)の中国茶。雲南の何とか茶と説明してくれたけど忘れた。おいしい...なんでこんなに味が違うの??

絵葉書を書いて休む。

帰国後サイトで探した。公式サイトはあっさりしているが、こんな感じ。1泊500ドル(51000円くらい)だが結構混んでいるという。僕が行ったときは数組の欧米人や香港人っぽい人が散歩してただけだが。

1時間ほど休んでいる時にちょうど夕立が来た。もう動きたくなくなったが、そうも行かない。暗くなるまでに白沙に行かなくては。

新市街地には「飯店」「賓館」(ホテル)がたくさん有るが、古城内の「客桟」(民宿/旅館)に泊まる。
1.2泊目は川沿いの宿、3泊目は古城中心地の四合院づくりの宿に泊まる。どちらも一部屋で80元。

世界遺産の建物とはいえ、建物内部は改造されており、きれいなシャワー、トイレ付、でベット。火事になると大変なのでストーブは禁止されているとのことで、電気毛布。不便は感じられない。中国の安っぽいビルのホテルに泊まるよりもこっちの方が明らかに良い。なぜわざわざこんな小さな宿に泊まるのかと中国人は思うのかもしれないが。日本でも30年前はこういう感覚を持った人が多かった。

夕食はこんな時間でも営業しているカフェのようなところで。納西巴巴(ナシ族のパンケーキ)6元、大理ビール5元、麗江炒飯5元。観光地価格、ちょっと値段高めか。麗江炒飯の特徴分からず。普通のチャーハン。


もうちょっとで到着。
カープアイランドでは2泊した。
人の住む街からはスピードボートで1時間ほど。
物価、石油は特に高い。往復のボート代は宿泊代に含まれているのだが、馬鹿にならない金額のはず。

建物が見えてきた。
島にはコテージが10棟ほど。
食堂や従業員の宿舎などの建物が島の南西部に小さく固まっている。

桟橋に到着。
島の周囲は10kmほどか。
小学校高学年の頃に読んだ「宝島」や「十五少年漂流記」のような冒険小説の舞台みたいで面白い。想像を膨らませれば、ここに来る途中の島々の影から海賊船が出てきたり、嵐の後に流れ着いた機知に富む主人公が島で暮らしていく様子が頭に浮かぶ。実際にこんな所に来れるとは小さな頃は思いだにしなかったのだが。

部屋はバンガロー。2人(1人)づつに1軒で快適。聞こえるのは波の音だけ。深夜にざわめきが聞こえると思ってドアを開けると、ヤドカリの大群が!

島にはスタッフが20人くらい?
自給自足に近い暮らし。
石油で自家発電(太陽光発電など出来ればよいのだが)。
豚20匹くらい。ニワトリは何百羽か。
畑で野菜、椰子は島中に自生。
魚はそのへんの海にたくさん。
島中いたるところに椰子が自生している。

ドサッという実が落ちる音を聞いた。熟れた実は10m以上の所にあるので当たると危険だ。スタッフが定期的に採集しているという。

部屋の前には遠浅の海。
温暖化の影響で少しづつ島の面積が減ってきているとのこと。
マングローブの森も被害を受けている。
部屋の前の浜にも、海の水に浸かって枯れている木も。

2日目、一人で島を一周しようと潮が引いているときに出かけるも、途中泥の地帯で断念。
潮が引いていれば一日あれば一周出来るとのことだが、島はそれなりに広い。

足が泥にはまって動き取れず。いきなり足をとられ体が泥の中に沈んでいくのは怖かった...
大きく迂回すればまだ先にも行けただろうけど、雨にも降られ計画中止。
干満の差の影響で島の周囲の岩は削られている。
雨よけになってちょうど良い。

午後、島を縦断。1時間ほどで行けるとのことだったが道に迷う。島の東部、あまり人は来ていないようなマングローブの森のぬかるみを歩く。

太平洋戦争時のものと思われる上陸用舟艇が埋もれていた。島のガイドブックにも載っていなかったのだが、あまり知られてないのだろうか。


この島の南、晴れていれば見えるペリリュー島は太平洋戦争で日本とアメリカが正面からぶつかった有名な激戦地。日本軍はジャングルに篭りゲリラ戦を行った

この小さな島(カープ島)も戦場になったんだろうか・

やっとのことで[Stone Money]にたどり着く。
この島唯一の人口の観光資源。
ヤップ島などでメジャーな昔の大きな石のお金。直径3mくらいか。
大きいほど価値が有るのではなく、村まで運ぶのにどれだけ大変だったかで価値が変わるとのこと。

ゲイシャ。
ただのみかんの缶詰のようだ。
亀肉のスープ。
捕獲は禁止されているような気がするのだが...
鯨肉のように一定量なら良いのか?

残念ながら自分の舌に合わず。

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ホテルの敷地はなんと4ヘクタールの広さ(敷地内に1600mのジョギングコースが有る)。そして目の前にはセレベス海。後ろはジャングル。ホテルから出ないで3日間を過ごす。

リゾートも良いなと思ったのは、去年バリで「マヤ・ウブド」に泊まってから。2泊(たぶん2泊だったと思う)しただけで移動したのでゆっくりしたイメージは無いのだが、それなりに楽しかったから。行くまでは「なんでこんな値段高いところに」と思っていたのだが。(これまでは1泊数ドルのゲストハウスばかりだったので...)

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今回のリゾート(写真)は、この広さのホテルだが宿泊者は20人くらい。
土曜日の夜だけインドネシア人団体が来ていて賑やかだったが、その他の日は欧米人の長期滞在者だけの静かなリゾート。でも従業員はすごい人数。リゾート内のダイブショップだけで40人スタッフが居るというので...

スタッフに3泊だと言うと「なぜ?」と聞かれる。もっとも、ダイビングスタッフに同じ質問をされた時は「日本人の平均だ」とも言われたが。

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昼間は土曜日はシュノーケル、日曜日はダイビングをして過ごす。のんびししているはずなのだが、時間が流れるのが早い。もう何日か滞在出来れば読書をしてのんびりなんて時間も取れるのだが。

{写真)桟橋まで300m程続く道。干満の差がこれだけ有る。マングローブの森の中を歩いていく。

 

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最初2泊はメインの建物の部屋だったが、20ドル足せばコテージとのことで、最後の1泊は部屋をコテージルームに変更してもらう。欧米人はほとんどがコテージに泊まっていたようだ。どうりであまり見かけない訳だ。

 

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部屋ごとに専用の庭が有り、海が見渡せる。
昼間は海に出かけてたのでほとんど居なかったが...

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リゾート内に有るカフェ「BIG TREE」。
小高い丘の上に有り、ブナケン島やマナドトゥア島(海に聳え立つ山)が眺める。夕陽時の眺めが良い。

夕食時に行ったが、客はもう一組だけ。宿泊者以外はまず来れないだろうから。でもスタッフは8人。贅沢すぎる...ピザもオーダー受けてから好きなように焼いてくれる。
魚も新鮮なのだが、魚の名前を英語で言われても分からない...

コテージまではすぐ。食べきれなかった料理は部屋に戻りいただく。
あぁこんな生活していたらもう戻れない...

 

スタッフはたぶん、注文のうるさい客(自分)のことを覚えていると思われ、部屋番号なんかもいちいち聞かれずフレンドリーなのだが、日本の日常とのギャップが...
(朝食でも3日目はコーヒーか紅茶かも聞かれず「ティーですよね?」となった。オムレツ焼くお兄さんも「トッピング全部入れてやわらかくですね」と好みを把握されていた)。
ジュースも好きな果物をすぐ搾ってくれるし...体に根っこが生えて動けなくなっていく...

いつもほとんど人が居ないプール。
プールの真ん中にバーが有り(プールの中にイスも有る)、カクテルでも飲めるのだがこんな贅沢していても良いのかという気分になり利用せず(小市民)。
値段はカクテルで数百円程度なのだが。持参したドリンクも有ることだし...

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夕食はフロント近くのレストランで。ここも客は数人だが生演奏ライブ付(良いのか?)、スタッフも笑顔で良い。食べたいものを食べたいときに食べれる幸せ(ルームオーダーは24時間、好きなレストランから追加料金無しで)。スープ、前菜、メイン、ビールなど一通り食べて全部で1500円程度から。まぁ贅沢をすればきりが無いがこれくらいで充分。

もちろん現地の人はこんな生活をしているわけではない(インドネシアの平均月収は500ドル以下)。まぁ月収5万円の国で、それもサラリーマンなんてほとんど居ない所で1食1500円かけてるのだからこうなるのだろうが。ただ、リゾートが出来て現金収入が出来てから生活が豊になっているのは事実のようで...どちらが良いのかは分からないが、これからは観光客も増えていくと思う。


Hotel Santika Premiere Seaside Resort Manado
Tongkaina-Bunaken, P.O. Box 1644
Manado 95000 - North Sulawesi
Phone: (62-431) 858222, 858333,
Fax: (62-431) 858666
e-Mail:
info@santika-manado.com (officialサイトはほとんど内容無し)

日本の旅行会社のページ)(フォートラベル/apple/みゅう)

だいたいどこを見てもシングルで9000円、ツインで10000円くらい(一人ではなく、一部屋の価格)。予約サイトを通しても安くなっていないようなので、ホテルに直接予約を入れたほうが良いかもしれない。

もっとも、ここに来て海に行かない人は居ないだろう。ダイビングをするならパッケージの方がお得。3泊4ダイブ付で340$、4泊6ダイブで475$など。朝食バイキングと、昼食も料金に含まれている。

京都駅には思ったよりも早く20時には着いた。新幹線もまだ有るので、高速バスではなく新幹線で帰ることにした。20時5分発ののぞみは窓側、通路側とも満席だったので、20時15分発ののぞみの指定席を取った。

席についてからはウトウトとしていたが、21時過ぎにアナウンスで目を覚ます。「先ほど小田原駅付近で、下り列車が人との接触の衝撃により停車しております。現在、上下線で運転を見合わせており、この列車もまもなく停車いたします」変わった表現を使うなぁと思った。

列車は掛川駅の追い越し線で停車。隣にはこだまが止まっている。

21時半、車内放送「現在、警察の現場検証が続いており、運行再開にはかなりの時間を要すると思われます」。社内は静か。

22時16分。メール受信。事故は20時47分と知る。人と接触したのはのぞみということは小田原を通過する列車。つまり人をはねてもすぐには止まれないから、車体はかなりすすんでるはず(2kmすすんだとその後知る)。現場検証に時間がかかりそう...

22時18分車内放送。「先程の放送を訂正します。警察の現場検証は22時11分に始まりました。現場検証は1時間程度、そして安全確認にお時間をいただくことになると思われます」。隣のおじさん二人組が「じゃあ東京着くの11時過ぎるなぁ」と言っている。23時なんて今すぐ動いても無理だろ...みんな気づいてないのか?

車内販売の食べ物が無くなる(するめとかまぼこは有った)。

23時。ジュースを買いに行く。トイレが行列になってた。

23時40分頃(時間見るの忘れた)、安全確認がすんだという車内放送が有って数分後に動き出した。隣に止まっている先に到着していたこだまよりも早く動き出す。

小田原駅を徐行しながら通過。上りホームに新幹線が止まっており、前の席のグループの人達も隣の人も「あの新幹線だ」と話しているが実際は違うだろう。小田原駅で接触してから先に進んでいるわけだから、事故車両は今頃は三島あたりに有るはず(小田原の次の熱海駅は山裾で敷地が狭いので退避ホームが無いはずなので)。

新横浜到着24時半、3分の一程度の人が降りる。

品川到着前に車内放送。「現在、東京・品川とも在来線の営業はすべて終了しております。お客様が朝までお休みいただけるように休憩車両を東京駅に用意しております。どうぞお使いください」。車内に笑い声があちこちで起きる。恩着せがましい話し方だから??もう笑うしかない状況だから?

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東京駅で列車が詰まっており、品川駅から東京駅まで20分程度時間がかかる。25時過ぎ東京駅到着。

(写真1)到着後のホーム。疲れて彷徨う乗客。

 


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(写真2)払戻窓口の行列。
東京駅から帰る人はここで特急料金分のみ払戻してもらう。
東京駅乗換の指定券を持っていた人達の替わりの列車の手配など。

 


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 (写真3)駅のあちこちで、駅員などと相談・交渉している。
収拾つかないので在来線との乗換え改札を閉鎖して乗客を新幹線エリアにまとめる。
応援のJR職員がかなり来ているようだ。

 


 

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遅延印を切符に押してもらい、改札を一度出てみる。

(写真4)タクシーはすごい行列。
少なくとも1時間待ちと。
タクシーの応援呼んでいるが時刻が時刻だけにどうなるか分からないようだ。
交番の警官も眺めている。
近くのホテルはすべて満室だろう。


 


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19番線の休憩用新幹線。
ニュースなどで言われるいわゆる「列車ホテル」。
好きな席で休んで良い...のだからグリーン席に行けばよかった。
普通席に荷物を置き席を確保しておいてから気付いたのだが遅かった。

(写真) グリーン席の様子。

2時を過ぎてもまだまだ新幹線が到着してくる。列車ホテルは2編成(16番線と19番線)用意するとのことだったが、結局4編成(64両)になる。


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 4時半、周りの人が動いているので目覚める。

(写真) 在来線の乗継改札で払戻印を押してもらう。

最終目的地の駅で、特急料金分の払戻を受けるため。


5時1分発、成田空港行の快速で千葉へ。

千葉駅改札で5240円の返金を受ける。定価で購入したのではない回数券だったが、払戻を受けることは出来た。まぁそうしないと客は怒るよな...

高速バスにしたら良かった。いや、貴重な体験が出来てよかった。


この夜、東京駅で泊まった人は2620人。「列車ホテル」は名古屋駅と新大阪駅にも用意され、被害者は3万人とのこと。ってことは日本人の4000人に一人はこの時間に東海道新幹線に乗ってることになる...すごい。

自殺をしたのはJR東海の社員とのこと。

運転再開を待っている間、みな(自分も含めて)はいつ動くかということを考えていた。マスコミの報道なども。その人がここで死ぬまでの人生について考え、思いをめぐらす人は少ない。鉄道自殺は注目度は高いが、その死について哀れみを受けることは少ない。どうせ死ぬなら他の方法で...いや、だから鉄道自殺なのか。

日曜日の新聞を読み返していたら、文化欄のあるコラムを見て非常に驚いた。

「ハッピー・マン」-野崎歓- (日本経済新聞10月15日朝刊40面)


自分が体験した出来事と瓜二つなのだ。
初めての海外一人旅で遭遇したワンシーンが鮮明に蘇った。



1993年の春休み。バイトで得たお金で航空券だけを買い、香港・シンガポールへ行った。ガイドブックによると、海外の都市には"ゲストハウス"という安宿が有って安く泊まれるらしい。インターネットが無かった時代、まわりに海外に行った人も居ないので情報は無かった。いや、初めて「旅」に出る田舎の高校生には情報の必要性に気づいて居なかった。旅先のトラブル、TIPSみたいのを知っていれば、これから書く事は起こらなかったかも知れない。

香港啓徳空港に到着したのは夜10時くらいだった。飛行機から見る香港の夜景はすごかった。
降りた途端にむむむぅぅと肌に粘りつく熱気、出迎えの人のすごい数にいきなり僕はやられてしまい、両替をしてバスに乗るという何でもないことにも気力が要った。ただ好奇心が有ったおかげで事は運び、1時間後僕は九龍の雑踏にたどり着いていた。

なぜか安宿が入居しているこのビル"重慶大厦"周辺だけアフリカ系黒人やインド、アラブ人がたくさん居たのだが、へ〜こんな所なんだーと、特に意識せず僕はビルに入った。ビルの中は蒸し暑い。あちこちのフロアに 「何とかHOTEL」 やら 「何とかGuest House」 「何とか招待所」 という文字が見える。
早速目に付いた部屋に入り声をかけてみるが、「FULL!!」と一言言われて追いだされてしまった。何件目かにしてみつけた部屋、相部屋でよければ泊まれるという。迷わずここに泊まることに決めた。


部屋の中にはターバンを巻いたインド人3人組が居た(写真)。宿なのに自分の部屋のようにくつろいでいる。ここで「生活」しているようで、怪しい祭壇のようなものまで作られている。
生まれて初めて見るインド人。非常に「濃い」。
あまりにも怪しい、この部屋の空気に少しひるんだのだが、インド人が英語を話したことも有り僕の緊張は少し緩んだ。修学旅行で交換学校の生徒と話したとき以外、 「英語を使って会話をする」 のは生まれて初めてだったのだ。疲れていたのかもしれない。

そこでインド人はなぜか唐突に言った。君には明るい未来が有るのだと。great future...
なぜそんな話題になったのか今はもう思い出せない。
暗い小さな部屋で、祭壇のろうそくの灯が揺らめき、名も知らぬインドの神様が笑っている...

そしてインド人は何も書かれていない紙を僕に渡して言った。
君の好きな"鳥"の名前を英語で書けと。
いきなり好きな鳥の名前と言われて僕は困った。好きな鳥がまず思いつかない。
鷲、鷹???それに英語でなんと言うのかがまた分からない。
なぜか分からないが僕は[swan]と書いた。
インド人はその紙を折りたたみ、中身を見ないでろうそくの炎で燃やしてから言った。
「君は白鳥が好きだ、当たっているだろう」。僕は素直に驚いた。

あまりにも馬鹿馬鹿しい話なのだが、インド人は僕に言った。
「君のこれからの人生を知りたくは無いかね。50HK$で教えてあげよう」

...今となっては恥ずかしい。僕はお金を払って僕のこれからの人生を教えてもらった。何歳で結婚するとか、何歳で病気になるとか。もちろんもう今は内容は覚えていない。

僕がだまされやすい性格ということ、まだ若かったということ、初めての海外一人旅の初めての夜にしてはあまりにも特殊な雰囲気だったということ、原因は多いのだが、僕は見事にやられてしまった。
これからの自分の未来を知ることが出来たという貴重な経験をしたのだが...(笑


この10年前の僕の体験と同じ体験をした人が居た。
その人もその貴重な体験を、ほほえましいものとして懐かしんでいるようだった。

僕もその夜から「旅人」の世界に入り込んでしまった。
僕はもう旅の面白さからもう逃げることは出来ない。

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