239広東省の最近のブログ記事

広州からシンガポールへ向かう中国南方航空。
座席はほぼ埋まっている。

指差し会話−インドネシア」を読んでいたら、通路をはさんだ席に座っているおじいさんが声をかけてきた。シンガポールの入国カードを取り出して何か言っている。どうやら英語が出来ないので、僕に書いてもらいたいらしい。感覚ですぐに分かった。パスポートを出してもらい、おじいさんともう一人おばあさんの二人分を代筆する。

パスポートは二人ともインドネシアのもの。国籍はインドネシアで住所はPalembang。おじいさんの誕生日は1932年。で、おじいさんの生まれた場所を見て、ちょっと驚いた。[Republic of China]。中華民国だ。人民共和国でなく。中華民国と言っても、今の台湾で生まれたという訳ではないだろう。
 
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話はずれるが、日本のパスポートに出生地を書く欄は無い。
[Place of Birth]が現在の国籍と違う人というのは、世界には結構いるのだろう。
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おばあさんの方はインドネシアになっているから、インドネシアにやってきたおじいさんが、現地の人と結婚したということだろう。どうやらインドネシア華人(華僑ではない)が、中国へ里帰りして再びインドネシアに帰宅(どっちが本当の家だ?)する途中らしい。
 
おじいさんがインドネシアになぜ、いつ移住したかは分からない。
僕が中国語かインドネシア語が出来れば話をしたかもしれないのだが。
 
日中戦争前だろうか、日本統治時代か。又は国共内戦の際か。
政治的な理由だろうか。経済的なものか。はたまた物心付く前に家族に連れられてかもしれない。
すごく興味を惹かれる。おじいさんの話を聞けば、小説1冊くらい軽く書けるだろう。
 
シンガポールでの滞在場所、滞在期間を書かなくてはいけないので、頑張ってインドネシア語の会話集を見ながら話しかけたのだが、残念ながら通じない...のだが、前に座っていたビジネスマンっぽい人が助けてくれた。僕が英語で説明するまでもなく、状況を理解したと言うか、暇な機内。向こうも気になっていたと見えるこの人は、中国語でおじいさんに話しかけた。たぶん広東語ではなく、北京語?で。おじいさんはほぼ理解している...し、おじいさんの座席のポケットに入っている新聞は漢字で書かれている...
 
おじいさんは今でもインドネシア語より中国語の方が得意なのだろうか。
おばあさんとの間は何語で話してるんだろう。普通はインドネシア語だと思うが。
現地に同化してないのかなあ。たまにインドネシアで華僑との暴動のニュースを聞くのだが。
 
ビジネスマンにあなたはシンガポーリアンかと尋ねたら、マレーシアと一言だけつぶやくように答えてくれた。
 
成田から広州の便は、日本への旅行の帰路っぽい中国人団体客ばかりだったのだが、広州〜シンガポールの便は、なんだか色々な人が混じっている。退屈な4時間もそう思ったら楽しくなった。
 
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飛行機を降りてシンガポールの入国審査に向かう時、おばあさんに、自分は日本人でこれからジャカルタに行くのだと覚えたばかりのインドネシア語で話しかけてみた。
おばあさんは特に驚きもせず笑って言った。
僕のことをインドネシア人の学生と思っていたそうだ。
夕方広州空港到着。どこに行けば良いのか分からず、とりあえずバスで広州駅へ。
 
†小平が「豊かになるのは良いことだ」と発言して以来、1980-90年代、中国全土から広東省へやって来た出稼ぎ労働者であふれかえった広州駅前の大広場は現在、バスターミナルに整備されていた。駅前には里帰りするのか、今出てきたばかりなのか、人はたくさん居るのだが、写真で見たことの有る往時の風景は無い。身なりもそんなに貧しい人はほとんど居ない。
 
駅前の宿の客引きに、どっか安い所を聞く。僕の予算を伝えたら3kmほど離れた三元里あたりまで行かないと難しいと答えられた。バックパック旅行者が泊まるようなドミトリーは見つからなかった。紹介を受けてホテルへ。1室180元。バストイレ、エアコン付きのビジネスホテル。もし二人だったら一人当たり1000円なので、日本と比べれば安いのだが...
 
ホテルの人達は珍しがって割りと親切。雨もひどいので観光には行かず。
食事はホテル前の屋台村(?)で。
大きな牡蠣やイカ、よく分からない大きな貝、中国どこでも見かけるが南部では珍しい羊肉串、などを焼いてもらう。
ビールとあわせて60元ほど。かなり食べた。
隣の人は皿一杯のタニシ炒めを食べていた。

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