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日曜日。予定が無いので暇人を集めて(?)、30年以上前に放送されたテレビ番組「シベリア大紀行 」を観た。
これは江戸時代に アリューシャン列島の島に流れ着いて シベリアを横断してサンクトペテルブルクまで行った大黒屋光太夫の足跡をたどるという企画で撮影した紀行番組。

この番組の存在は 椎名誠の「シベリア追跡」を読んで知った。さらにこの番組撮影時に通訳として同行したのが米原万里と知り驚いた (この時の様子は米原万理「マイナス50度の世界」にも書かれている)。
両名ともまだ30代。彼らのこの若い時の経験を、その後30年も経って自分も参考にしようとしているのだから先人は偉大だ。

この番組を観たのは 真冬のオイミヤコンヤクーツクについて知るためなのだが、共産主義時代のソ連の様子が映っていて興味深い。当時ソ連は秘密主義で外国人は自由な旅行が出来なかったし、シベリアの様子は謎に包まれていた。

アラスカの無人島まで飛行機をチャーターして行ったり、真冬のシベリアを横断したり(特に貴重なのはヤクーツクからティンダの道路。当時はシベリア横断道路は開通していないのでそこからは鉄道になる)、この数時間の番組の為に莫大なお金が使われているのが分かる。 一民間テレビ局の番組だが、30年たっても価値がある。構成には冗長な部分も有り、古さを感じさせるのだが...

"入国"後、建物を出たらそこはロシア。当たり前だが。
でも普通、飛行機などで入国した場合とどこか様子が違う。
いきなり町のど真ん中に放り出されたというか...
 
ここは普通の住宅地。目の前に貨物の引込み線はあるが...
駅が有るわけではない。
とりあえずルーブル(ロシアの通貨)を全く持っていないので、両替しようと思ったが、銀行も両替所も無い。暇そうなロシア人(忙しそうにしている。何かを待っているようにも見える)は道端に座っているが、客引きは全く居ない。
東南アジアの国境を越えた時や、空港から外に出たところでは、タクシーやホテル、両替の客引きが居るものなんだが。
 

国境の建物(こういう場合、この建物のことを何と呼んだら良いのであろうか)へもう一度入り、KACCA(英語のCashierか?)と書かれている窓口が有ったので、人民元の札を見せて「ルーブリャ!」と言ってみた。
中のオバサンは意味を理解してくれたが、「ここは違う、あそこのオヤジに言ってみろ」という内容のことをジェスチャーで言ったのだった。
(ちなみにこの窓口は、ロシア出国税の支払所だということを後日中国に戻る際に知る)
 
教えてくれた男(本当に普通のそこらに居るような感じの男)が、両替屋(闇だが)なのであった。
 
(激写)この男が両替商だ。
 
1000元=3000ルーブル。たぶんぼられているのだが相場が全く分からず、他手段が無いので両替。
「change money!」という、ほとんど万国共通と思われる英語も通じなかった。ロシア語では両替を「アブミニャーチ」と言うらしい。
 
ルーブルも手にいれ歩き出してすぐ、タクシーを見つける。
駅まで150ルーブル。メーターが無いので交渉で。全く英語が通じないのだが運転手は「イーバイウー」と言った。中国語で数えることだけは出来るようだ。さすが国境の町。
 
駅舎は小さく、日本の地方私鉄の終着駅といった感じの駅だった。窓口も3つだけ。ただ、オンライン化されてはいて発券はスムーズ。
特急なんかではない普通の列車の切符なのだが、購入にはパスポートが必要。
切符には名前が入る。外国人だけではなく、ロシア人もパスポートや証明書を出している。
ソ連時代の移動制限していた頃の名残が残っている(もしかして今も制限されている?)。
 
時刻表を見るとこの駅出発の旅客列車は1日6本?
普通列車といってもひとつの駅間距離は30~50kmは有るのでどれも長距離列車だ。
モスクワ行の急行も有ってなかなか面白い。モスクワまでは5泊程度だろうか。
 
列車の運転時刻はすべてモスクワ時刻だ。
国内でも時差が何種類も有る広大な国土を運行するためには仕方が無い。
駅舎の時計はモスクワ時刻だけ。現地時間との時差は6時間のはずだが...
 
駅前のおばさんからピロシキ(5ルーブル)を買って、待つこと1時間半。
念願のシベリア鉄道に乗り込んだ。



シマノフスクから



 
左/大祖国戦争(第二次世界大戦)の記念碑。どこの町にもある。
右/シベリアでよく見かける木造の家。この家は大きくて立派な方。



 
シマノフスク駅構内の引込線。駅の敷地はかなり広い。



 

左/駅舎はかわいい。
右/駅前。おばさんが自分の家でつくったものを売っている。


  
左/市内を走るバス
右/ホームに有った銅像。まさかスターリン?レーニンの若い時?
 
左/力強い電機機関車
右/客車はどうしてこんな色ばかりなんだろう。







 


シマノフスカヤ駅に到着したのは23時を過ぎていた。前回に来た時は車で来たのだが、今回は駅を出てからの交通手段が無い可能性が強いので心配だった。
ホテルまでの道は、2年前に車で駆け抜けただけなのでうろ覚え。地図も無い。
深夜で真っ暗、シベリアの片田舎、マフィアとまでいかなくても強盗でもいたらどう
しようかと不安は尽きない。

シマノフスカヤで列車を降りたのは10人くらいだった。駅のホームは小さな外灯が点いているだけだったが、何も見えず手探りというわけではなかった。一応、シベリア本線の駅だ...。でも駅の規模を例えると、千葉県だと東千葉駅、滋賀県だと安土駅といった感じか(筆者は滋賀県出身で千葉在住)。決して大きい駅ではない。

一緒に降りた人の後をつけて駅舎の外に出ると、列車の客を迎えに来たのであろう乗用車が数台止まっていた。みな次々と車に乗り込んで行く。ここで取り残されると恐らく路頭に迷うことになる。凍死しかねない。
意を決してその中の一台に声をかけると、運転手は「分かった、分かった、早く乗れ」と言う。運転手の他には助手席にもう一人男。ちょっと怖い...
車は僕の覚えていた道とは違う道を進んで行き、1kmほど走ってその男を下ろした。男は50ルーブルを払っている。
もしや?と淡い期待の通り、この車はタクシーだったのだ。そこからホテルまではすぐだった。同じように50ルーブルを渡すと男は言った。「スパシーバ」。あまりにもスムーズに事が運んだことに喜んだ。


ホテルのドアは閉まっていたのだが、木の扉を開け呼び鈴を鳴らすと、中から閂を外してくれた。女の人が出て来る。泊まりたい旨を伝えると、フロントで宿帳を出してきた。宿帳に書く前に部屋を見せて、この部屋でも良いか尋ねられる。前回と同じ部屋だ。
ソファーだけしかない、トイレは共同の6畳くらいのシングルルーム。
900ルーブル(値段も変わっていない。相変わらず高いのだが、フロントに料金は掲示されている)。

(写真)ホテル外観/翌朝に撮影

名前を書いたところで、前回の写真をみせた。なぜこの写真を持っているのか聞かれる。話を聞きつけ中から出てきた人が「おぉー」と声を上げる。この人の顔は僕も覚えていた。
次々と人が出てくる。去年の宿帳からオバサンが僕の記録を探している。
握手を求められる。僕が写真を出すたびにみんな喜んでいろいろ聞いてくる。

 
人に囲まれ、次々と話しかけられながら、紅茶と牛肉炒めという不思議な夜食(こんなので180ルーブル。高い)を食べる。持ってきた焼酎を勧めると、ウォッカが出てきて、いつの間にかいつもの光景が...
今回はロシア語の会話集が有る。前回のような緊張感は無く、心地良い時間が過ごせた。

 
眠ったのは夜2時ごろ。途中、警官の見回りも来た。
今回有ることに気付いた。アルコールは勧めると男は飲むのだが、最初の一杯まではわりと遠慮している。ウォッカを一杯口にすると、そこからは早いのだが...
ソ連崩壊後、飲酒により死亡率が大幅に上がったこともあって、「飲酒は悪」という意識が浸透しているようだ。
女の人は全く飲もうとしない。男達が酒を飲み始めると女の人達は帰りだした。
禁酒の傾向が有るのは喜ばしいことでは有るのだが、ロシア人のイメージが変わってしまうことを意味するので少し寂しい。
日本人の禁煙傾向と同じ様な感じ。まわりでも同年代ではタバコを吸う人はほとんど居ないなあ。僕はタバコを吸わないし、酒も無くても苦ではないのだが。


部屋の中は暖かい。安心して眠れた。



 左/可愛い駅舎。
ブラゴベチェンスク~シマノフスク178ルーブル。日本円で1000円弱。
乗車距離、この国の物価から考えても安いのではないだろうか。

 
ブラゴベチェンスク18時3分発393号は定刻に出発。
シベリア鉄道の普通列車に乗車する外国人は珍しいだろう。普通は外国人は入国前に手配しなくてはならないのだが、こんな列車の切符は海外では入手困難というか情報が無いはずだから。

車両は中国の硬臥(日本のB寝台)といった感じ。一両に一つのドアで、一両ごとに一人車掌が居る。乗車する際に切符とパスポートのチェックを受ける。
 
始発駅なので出発のかなり前から列車は止まっていたようだ。出発の30分前頃にホームへ行き、列車の写真を撮ろうとぶらぶら歩いていたのだが警察に職務質問される。パスポート、ビザと切符を見せ、何点か聞かれる。
前回の旅行の際のようにワイロを要求したりする悪徳警官ではなかった。
 

写真)SLが展示してあった。日本より線路幅は広く、車体も大きい。
 
列車の中は暖かく、シャツだけになっても問題ない。
次の駅はどこといったアナウンスは全く無いのだが、車内放送でラジオのFMがかかっている。前回の旅行の時にもかかってた「アフターレイディオ」じゃないか!うれしい。
音量は調節できるのだが、周りから聞こえるのでどうしようもない。日本人は嫌がる人も居るかも。僕は気にならないのだが。
 
 
座席は指定されておらず。乗車率7割くらい。
ベットを下ろしたら3段ベットになるが、時間柄眠っている人は少ない。
珍しく話しかけられることも無く、6時間。景色を見たりメモをつけたりして過ごした。もしかしたら外国人だということが、車掌以外にはばれてないのかもしれない。
車掌には切符を預けてある。下車前には声をかけてくれる。
旧共産国にはよく有る、便利な制度だ。
 
急行ではないので、ワゴン販売などは無い。停車時間の長い駅でホームの物売りから買えということだろう。
ドアにはこの列車の時刻表が有ったので停車時間の長い駅は分かる。ドアに貼り付けてあるということはこの393(&復路の394)号以外には、この車両は使われないようだ。ベロゴルスクとスボボロヌイでそれぞれ40分程度も停車。外は真っ暗でホームには物売りは居ないようだった。
 
シマノフスクへは現地時刻で23時すぎに到着。
こんな所に深夜に到着は危険だと思っていたのだが、時間がないので仕方ない。
 
中国側の国境の建物は高校の体育館って感じ。
並んでいるのは大きな荷物を持ったロシア人ばかり。
荷物は1m * 1m *1mくらいのダンボール。
電化製品少しと大量の衣料品。

出国審査は少し時間かかる。
イミグレの係員(公安ではなく警察の腕章を付けている)が「日本人?」と鬱陶しそうな声で尋ねる。
近くに居た公安(茶色の制服)が走ってくる。
何か尋問されるのかと思ったら、「ハロー、ジャパン?」と笑顔で聞いてきた。
どうやら英語が使えるんだぞと見せ付けたいらしい、20代前半の若い男の子だ。
こんな無意味な通訳(?)を付ける必要は無いのだが、親切にしてくれるのでこっちも笑顔で応える。
イミグレの職員は不機嫌そうにパスポートを返した。

中国を出国し建物を出ると、そこには大きな河「松花江(アムール川)」が有る。
まだ完全に凍っていて真っ白だ。
対岸までは1km弱くらい。向こうの様子が肉眼で見える距離だ。
この氷の上をバスで移動する。
夏に利用すると思うジェットフォイルは打ち揚げてあった。
バスは北朝鮮のバス(ハングルの行き先表示がそのまま)や、古いロシア製のボンネットバスだ。
「ブラゴベシェンスク!?」と大声で聞いたら、バスの運転手が「ダ-!ダ-!」と答える。
行き先表示版には「Амул Транзит(アムールトランジット)」と書かれていた。

バスの中では僕は思いっきり目立っていた。
同い年くらいの乗客が握手をしてくる。
中学校で習う程度の英語を話せる男の人が、乗客を代表して僕に話しかけてくる。
車の話題が多い。
「トヨタを知っているか?」-「もちろん」
「ニッサンサニーに乗ってる」-「それはすごいね」
 
その中に空手をやっている人が居た。
「私はクロオビを持っている」と言われて驚いた。ロシア人に習っているらしい。
意外と日本のことが知られている。断片的にだが。
 
出発前に中国の公安が2人乗り込んでくる。
僕に目をつけ、何事かを中国語で話しかけてくる。
バス中のロシア人が「イポーニー(日本人!)」と答えると、
公安はホーと言って僕のパスポートをチェックする。
なぜか隣に座っていたロシア人だけ、同じようにパスポートもざっと調べた後、
バイバイと言って公安はバスを降りていった。
 
大量の荷物を積んだ北朝鮮製のバスは意外と快調に氷の上を走る。
普通の道と変わらない。氷の上ならどこでも走って良いというわけではなく、
"道路"が決められている。そこには「70km」「2t」と交通標識も刺さっていた。
この時点(3月)ではとても時速70kmなんて出せる道ではないのだが、凍り始めた頃は
氷は平らでもっとスピードが出せたのかもしれない。
 
出入国の間は写真撮影が禁止。
川の上をバスが走る光景はなかなか面白いと思うのだが、残念だが写真は無い。
 
バスを降りる時には運転手が、サインしてくれと手帳を出してきた。
名前を漢字でもっともらしくかくと握手を求められた。
なんなんだ?ここは。
 
ロシア側の建物は中国側より古いのだが、大きい。
X線の荷物チェックを受けた後、イミグレ。
係員は非常に親切で、並んでいるロシア人を押しのけて、なぜか僕に先に行けと言う。
並んでいるロシア人も笑顔。不思議な気分だ。
 
僕だけ職員3人がかりでチェックされる。ビザの残りが短いけど大丈夫なのかと聞かれる。
どこへ行くのかという質問にシマノフスクと答えたら、
招聘状は発行地がモスクワになってるじゃないかと突っ込まれる。
僕のパスポートやビザには招聘状のことは書かれていないので驚く。
そんなデータまで登録されて、こんな辺境までオンライン化されていているのか。
 
「いやモスワクにも行く予定だったが、ビザの有効期限が残り僅かなのでシマノフスクへだけ行く事にした」
と答えると、疑わしそうに見らはしたが、入国印を押してくれた。
東京のロシア大使館が作成した入国カードは必要無かった(ここ独自のカードに記入した)。
 
入国審査すぐに「移民登録所」と漢字で書かれたブースが有り、滞在登録をすることが出来た。ロシアでは外国人は、どの都市でも訪問3日以内に、オビールと言われる内務省管轄の役所にて滞在登録が義務付けられている(大きなホテルではフロントで代行してくれる)。今回はホテルに泊まることも無いので、こんな所で登録することが出来て助かった。
 
税関でさらにX線調査。荷物をあけられることも無くすぐに終わる。
 
そこをすぎ、建物を出るとそこはいきなり「ロシア」。
川の向こうの中国の町並みからいきなり、東ヨーロッパの田舎町に放り出されたのだった。

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