離島の最近のブログ記事

伊吹島は戦後のベビーブーム以降人口が急増する。
いくら漁場豊かとは言え、島の産業(ほぼ漁業だけ)では全員を養うことが出来ず、長男以外は出稼ぎ・島外への移住が増えた。

移住先は大阪府と兵庫県がほとんどだった。資料は昭和41年のもの。「保護者の状況」と記載あるので、小学校の教師が調べたもの。分かりやすい。
少数意見だが、出稼ぎ先にボルネオ2人と有るのが気になる。
    

この頃(戦後)の出稼ぎ先が関西だったのには理由が有る。
近いからというだけではなく、戦前から伊吹島の男性は、灘の酒造りに必要な水の運搬に従事しており、知人・親族が多く関西に居たからだ。


昭和46年に大阪読売新聞社発行の「宮水物語」のコピーが展示してあった。
"淡路の者は櫓を操るのは巧いが水樽運びは不得意、備後田島・桃島の者はその逆、伊吹島のものは両方こなす"  そうだ。理由は"出稼ぎで荷かつぎに慣れていたから"。
本当にそうなのか、そんなに地域差が有るものなのかは自分には分からないが、とにかく、灘の水くみ人夫は伊吹島出身の独断場だった。



ただ、この島外移住の流れは人口過密状態が解消されてからも止まらなかった。最初は次男・三男対策であったが、より便利な生活を求めて島民が次々と島を出て行った。現在もその流れは続いており、本籍は島に有っても実際には観音寺市外に住む人も多い。

下は25年前の調査だが、既に過疎の兆しが見える。2015年現在の住民は700人程度なので、この資料の一番最後の時点より半分近くになっている。
伊吹島に来る途中に、香川県のウエブサイトを見た。そこには「伊吹島には平安時代のアクセントが残っているとされ、言語学者だった故金田一春彦氏が2度に渡って伊吹島に来島しています。」と書いてあった。

観音寺市のサイトにも「伊吹島の言語は独特の特徴を持ち、古語に属する方言や特殊な敬語が使われ、平安時代のアクセントが残っています。言語学上貴重な島であることから、国語学者金田一春彦先生も二度ほど島を訪れました。その際に詠んだ歌が歌碑に刻まれ、建立されています。」と書いてある。

結論から言うと、これは誤りであるという学説の方が正しいと思う。
当然だが僕が提唱したわけではないのだが、たった半日しか滞在していない自分でもその"平安時代のアクセントではない"という学説の方が信憑性が有ると感じたのだ。
-------

【昭和48~49年 伊吹小学校 教師と児童による調査】
資料館には伊吹小学校の先生が自ら調べ上げた「伊吹島のことば」という小冊子が有った。アクセントよりも言葉つかいと単語に重点を置いて調べあげた力作だ。これを著した先生は特に言語学の専門家というわけではないだろうに、すごいと思う。

この調査ではアクセントよりも、言葉使い(接頭語など)と語彙・単語の収録に重点が置かれている。
アクセントについては『我々には理解できない面も多い。そこで、昭和41年の日本言語学会で発表された神戸大学の和田実先生の「第一次アクセントの発言-伊吹島」の一部を転用』と書かれており、新たな発見は無かったようだ。
ただ、内容は面白い。荒っぽいと言うか、素朴だ。アクセントを意識しないで読むだけでも、この島の人に近づけるような気がする。この調査からもう50年近く経つ。現在どれだけ残っているのか興味深い。









--//-----
【和田実氏の論文】
この"伊吹島には平安時代のアクセントが残っている"という学説は和田実氏の論文「第一次アクセントの発見~伊吹島」によって広まった。昭和40(1965)年に島で調査した際に発見したとの事。
通常、方言・アクセントなどは地域を移動するごとに徐々に変化していくものであるが、外界と閉ざされた環境であったこの伊吹島でのみ平安時代のアクセントがそのまま使用されていたとの事。同様に奈良県の十津川村でのみ東京アクセントが使用されているように、極めて例外的にこのようなことが起こるのだという。

金田一春彦氏の文章】
和田実氏の発表後、国語学者の金田一春彦氏が、昭和58(1983)年に伊吹島に来たことによって、この学説は不動のものとなったようだ。特に論文などを記したわけでは無さそうだ。島民が出版した書籍に寄稿という形で、その本の巻末に数ページ文章が有った。





---//--

ここまで上記の資料文章などを読み、島を一周散策して感じたのだが、この離島とは言え、閉ざされたとは言い難い環境で、果たして他の地域の影響を受けずに独自の、それも平安時代のアクセントが残るのだろうかということだ。

 島には水が出ない (→伊吹島の水道について)。
周辺は良い漁場とは言え、対岸から船で20分ほどならば、水も出ない不便な島に水道の無い時代はそんなに人は住んでいなかったのではないか。 神社は有るが周辺には今もほとんど家は無く(民宿と一軒だけ家は有った)、ほぼ全ての家は島の南側の港の近くの斜面に建っている。人口が爆発的に増えたのは戦後だし、集落が出来たのはせいぜい幕末頃からではないだろうか。

 閉鎖的と言っても観音寺まで毎日何便も船はあり、大正時代から関西に多くの人が出稼ぎに出ていた(→関西への出稼ぎと水船について)。 上記の和田実氏の調査の有った昭和40年代には、かなりの交流が有ったはずだ。

今回の旅を終えて帰宅後に検索したら、同様の学説もある事を知った(→伊吹島アクセントに重大な疑問)。その内容の方がしっくりくる。

しかし今はもうその真偽は分からないかもしれない。和田氏の調査からもう40年経っている。さすがに現在の住民には島から出たことが無いなんて人は居ない。テレビの影響も有る。"伊吹島だけの平安時代のアクセント"の人というのはもう居ないのかもしれない。 --

2001年 東京大学の上野善道氏が 危機方言の調査を行っている。
*「伊吹島方言の複合動詞のアクセント
* 「消滅の危機に瀕したアクセントの緊急調査
非常に細かい聞き取り調査なのだが、素人の自分ではもはや読み解くことが出来ない。
平安時代のアクセントかどうかは触れられていない(たぶん)。

下記は1983年の調査概要(古くてネットでは見つからなかったので)




港には出港時刻ぎりぎりに着いた。
窓口で切符を買おうとしたが、船の人が「お金は後で良いから、はよ乗って!」と言われ船に飛び乗る。船と桟橋との橋(←何と言うのか分からない)も揚げられていて、本当に飛び乗った。


(写真は伊吹島に着いてから撮ったもの)

島までの所要時間は20分ほど。天気も良く波も無く穏やか。

タグクラウド



カテゴリ