2006年3月アーカイブ

満州国建国前からハルピンは国際都市として栄えていた。
日露戦争前からロシア人は何万人と住んでいたし、日本企業進出前から欧米の企業が数多く進出していた。 
日露戦争、満州事変から第二次世界大戦、国共内戦と戦争は続いたが、市街地で激しい戦闘が行われなかったことも有り当時の西洋建築が数多く残っている。状態も良く、これだけまとまった数が残っている所は少ない。保存されるのでなく、現在も使用されているからだろうか。
帰りの飛行機までの数時間の間、旧市街地を荷物を背負いながら散策したら、興味深い建物を見つけた。

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(左)建物の外観
(右)門の上に有る独特のマークは!ダビデの星。

黒龍江省と接するロシア領内に「ユダヤ人自治区」が有る。イスラエル建国よりも前から有るユダヤ人の為の土地だ。実際はスターリン時代のシベリア流刑と変わらないのだが。ロシア帝国崩壊後、多くの白系ロシア人、ユダヤ人がここを経由し、資本主義者に対して中立(一応)の満州国にやってきたのだ。少し関係ないが、杉原千畝の助けたユダヤ人も、リトアニアからソ連領内を経由しここへやってきている。

白系ロシア人の活動の中心となったのがここハルピン。その資産は莫大でニューヨークやロンドンの商社もハルピンに活動拠点を置いた。満州国成立以降はさすがに連合国の企業は減るのだが、行き場の無い白系ロシア人&ユダヤ人は勢力を残し、ポリシェビキ(共産主義者など)への反発も有り、日本帝国政府などとも結びつきを強めた。その在住ユダヤ人の子弟のための学校が、この写真の建物だと言う。窓枠がダビデの星になっている。

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現在は朝鮮系中学校&韓国語学校。

入口に有る看板を見てまた驚く。ユダヤ人学校が現在は「朝鮮第二中学」と「韓国語学校」として使用されているのだ。なんて奥が深い...。ここに通っている中学生(朝鮮系中国人?)はダビデの星の意味を分かっているのだろうか。北朝鮮系の児童も、韓国系の児童も一緒にこの建物に通っているのだろうか。建物内は明確に区切られているのだろうか。

今はどこに行ったのか分からない、この学校の80年前の卒業生の数奇な運命をもっと知りたいと思った。

昼食に中華料理屋に入った。この店の売りは北京ダックのようで一羽60元。その他にもアヒルのメニューがあり、手ごろな価格だが、北京ダックはこの前食べたばかり。狗肉(犬肉)なんてのが有ったので注文する。

狗肉石鍋 15元
冷麺 3元
水餃 5元
哈尓濱ビール(ビン) 6元

オーダーする際に僕が中国語を話さないのことに気付かれる。 朝鮮人かと聞かれ日本人だと答えると、店員がわなわな集まってきた。
目立ちたくなかったのだが...こうなったら仕方ない。写真などを撮って話題を集めてみた。
僕の注文した料理は韓国人が食べるものだそうだ。そう言われてみればそうだ。
ところで店員は「朝鮮人」と言わずに「韓国人(ハングーレン)」と言った。 こんな所にまで韓国人は進出しているのだろうか(吉林省には朝鮮系の住民は多いが、黒河はそうでもない)、

犬の肉は初めて食べた。もつ鍋のようだ。



この時点で客は自分のほかに2組。ロシア人男2人組と、中国人3人組。ロシア人のテーブルには料理がたくさん並んでいる。不思議そうに僕を見たので、自分は日本人だと話すとタバコを勧めてきた。料理も勧められたが、もう腹一杯と僕のテーブルを指差すとロシア人も笑っていた。向こうも料理の分量が分らず大量に注文してしまったらしい。テーブルの上には家鴨も一羽居た。ありがたく一口だけ頂く。

中国で何を買うのかと尋ねたのだが、この二人は親子で、買出しではなく観光できたらしい。「指差しロシア語会話」がまた役立つ。英語も多少話すので何の仕事をしているのか尋ねたら何と、父親はヘリコプターの操縦士、子供(28歳)の方は建築士(ビルのエンジニアと言った)。それも1990年まで、シベリアのほぼ東端、アラスカにも近いアナディールという町に住んでいたと言う。ヘリコプターは軍隊ではなく、民間のものだと言う。エリートなんだろうか。珍しい人と知り合えた。

この2人も特にする事が無いようで、1時間以上話をした。ウォッカ狂いで無かったので良かった(今までの経験では、食事中に仲良くなって、酒を勧めあうと最後は滅茶苦茶になる可能性が高い).



シマノフスクから



 
左/大祖国戦争(第二次世界大戦)の記念碑。どこの町にもある。
右/シベリアでよく見かける木造の家。この家は大きくて立派な方。



 
シマノフスク駅構内の引込線。駅の敷地はかなり広い。



 

左/駅舎はかわいい。
右/駅前。おばさんが自分の家でつくったものを売っている。


  
左/市内を走るバス
右/ホームに有った銅像。まさかスターリン?レーニンの若い時?
 
左/力強い電機機関車
右/客車はどうしてこんな色ばかりなんだろう。







 


シマノフスカヤ駅に到着したのは23時を過ぎていた。前回に来た時は車で来たのだが、今回は駅を出てからの交通手段が無い可能性が強いので心配だった。
ホテルまでの道は、2年前に車で駆け抜けただけなのでうろ覚え。地図も無い。
深夜で真っ暗、シベリアの片田舎、マフィアとまでいかなくても強盗でもいたらどう
しようかと不安は尽きない。

シマノフスカヤで列車を降りたのは10人くらいだった。駅のホームは小さな外灯が点いているだけだったが、何も見えず手探りというわけではなかった。一応、シベリア本線の駅だ...。でも駅の規模を例えると、千葉県だと東千葉駅、滋賀県だと安土駅といった感じか(筆者は滋賀県出身で千葉在住)。決して大きい駅ではない。

一緒に降りた人の後をつけて駅舎の外に出ると、列車の客を迎えに来たのであろう乗用車が数台止まっていた。みな次々と車に乗り込んで行く。ここで取り残されると恐らく路頭に迷うことになる。凍死しかねない。
意を決してその中の一台に声をかけると、運転手は「分かった、分かった、早く乗れ」と言う。運転手の他には助手席にもう一人男。ちょっと怖い...
車は僕の覚えていた道とは違う道を進んで行き、1kmほど走ってその男を下ろした。男は50ルーブルを払っている。
もしや?と淡い期待の通り、この車はタクシーだったのだ。そこからホテルまではすぐだった。同じように50ルーブルを渡すと男は言った。「スパシーバ」。あまりにもスムーズに事が運んだことに喜んだ。


ホテルのドアは閉まっていたのだが、木の扉を開け呼び鈴を鳴らすと、中から閂を外してくれた。女の人が出て来る。泊まりたい旨を伝えると、フロントで宿帳を出してきた。宿帳に書く前に部屋を見せて、この部屋でも良いか尋ねられる。前回と同じ部屋だ。
ソファーだけしかない、トイレは共同の6畳くらいのシングルルーム。
900ルーブル(値段も変わっていない。相変わらず高いのだが、フロントに料金は掲示されている)。

(写真)ホテル外観/翌朝に撮影

名前を書いたところで、前回の写真をみせた。なぜこの写真を持っているのか聞かれる。話を聞きつけ中から出てきた人が「おぉー」と声を上げる。この人の顔は僕も覚えていた。
次々と人が出てくる。去年の宿帳からオバサンが僕の記録を探している。
握手を求められる。僕が写真を出すたびにみんな喜んでいろいろ聞いてくる。

 
人に囲まれ、次々と話しかけられながら、紅茶と牛肉炒めという不思議な夜食(こんなので180ルーブル。高い)を食べる。持ってきた焼酎を勧めると、ウォッカが出てきて、いつの間にかいつもの光景が...
今回はロシア語の会話集が有る。前回のような緊張感は無く、心地良い時間が過ごせた。

 
眠ったのは夜2時ごろ。途中、警官の見回りも来た。
今回有ることに気付いた。アルコールは勧めると男は飲むのだが、最初の一杯まではわりと遠慮している。ウォッカを一杯口にすると、そこからは早いのだが...
ソ連崩壊後、飲酒により死亡率が大幅に上がったこともあって、「飲酒は悪」という意識が浸透しているようだ。
女の人は全く飲もうとしない。男達が酒を飲み始めると女の人達は帰りだした。
禁酒の傾向が有るのは喜ばしいことでは有るのだが、ロシア人のイメージが変わってしまうことを意味するので少し寂しい。
日本人の禁煙傾向と同じ様な感じ。まわりでも同年代ではタバコを吸う人はほとんど居ないなあ。僕はタバコを吸わないし、酒も無くても苦ではないのだが。


部屋の中は暖かい。安心して眠れた。



 左/可愛い駅舎。
ブラゴベチェンスク~シマノフスク178ルーブル。日本円で1000円弱。
乗車距離、この国の物価から考えても安いのではないだろうか。

 
ブラゴベチェンスク18時3分発393号は定刻に出発。
シベリア鉄道の普通列車に乗車する外国人は珍しいだろう。普通は外国人は入国前に手配しなくてはならないのだが、こんな列車の切符は海外では入手困難というか情報が無いはずだから。

車両は中国の硬臥(日本のB寝台)といった感じ。一両に一つのドアで、一両ごとに一人車掌が居る。乗車する際に切符とパスポートのチェックを受ける。
 
始発駅なので出発のかなり前から列車は止まっていたようだ。出発の30分前頃にホームへ行き、列車の写真を撮ろうとぶらぶら歩いていたのだが警察に職務質問される。パスポート、ビザと切符を見せ、何点か聞かれる。
前回の旅行の際のようにワイロを要求したりする悪徳警官ではなかった。
 

写真)SLが展示してあった。日本より線路幅は広く、車体も大きい。
 
列車の中は暖かく、シャツだけになっても問題ない。
次の駅はどこといったアナウンスは全く無いのだが、車内放送でラジオのFMがかかっている。前回の旅行の時にもかかってた「アフターレイディオ」じゃないか!うれしい。
音量は調節できるのだが、周りから聞こえるのでどうしようもない。日本人は嫌がる人も居るかも。僕は気にならないのだが。
 
 
座席は指定されておらず。乗車率7割くらい。
ベットを下ろしたら3段ベットになるが、時間柄眠っている人は少ない。
珍しく話しかけられることも無く、6時間。景色を見たりメモをつけたりして過ごした。もしかしたら外国人だということが、車掌以外にはばれてないのかもしれない。
車掌には切符を預けてある。下車前には声をかけてくれる。
旧共産国にはよく有る、便利な制度だ。
 
急行ではないので、ワゴン販売などは無い。停車時間の長い駅でホームの物売りから買えということだろう。
ドアにはこの列車の時刻表が有ったので停車時間の長い駅は分かる。ドアに貼り付けてあるということはこの393(&復路の394)号以外には、この車両は使われないようだ。ベロゴルスクとスボボロヌイでそれぞれ40分程度も停車。外は真っ暗でホームには物売りは居ないようだった。
 
シマノフスクへは現地時刻で23時すぎに到着。
こんな所に深夜に到着は危険だと思っていたのだが、時間がないので仕方ない。
 
中国側の国境の建物は高校の体育館って感じ。
並んでいるのは大きな荷物を持ったロシア人ばかり。
荷物は1m * 1m *1mくらいのダンボール。
電化製品少しと大量の衣料品。

出国審査は少し時間かかる。
イミグレの係員(公安ではなく警察の腕章を付けている)が「日本人?」と鬱陶しそうな声で尋ねる。
近くに居た公安(茶色の制服)が走ってくる。
何か尋問されるのかと思ったら、「ハロー、ジャパン?」と笑顔で聞いてきた。
どうやら英語が使えるんだぞと見せ付けたいらしい、20代前半の若い男の子だ。
こんな無意味な通訳(?)を付ける必要は無いのだが、親切にしてくれるのでこっちも笑顔で応える。
イミグレの職員は不機嫌そうにパスポートを返した。

中国を出国し建物を出ると、そこには大きな河「松花江(アムール川)」が有る。
まだ完全に凍っていて真っ白だ。
対岸までは1km弱くらい。向こうの様子が肉眼で見える距離だ。
この氷の上をバスで移動する。
夏に利用すると思うジェットフォイルは打ち揚げてあった。
バスは北朝鮮のバス(ハングルの行き先表示がそのまま)や、古いロシア製のボンネットバスだ。
「ブラゴベシェンスク!?」と大声で聞いたら、バスの運転手が「ダ-!ダ-!」と答える。
行き先表示版には「Амул Транзит(アムールトランジット)」と書かれていた。

バスの中では僕は思いっきり目立っていた。
同い年くらいの乗客が握手をしてくる。
中学校で習う程度の英語を話せる男の人が、乗客を代表して僕に話しかけてくる。
車の話題が多い。
「トヨタを知っているか?」-「もちろん」
「ニッサンサニーに乗ってる」-「それはすごいね」
 
その中に空手をやっている人が居た。
「私はクロオビを持っている」と言われて驚いた。ロシア人に習っているらしい。
意外と日本のことが知られている。断片的にだが。
 
出発前に中国の公安が2人乗り込んでくる。
僕に目をつけ、何事かを中国語で話しかけてくる。
バス中のロシア人が「イポーニー(日本人!)」と答えると、
公安はホーと言って僕のパスポートをチェックする。
なぜか隣に座っていたロシア人だけ、同じようにパスポートもざっと調べた後、
バイバイと言って公安はバスを降りていった。
 
大量の荷物を積んだ北朝鮮製のバスは意外と快調に氷の上を走る。
普通の道と変わらない。氷の上ならどこでも走って良いというわけではなく、
"道路"が決められている。そこには「70km」「2t」と交通標識も刺さっていた。
この時点(3月)ではとても時速70kmなんて出せる道ではないのだが、凍り始めた頃は
氷は平らでもっとスピードが出せたのかもしれない。
 
出入国の間は写真撮影が禁止。
川の上をバスが走る光景はなかなか面白いと思うのだが、残念だが写真は無い。
 
バスを降りる時には運転手が、サインしてくれと手帳を出してきた。
名前を漢字でもっともらしくかくと握手を求められた。
なんなんだ?ここは。
 
ロシア側の建物は中国側より古いのだが、大きい。
X線の荷物チェックを受けた後、イミグレ。
係員は非常に親切で、並んでいるロシア人を押しのけて、なぜか僕に先に行けと言う。
並んでいるロシア人も笑顔。不思議な気分だ。
 
僕だけ職員3人がかりでチェックされる。ビザの残りが短いけど大丈夫なのかと聞かれる。
どこへ行くのかという質問にシマノフスクと答えたら、
招聘状は発行地がモスクワになってるじゃないかと突っ込まれる。
僕のパスポートやビザには招聘状のことは書かれていないので驚く。
そんなデータまで登録されて、こんな辺境までオンライン化されていているのか。
 
「いやモスワクにも行く予定だったが、ビザの有効期限が残り僅かなのでシマノフスクへだけ行く事にした」
と答えると、疑わしそうに見らはしたが、入国印を押してくれた。
東京のロシア大使館が作成した入国カードは必要無かった(ここ独自のカードに記入した)。
 
入国審査すぐに「移民登録所」と漢字で書かれたブースが有り、滞在登録をすることが出来た。ロシアでは外国人は、どの都市でも訪問3日以内に、オビールと言われる内務省管轄の役所にて滞在登録が義務付けられている(大きなホテルではフロントで代行してくれる)。今回はホテルに泊まることも無いので、こんな所で登録することが出来て助かった。
 
税関でさらにX線調査。荷物をあけられることも無くすぐに終わる。
 
そこをすぎ、建物を出るとそこはいきなり「ロシア」。
川の向こうの中国の町並みからいきなり、東ヨーロッパの田舎町に放り出されたのだった。


飛行機から歩いて空港ビル(3階建てくらいの建物)まで、滑走路の端を歩く。

黒河の空港から市街地までは車で20分くらいだろうか。バスは無い。

荷物を受け取り所にはタクシーの運転手の客引きが10人くらい居る。立入禁止区域も何も有った物ではない。みんな獲物を捕まえようと必死だ。
ただこちらとしても、このタクシーを逃すと交通手段が無くなってしまうので誰かを選ばなければならない。最初は50元と言っていたが、すぐに20元に落ち着く。距離からして妥当な金額だと思う。

空港の周りは何も無い。本当に何も無い。
荒野だ。色で言うと、茶色と白色がまだらになっている。
凍っているのだが雪は無い。大陸性気候で冬の間の降雨量はほとんど無いのだろう。


街の様子は...中国の田舎町と言った感じ。10階建てくらいの大きな建物も有り、 中心となる通りのクロスしているあたり数百m四方はビルが並んでいる。
建物では目立つのは賓館(ホテル)と商城(小売店が入居するデパートのような物)だ。

看板にはほとんど中国語と並んでロシア語で書かれている。
この街を素通りしてタクシーに乗ったまま、国境のゲートに向かった。

翌朝の便でハルピンをでてしまうのでハルピン滞在時間は数時間しかない。
帝政ロシア時代の建物が立ち並ぶキタイスカヤ(中央大街=китаиская=ロシア語で「中国人の街」の意)を散策。この通りに限らずハルピンには歴史の有る建物が多い。そのほとんどは西洋風建築だ。

夜8時で人通りもそんなに多くない。もう閉まっている店も多い。
ロシア料理のレストラン「華梅西餐庁」で食事。開業1925年という老舗だそうだ。
ただ、味は期待してタクシーで行った割には...
中国人の味覚にあわせられているのかもしれない。

中国の高級レストランにはどこでも居る「いらっしゃいませガール」が僕が持つガイドブックを気になったらしく、筆談で応じる。明日ロシアに行くということを伝える。この店には日本人は一日あたり3〜4人は来るとの事。僕には多いのか少ないのか分からない。店は3階建てで石造り、重厚な感じ。



通りの向かいにはハルピンの中でも由緒有るホテル「モデルンホテル」。「MODERN HOTEL」だがモダンホテルではない。(写真)

*「いらっしゃいませガール」;
店の入口に立ち、客が通ると「歓迎光臨(いらっしゃいませ)」と言う女の子。
注文を取ったり料理を運ぶウエイトレスではない。
挨拶をするのだけが仕事。大きい店には数人が立ち並んでいることも多い。
給料は一体いくらなんだろうか...
人気の職業というわけではないらしい。(天津在住/T大王談)

中国ロシア国境の町、黒河までは飛行機と列車を乗り継いでいくと
うまくいけば出発の翌朝に到着できる。
こんな奥地にもたった1泊で行く事が可能なのだ。

当初の予定経路
3/17 成田-北京 JL
3/17 北京-ハルピン CA
3/17 ハルピン(夕方)-黒河(翌朝) 夜行列車

実際の経路
3/17 成田(09:30)-大連(11:30) JL797
3/17 大連(15:40)-ハルピン(18:30) CZ3603
3/18 ハルピン(11:35)-黒河(12:40) SC4897



【成田~大連】 (日本航空797便)
大連行の便が早く出ると言うので、成田空港で航空券の変更をする。
こういうときに特典航空券は便利だ。
手数料3050円(発券時と為替変動の為税額が変更)。
大連の視界が悪く、途中で引き返す可能性有とアナウンス有ったが、気にしないことにする。
成田に戻ってくることになっても話のネタにしよう...
(大連周水子空港は、海に近いことも有り霧が出やすいので有名)
時刻どおりのいたって普通のフライトだった。



【大連~ハルピン】(中国南方航空3603便)
大連空港到着後90分の乗継時間。ハルピン行きの中国南方航空の便が有ったので、大連空港にてチケットを購入。
何も言わなくても30%割引/Y70(定価840元を580元)で航空券を発券してくれた。

だが、出発時刻が13:10発が15:00に変更になるとのこと。
ハルピン発黒河行の夜行列車に間に合うぎりぎりの時刻だ。

空港ですることもなく3時間...
しかし出発時刻15時になってもエプロンに飛行機は見当たらない。
英語のアナウンスは有るのだが「15時に変更になりました」とだけ。
実際に飛行機が飛び立ったのは15時40分だった...
機内放送で、この飛行機は広州発大連経由ハルピン行で、広州の出発が遅れたと伝えられる。
なぜ広州の出発が遅れたかというのは伝えられないのだが...

ハルピン空港を出たのは18時半。
夜行列車は間に合わないのでとりあえず市内行のバスに乗った。
空港からは市街地は50kmも離れている。バスで50分。20元。



【ハルピン~黒河】(山東航空4897便)
航空券はホテルのビジネスセンターで発券。580元。
ハルピン空港までタクシー。99元。100元で釣りは受け取らなかったら喜ばれた。
チップの習慣の無い国だが、1元でここまで大げさに喜ばなくても。。

 

ゲートから飛行機までバスで移動。
70人乗りぐらいの中型機。搭乗客の半分は白人。たぶん全員ロシア人。


時刻どおりのフライト。飛び立ってすぐに雲に包まれるが、
30分くらいで視界が晴れる。いつの間にか地上は真っ白の山岳地帯だった。

 
黒河空港は一日一便、この便だけが発着する小さな空港。
タラップから降りて荷物引取りのカウンターまで、てくてく歩く。
乗客の預かり荷物を積んだ軽トラが、横をゆっくり走っていた。




ハルピンでは駅前に有る龍門賓館に宿泊。
ここは1945年まで(満州国時代は)満州鉄道(満鉄)直営の「ヤマトホテル」だった。
ヤマトホテルは日本の傀儡国家、満州国のコロニアルホテル。
大連、新京(長春)、奉天、ハルピンに有った。
日本人の支配者層、外国人が主に滞在したホテルだ。

龍門賓館の貴賓楼の部分は当時のままの建物で、
そこに出来れば泊まりたかったのだが前知識が無く、
「一番安い部屋で良い」と言ってしまったばかりに新館の部屋になった。
定価580元を390元で。180元のトイレ無部屋も有るが中国人民用とのこと。
13階の客室からはハルピン駅の構内が見下ろせて見晴らしは良かった
(このハルピン駅では18年、伊藤博文が暗殺されている)。

ホテルのサービスはまぁ良い。高級感というほどではないのだが。
フロントですら僕程度の英語力(=最低限)しかないのだが、親切だ。
黒河への航空券を頼んだらちゃんと買っておいてくれた(手数料無料、結局チップも払わず)。

貴賓楼の部分は"さすが"だ。もともとこのホテルは満鉄が建てたのではなく、帝政ロシア時代に建てられたもの。 列強が清を事実上の植民地にしていた時代、威勢を示すために建てただけあって立派だ。年号がはめられた入口。ドアマンに、木の回転ドアを押してもらい中に入る。
フロントの前のロビー。

暖炉(今は使われていない)の前のソファーに座ってみる。


絨毯の引かれた廊下、すりへった手すりの階段、大きなシャンデリアの食堂(何室か有る)。問題は現在の中国人の美意識がちょっと...ということだが。変な装飾や看板をわざわざ付け足したりしている。

古いというだけでない。政治家、財閥、軍人など著名人が泊まったことというのも歴史好きには堪らないのだが、ここハルピンのヤマトホテルならではの事件が有っただろうことに思いを馳せると楽しい。
ハルピンは満州の北部、外国人が多く住んでいた都市。
日本と国民党、ロシア、アメリカなどの列強諸国、それぞれの勢力の間を彷徨う軍閥との地下交渉が行われた町だ。秘密の保てる、日本の国家権力に守られたこのホテルで、記録には残っていない様々な事件、交渉が起こったであろうことは容易に推測される。

ハルピンにも現在は外資系のホテルが進出している。
そっちの方がここよりもずっと高級で、実際サービスも洗練されているのだが、
せっかくハルピンに来たのだったら、最初の夜にはこの龍門賓館がおすすめ。

0603040801天津では「ASTOR HOTEL(利順徳大飯店)」に泊まる。
たった一泊。それも深夜2時にチェックイン、9時にチェックアウトだが。

開業1863年の租界時代の趣を残すクラシックホテル。
部屋はいたって普通なのだが、旧館の廊下やレストランを覗くとさすがと思わせる雰囲気。文革時代をどう乗り切ったのかは分からないが古い家具なども保存してあるみたい。
 
0603040800部屋にホテルの歴史を記した写真集がおいて有った。
滞在客にはフーバー米大統領や中国の歴史上人物がゴロゴロ。
張学良孫文なんて名前を見ると歴史好きにはたまらないだろう。
清が滅び満州国が出来るまでの間、日本租界にいた溥儀が天津でパーティをする映画「ラストエンペラー」のシーンを思い出す。
 
ホテルの周りは各国が造った石造りの建物が、現在も使われている。もっと観光資源として活用したら、魑魅魍魎が跋扈した20世紀前半の激動の時代を再現した場所として人気が出ると思う(現状は...う〜んって感じ)。 
 
記念に卓上カレンダーを持って帰ろうとしたら、チェックアウトの際に10元とられた。
もっとゆっくり滞在した方が良いところ。天津自体は観光都市ではないが。

060306-gurou

帰りの飛行機の時刻まで余裕が有ったので、ホテルで自転車を借りて北京の胡同をサイクリング。

自転車は1日15元(230円)。
 
北海のまわりをあてどなく走る。
客待ちの人力車がたくさん。
これは胡同観光用のもので、市民の足というわけではない。
外人(特に白人)も多いが中国人も利用している。
 
観光客向けの店も多い。
化粧品などの昔のポスターを購入。1枚あたり10元。
最初は60元と言われたがどの店もすぐに10元まで下がる。
昨日買った文化大革命時代のポスターは本物のようだが、これは複製と思う。
年代は1930年代くらいか。
 
 
060306-kaifen
 

写真1/鼓楼

写真2/?額には愛新覚羅の揮毫
 


 
 
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写真3/北海を1周する
 
 
 
 
 
 
 
 
 



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昨日出会った大学生に教えてもらった茶屋(茶家博)で休憩。
 
まだ開店前だったが玄関前に居た九官鳥と話をしていたら店の人に招き入れられた。
(九官鳥は「你好!」「再会!」と、人間の子供の声で話す)

 

 


 


 

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花茶(銘柄忘れてしまった)を注文、38元。
他にもいろいろ有ったが割りと高めの値段設定。
ただサービスなどは良い。何時間でも居られるのでお徳かも知れん。
 
中国菓子や梅などをつまみながら、本を読み時間をつぶす。
気をきかしてくれたのかソファーのある個室。
店を出る時におばあさんが来て、そのおばあさんが「招富財宝」と書いた書を貰う。
共産主義だった(もしかして今も?)中国。
でも考えることは僕と似ているような気がする。
060305sihe02北京では「四合賓館」に泊まる。
ネットで見つけた。
王府井から歩いて15分くらい。
便利なところのわりには静か。
 
 
 
 
060305sihe01
 
故宮を皇居、王府井を銀座の繁華街とすれば、ここは浅草の旅館といったところか。古い四合院を改装した感じの良いホテル。
中庭も良い感じ。
 

  
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受付も感じが良い。
ちょっとぎこちない英語、フレンドリーな対応。
 
値段がもうちょっと安かったらなぁ。
一部屋(二人)で450元(7000円)。
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O氏の乗ったNW機が機材故障で2時間も遅れた為、北京空港から天津行の最終バスに間に合わず、タクシーで天津に向かう。天津までは150km。東京からだと前橋や沼津くらいの距離。タクシーでの移動としては人生で最長距離だろう。

運転手もさぞかし大喜び!...と思ったのだが、そんな感じにも見えない。乗る前に値段交渉すると500元(7500円)と言ってきたので、もっと安くならないかと言ったところ、じゃあメーターで行こうと運転手自ら言い出す。あれ?メーターの方が高くなるってことだろうか?

メーターをまわすと売上記録が残り納税しなくちゃいけなくなるので、運転手は嫌うことが多い...はず。乗客にとってはメーターの明朗会計の方がありがたい場合が多いけど。発展途上国などメーターが普及していない国では値段交渉がいつも面倒で、今回も覚悟はしていたのだが。


1時間ほど走った高速道路のジャンクションのような所でいきなり止まる。そこには冀(河北省)ナンバーのタクシーが1台止まっている。どうやら今まで乗ってきたタクシーは北京ナンバーで、天津まで行くのが面倒なようだ。時間は深夜1時。天津で客を拾うことは出来ないし、また北京に戻るのも大変、この辺で勘弁してってことか。
この時点までのタクシー代(メーターの96元と高速代10元)を払い、タクシーを乗り換える。
これまでのタクシーは初乗り10元、1kmにつき1.6元。新しいタクシーは初乗り5元、1kmにつき1.2元と安い。北京とその隣の河北省だけでこんなに物価が違う。安い車に乗り換えられてこっちにとってもラッキーだ。

京津塘高速にのり2時間、やっと天津に到着。最初は運転手の運転の荒さ、車間距離の短さに驚いていたのだが、到着した頃には慣れてしまった。日本の10倍くらいの確率で交通事故が起こるような気がする。統計見てないけど。

料金は360元(5500円)。まぁ予定通り。運転手は途中みかんを何個かくれたり、タバコを勧めたり(僕は吸わない)。途中ガススタンドでは仲間の運転手(?)に「日本人乗せてるんだぞ」と自慢したり...
と良い人だった。

0603041930北京拷鴨「全聚徳」。

王府井を散歩中に店舗を見つけたので入る(ここは本店ではない)。

北京ダックを1羽と、家鴨の(がらの)スープ、蒸した肉に卵黄をはさんだもの、副菜少々と炒飯を頼む。
 
北京ダックはテーブルの前で切り分けてくれる。まぁ美味いのだが、期待が大きすぎたのか...北京ダック以外はあえてここで頼むほどでもない。炒飯は...キュウリの入った油ごはんって感じ。
 
店の入口にはこの店に世界中から来た大物(政治家が多い)
の写真が並んでいるんだけど...貧乏者向け料理を出されたのか知らん。
0603041040
JALのマイルを使って北京へ行く。
JALに一回も乗らずにクレジットカードなどで貯めたマイル...
 
無料航空券なのにJALは燃料調整費をとる。数千円になるのでけっこう痛い。
この前とったNWの時は無料だったので、余計に気になる。
 
乗客はほとんどが日本人。
なのに乗務員から僕だけ飲み物はどうするか英語で聞かれた...
「梅酒」と言ってやった。
(さすがJAL。エコノミーにこんなの積んでるんだ...)
 
アナウンスが多い。言葉遣いが非常に丁寧なんだけど...
アナウンスの時は映像が途切れる。
帰りの便は「ALWAYS 三丁目の夕日」が全部観れなかったじゃないか!
ラスト20分だけレンタルビデオ借りろって言うんか。

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