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2006年11月
「開平」
「珠海」(広東省)
「マカオ」
| 11月17日(金) 開平(1)−赤坎鎮 |
週末を利用して中国広東省の「開平」という町(地域?)へ行ってきた。開平は珠海からバスで3~4時間の所にありに在り、人口70万人。どうやら世界遺産になるらしい。聞いたことの無い名前の町、気になって行ってみた。 そもそもなぜここが世界遺産になったかというと、この地域に多く建つ建物が独特の様式だからだ。中国の片田舎に突如として西洋風建築が何軒もそびえ立っているのだ。その数1,833棟(現地資料館の説明による)。
それも最近中国の景気が良くなって建てられたというのではない。今残っている物で一番多い年代で1920年代という。日本では大正時代だ。 なぜこの地域にこのような城のような塔が建てられたかというと、この地域は昔から水害と盗賊に苦しめられてきたかららしい。村人たちは災害、犯罪から逃れるために自衛の為に立派な家を建てるようになったという。
そして清代末期、アヘン戦争で清はイギリスに負け、香港(ここから200kmくらいか)はイギリス領となる。広東には外国人が支配者層として入り込む。そして貧しかった農民達は、ゴールドラッシュに沸くアメリカやオーストラリアへ移民としてり渡っていった。もちろん自分の意思で行ったものよりも、アヘン代や小作料など借金が払えなくなったり、人身売買、騙されて出国した者も多かっただろう。 しかしこの移民達の中には成功者も現れた。苦労して外国で働いて得た資産を彼らは地元に送金した。出稼ぎ先の国から仕送りしてくる資産は、当時の国力の差もあり莫大なものであった。その資金によって彼らは家を建てた。異国から送られてきた絵葉書を見ながら見よう見まねで建物はどこか不思議な形をしている。 年を経るにつれ、成功して帰国して錦を飾る者も出てきた。彼らは資材も欧米から輸入し豪華絢爛な建物を建てたのだ。
行く前に千葉中央図書館をざっとみたのだが、資料が全く無い。ガイドにも一切載っていない。ネットでみつけたサイト「開平の歩き方」に唯一にして、しかし使える情報が有った。 世界遺産博士のIっちゃんに開平に行くと言ったら...既におさえておられた。さすがだ。 Kaiping Dialous (開平碉楼−開平市政府の英語サイト) 11月17日金曜日。仕事を早めに終わり夕方、成田より港龍航空にて香港へ。また成田でラウンジ使えず。無料権持ってても意味が無い。空港まで近いと時間の余裕を持って行くことが無く、いつもぎりぎり。 香港空港からなんと珠海行の高速船が間に合う。これを使えば香港の街に行く必要がない。マカオにも寄らずに行けるとは驚き。ランタオの空港から深セン行のフェリーも有った。来る度にどんどん変わっていく。前回からまだ半年も経っていないのに。
赤坎鎮以外にも楼閣は周囲数十kmにわたって点在している。特に情報も無くどこの村に向かうか迷うが、赤坎鎮行のバスが有ったので特に理由も無く。
赤坎鎮はこじんまりとした街だった。建物はどれも3階建て程度。洋風のベランダが有る家が多い。旧くて独特の雰囲気。中国ではなく、タイなどの東南アジアに有る中華街の雰囲気。 建物の色は落ちて古〜いなんとも言えない雰囲気。ただ昔日の繁栄ぶりは分かる。撮った写真は人が誰も写っていないので廃墟のようだけど、実際はもっと人が居て適度に賑やか。
バス通りから路地に入っていくと、川沿いの通りに出た。柳の木の下で将棋をする老人、いすに寝て新聞を読む人、ゆっくりした時間の流れ。中学生の団体が写生をしていた。
それにしてもなんと独特の眺め。100年前の上海のフランス租界やベトナムでも似たような風景が見れたかもしれない。
どうやらこの建物は売りに出されているみたい。 値段は書かれていない。とりあえず電話をとのこと。 静かな生活をするのにぴったり。生活費は格安。
映画撮影用に復元したエリアが有った。入場料20元。 受付の女の子が僕が日本人であることに気づき驚く。香港人と思われていたようだ。「英語が下手でごめんなさい」と言われる。いや、こんな所で英語で話しなくてもいいですよ...(僕は英語使いではない)
割と絵になる。
移民についての展示室で。
当時のアメリカの新聞の風刺画。 [The Chinese must GO!] 押し寄せる中国人を追い出している。
当時の生活用具。
移民が出発する様子。 ここは港町で目の前の川からも海外に多くの人が旅立っていったようだ。
当時の資産家の家を実物大で再現してある。吹き抜けになった天井。ステンドガラス、シャンデリア。
中国といえば大小。
外では新婚写真を撮っている人がいました。
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| 11月17日(金) 開平(2)−自立村へ |
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自立村(“革命”後につけられた名前とすぐ分かる)は観光地化されており、入村料が必要。 楼閣は開平周辺に1833棟有るとのことだが、見学できるようになっている所は少ない。今も人が住んでいる所も有るのだが、ほとんどは廃墟となっているようだ。一部は犯罪者の巣窟になっている危険な所も有るようだ。国共内戦が終わり、共産主義が台頭するにつれ、ここに住んでいた「資本家」は危険を感じ、ほとんどが海外脱出をしたようだ。元は労働者なのに。 この地域が貧しかったことと、香港/マカオ/広州(当時は英仏資本がなだれこんでいた)が近くに有り外国が身近だったことで、開平出身者は世界中に散っていった。現在も開平同郷会の活動は盛んなようで、その活動の様子が展示してある。 開平周辺は、太平洋戦争初期に激しい戦闘が行われたようだ。楼閣は本来、匪賊から身を守るために建てられたものであり、戦争の時はここに立て篭もった中国軍と攻撃側の日本軍との間で激しい戦闘が有ったそうだ。日本軍のイメージは非常に悪いです。ただ、資本主義という点で広東人は日本自体のイメージは悪いと言うわけでもなく、複雑な感情のようだ。
楼閣の中。100年前にしてはかなり豊な暮らしと言えるのでは。
この楼閣に住んでいた人たち。いかにも「成功者」というオーラが出ている。
立派な神棚(中国では何と言うのだろうか)。 文革時代に取り壊されていたものを、修復したっぽい。
中華民国時代のフィリピン航空のポスター。格好良い。中国にこんな物が残っているとは。戦争や文革をどうやって乗り越えたんだろう。
1907年のオークランド銀行の証書。 どれくらいの価値があったんだろう。NZでどれくらいの労力で得たのか、そして広東でどれくらいの物を得ることが出来たんだろう?
ビザだったかな?サンフランシスコへの船のチケットかも。(記録するの忘れた。携帯電話のカメラで撮影したんで文面が読めない)
自立村を出た後に、通り道だから見ていきなさいという薦めにしたがって「立園」へ。自立村を観光中は、バイクタクシーの運転手は近くに居たピーナッツ売りのおばちゃんとお茶を飲みながら待っていてくれた。
立園は貧しくしてアメリカに渡り成功した「謝維立」さんが、故郷に錦を飾った際に造った邸宅。馬鹿でかい庭園で有名だそうで、今は観光客がたくさん来ている。 家の前にはスーツを着てポーズを決めた銅像。近江商人とはちょっと違う自己顕示の仕方だ。 ただ、こんな人生も良いなぁ。どうやって一代でこんな巨万の富を得たのだろうか。100年前に貧しい中国人が、言葉も文化も違うアメリカへ渡る。人種差別も激しかった頃に。洗濯工を地道にやってても、鉄道敷設工事に汗をいくら流したところで、こんな富を得るのは無理だ。どんな労働で元手をためて、いったい何の商売をしたのだろうか。知りたいことは一杯だが、日本語の情報はない。ネットで「謝維立」検索しても出てくるのは「謝維立的四個太太」( 謝維立の4人の妻)なんて情報ばかり... 残念ながら立園についたときは既に夜7時。外はまだ明るいが、閉園時間ということで建物には入れなかった。庭を少し散歩。日本庭園のような繊細さは無いが、中国と西洋の入り混じった、でも最近改装したなというのが分かる、庭園というより公園だった。
手作りお菓子を買う。確か1元か2元。 素朴で良い。バスで食べるのにピッタリ。
赤坎鎮まで送ってもらい、バイクタクシー運転手と別れる。一日しか回れなかったが、開平市内に宿を取り2日以上かけてバイクで回れば楽しいような気がする。赤坎鎮に泊まるのも面白いかも。たぶん超格安(一番良い部屋でも60元くらいらしい)。 ------------
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| 11月18日(土) 珠海 |
| 開平から珠海へのバス。途中、ガソリンスタンドでの給油休憩のとき、乗客がバスを降りて煙草を吸ったところ、スタンドの従業員が「ここで吸っちゃ駄目だ」と軽く注意をしたら、乗客逆切れ。言葉分からないけど何言ってるのかよーく分かった。 この事件のせいで出発遅れる。いい加減にしてほしい。 土曜日の夜なのでホテルどこも高い。部屋の空きはどこも有るのだが... 夕食は偶然近くにあった「鼎泰豊」で魯肉飯定食。18元。いまいち。一人で食事するときに飲むことは日本では無いのだが安いのでビール(たしか瓶で3元)を飲む...がやはり面白くないのですぐ部屋に戻った。せっかくなので小龍湯包をお土産に。台湾で食べた時は感動したのだが... 深夜だが人通り多い。新宿に居るようだ。
(写真)珠海に有ったたこ焼き屋。3個で3元。 マヨネーズかわさびソースを追加できる。 割とはやっていた。他の物価からすると高いように感じる。 意外とうまかった。
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| 11月19日日曜日
翌朝はマカオへ。年に一度のマカオグランプリの日だ。まさかこの日だとは日本を出るときには思いだにしていなかったのだが、ホテルの人に聞いて思わずあっと声を出して驚いた。 写真/国境は週末に越境する人で大混雑。 越境所要時間約3時間。今までで一番時間がかかった。
国境からはカジノの無料バスを乗り継いでフェリーターミナルへ。ここがスタート地点であることは知っていたので。 チケットは朝までは残っていたようだが、残念ながらSOLD OUT。
(写真)SOLD OUT。 チケットは売り切れていたがフラッグやキャップなどの記念品は値引き販売していた。
マカオグランプリ(Grande Prémio de Macau/澳門格蘭披治大賽車/Macau Grand Prix)は83年から毎年行われているF3レース。F1への登竜門という位置付けで初代優勝はアイルトンセナ。他にもシューマッハなどが優勝しており、将来のヒーローの卵が眠っているらしい。今回は中島一貴など日本勢のえんとりーも多く注目されている...らしいのだが前知識無く、残念ながら自分には分からない。(帰りに香港で、自動車雑誌の編集者&レースチームのアシスタント(?)と知り合うも、理解できず...すいません。) モナコグランプリと同じで専用レースコースではなく市街地で行われる。だから観覧席のチケットが入手できなくても市内のいたる所でレース自体は見れるのだ...と思ってたがちょっと違った。走っている「車」は見れるのだが...時速300km/h(正確な数字は知らない)の車を至近距離で見てもさっぱり分からない。写真を撮ろうと携帯カメラで試みたがさっぱり写らない。唯一、車(?)が写っていたのがこれ。 フェリーターミナルとリスボアの間の公園の壁によじ登ったりいろいろ抵抗はしてみたが...観覧席(2箇所有った。実況やモニターも有る)に入らないとさっぱり訳が分からない。 とりあえずレースの時間帯は街中に車の爆音が響き渡る。コースにはほかの車や人が入ってこないようにガードが作られるのだが、急なカーブなども多い。リスボアのカーブ前で見ていたときは、自分の視界で事故を2度も見た。車はすぐにクレーンで吊り上げられコース外に出される。世界でもっとも難易度が高いコースというのは実感できて面白い。チケットさえ前もって買っていればもっと...
レースが終わった後は、カジノは夜に残しておいて市内を散歩。香港を朝に出る飛行機で帰国するので、マカオは深夜4時ごろの高速船で出るので宿は取っていない。 八角堂。元は何だったか忘れたけど居間は小さな図書館。
聖フランシスコ公園。ミリタリークラブの上に有る小さな公園。観光客が来るというより子供が砂場で遊んでいるような小さな公園だけど、アズレージョ(ポルトガル製のタイル)がきれい。静かで良い。
セナド広場は日曜日の夕方ということで賑わっていた。観光客も地元の普通の人の買い物客も。 写真はドミニコ協会の前で。ジョルダーノやG2000といった香港カジュアルブランドの店が並ぶ。
一歩それるとこんなに静か。
スターバックスも街の雰囲気に溶け込んでいる。入ったこと無いけど。 (セナドの近くで休むならやっぱり義順の牛乳プリンになってしまう...)
暗くなってきたけど歩き続ける。 聖オーガスティン教会は工事中で入れず。
聖ヨセフ修道院は...ここは入れるのか?一度も入れた試しが無く、今回もまた入れず...(結局どこにも入らず歩き続ける) 壁にイエズス会の紋章(写真)。今も現役だけど...日本人だとやはりザビエルや、大航海時代に世界中で布教活動をした歴史を想像してしまう。街中至る所で歴史を感じさせるマカオが好き。
暗くなって食事場所を探して坂を下りる。繁華街に行かないとめぼしい店はなさそう。 大豪邸。たしかポルトガル領事邸だったはずだが?
特別行政区政府。ポルトガル時代のをそのまま使うあたりが粋だ...満州でも日本統治時代のものをそのまま使ってたりするけど。
夕食はタイパ島にタクシーで渡り「ガロ」で。大勢で入ってポルトガルワインをみんなで飲むほうが楽しいし、料理もいろいろ食べれるのだが...おしゃれな店って訳ではなく素朴な店って感じなので。 タラのリゾット(名前忘れた)などを食べる。一人でオーダーするようなものでもないようで腹一杯になる。食べきったけど...
帰り、半島へ戻るバスに乗ってみると何と「無料」。マカオGP開催中は市内至る所で交通制限が有るのでバスは全路線無料とのこと。知っていれば行きもタクシーではなくバスを使ったのに...
リスボアはますます景気が良いようで、新しくタワー棟を建設中。去年キムケンの勝利祝賀会を開いた料理屋のあったブロックはすべて取り壊されていた。
すぐ近くに新しいカジノ「wynn 永利」がオープンしていた。ラスベガス資本の巨大カジノのマカオ進出ということでなかなかおしゃれだ。金沙(Sands)のような感じ。 客はもちろん大陸からの人民がほとんどなのだが。
で。負けました。前回分すべて&+α持って行かれてしまいました。 |