2008年4月アーカイブ

空港からのバスから、延安東路で降りた。夜10時半。
中心部に行けばまぁ宿くらい何とかなるだろうと思ったが...無い。
人通りも多くない。もっと中心地へと思い、人民広場まで行くも7000円くらいのホテルばかり。妥協して(?)それでも良いのだが、どうせ寝るだけ、安宿でよい。歩き続けて1時間、南京路までやってきた。途中で何か食事でもと思っていたが、手ごろな店が無い。そもそもレストランが無い。上海ってこんなんだっけ?
南京路で「飯店」(ホテル)の文字を見つけたのは日が変わろうとしていた。

1泊200元。トイレ・シャワー付。宿泊者は5人ほど。壁が薄いので音が筒抜け。夕食はマクドナルドのセット。
朝、外灘を散歩。観光客は減った。数年前の人ごみで歩きにくかった記憶しかないのだが。
朝食は浦江飯店で食べようと決めていた。昔は(お金が無くて)食べれなかったバイキングへ。



蘇州河の外白渡橋、あの鉄橋はなんと工事中。
とうとう取り壊されるのかと思ったが保存改装工事とのことで安心する。
歴史の生き証人。
上海に行った人なら、100年前から老若男女ほぼみんなと通ったことがあるだろう。
この橋より北は日本租界だった。南はイギリス、フランス。
魑魅魍魎のうごめく魔都。

迂回路を通って浦江飯店、噂には聞いていたが立派になっている。
今はもう安宿ではない。いや昔から「安いドミトりー」は有ったが、決して安宿ではなかったはずなのだが...
今は1泊20000円くらい?
朝食バイキングは10時までであと10分しかない。だがせっかくだから入ろうとするも、180元と聞き断念。
スタッフにホールの写真を撮ってよいか聞くと、「私に見つからないように撮るように」という答え。あぁこんな受け答え、人民中国だった時代では考えられない。












懐かしいホテル内を散策。
3年前リニューアルされて、開業当時の雰囲気に戻っている。
とても日本では江戸時代だったころに建てられたものとは思えない。
ここに泊まった世界の著名人達の写真が廊下に掲げられている。
10年前は日本の貧乏旅行者達が600円で泊まっていたのか...なんて勿体無い。

廊下を歩くと記憶がよみがえる。
そうそうこの渡り廊下を渡ると、多人房(ドミトリー)の部屋。
今はレトロおしゃれなツインになっていた。

売店で絵葉書を売っている。[上海]の絵葉書は値引いてくれるが、[浦江飯店]のはまけてくれない。
なんでこれをそんなに欲しいのかと聞かれ「10年前に泊まったここのファンだ」と応えると、「あぁドミトリーね」と言われる(笑)。ドミトリーに泊まったとは言ってないのに...
朝食をとろうと隣の上海大厦に行くも、ここもまともなレストランは11時から。フロントで「近くに良いレストランは無いか」と尋ねると、「すぐ近くにハイアットが出来たばかりだ、そこは良いだろう」とのことで勇んで赴く。

...着いた所には高層ビル。番地は合っているがホテルの表記はまったく無い(中国では施設名を書いた看板が建物の概観を台無しにしていることが多い)。不思議に思いながらも中に入るも大きなフロアに人影はまばら。
綺麗なお姉さんに「あのーここ、ハイアットっすよね?」「ええ、もちろん」
「あぁ良かった、何か食べたいのだけど」「はい、何が宜しいでしょうか?」
「え?どんなのが有るの?」「フレンチとカントン、それにイタリアンのカフェなど。」
「うーん、河が望めると聞いたんだけど」「それなら一番上にフレンチのレストランが」
「もう昼だけど、一人で入ってコースでも良い?」「えぇもちろん、お望みのものを」
...頭に危険信号が灯った。分相応だ。ありがとうと言って外に出た。

結局、朝食兼昼食は浦江飯店のバー。
ローストダックをオレンジソースで。68元(800円弱)。
うん、おいしい。贅沢すぎないこれくらいのものが身分相応だ(笑)。
絵葉書を書いていたらコーヒーをサービスしてくれた。

のんびりしていたら飛行機の出発時刻まであと1時間半!!
こんな時に限ってタクシーが捕まらない。渋滞を避けトンネルではなく橋を渡ってもらいリニアの龍陽路駅に。

上海のリニアモーターカーに乗るのは初めて。さすが時速431km。7分で空港。
間に合った...日本でも早く実用化してもらいたい。

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