2009年7月アーカイブ

清濁併せ呑む街、マカオ。ポルトガルの海外領土として500年。中国の行政地域となったとはいえ、中国本土とは違う文化が生きている。最近この10年の急激な開発、カジノの人気ぶり、大陸人の流入での雰囲気の変化は憂えているのだが...

キリスト教(カトリック、プロテスタント)、仏教、道教、船乗りが進行する各国土着の宗教、様々な宗教の信徒が住む街。 その反対に、世俗的な人も世界中から集う街。
ニューヨークがミックスジュース(人種の個性が混ざる街)ではなくサラダボール(各人種の個性が共存する街)に例えられるようになったのは今から15年位前から。マカオはそれよりも以前からサラダボールの状態だった。

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シンガポールで"音吉"の墓を見てから1ヶ月。「海嶺」を読み、音吉が数年間滞在したマカオについて関心が深まる。太平洋を漂流しイギリスを経由しマカオにたどり着いた彼らはマカオで、イギリス商務省役人でキリスト教伝道師でもあるギュツラフのの保護を受ける。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1200067687&owner_id=843613

国籍や信仰宗教によらず誰でも暮らせる街マカオ。
この混沌とした街の魅力に以前から自分は惹かれてきた。

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マカオには各国から人が集った。大航海時代のポルトガル人だけではない。スペイン人、オランダ人、香港がイギリスの植民地となるまでは、イギリスやアメリカ人。軍人、商人、金持ちから奴隷まで。朱印船貿易時代は多くの日本人も訪れた。

本人の意思に因らず訪れた多くの亡命者。迫害を受けて逃げてきた各地の難民。江戸時代には鎖国で追われた日本人、政変で追われてきた明・清国人、越南(ベトナム)人。

第二次世界大戦時代の、共産党・国民党・日本軍・イギリス人・アメリカ人の不思議な共存生活。(ポルトガルは中立国だったので、マカオは大戦中も中立地帯だった。実際は小競合いは頻発し、各国スパイが暗躍した)

文化大革命の騒乱。共産中国と資本主義国ポルトガルとの対立。 インドシナ・ベトナム戦争時の思想対立。インドネシア騒乱と、東チモール難民の受入れ(東チモールもポルトガル領だった)。

タイパ島と対岸の中国との間は泳いで渡れる距離で、昔は不法入国者も居たようだが、中国の生活水準が上がったこともあり中国難民は今は居ない様だ。海岸の警備兵も今は居ない。

だが、現在もどんな組織に属している者も受け入れる不思議な街。
後継者争いに負けた(?)金正男もマカオで家族と暮らしている。(北朝鮮特務もマカオではさすがに手を出すことができないようだ) 


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【マカオとの関わり】
僕が初めて海外旅行に行ったのが香港とマカオ。高校の修学旅行でだ。
アジア各国6コースの中から一つを選ぶと言うものだったが、なぜそのコースを選んだのかは分からない。しかしそれまで海外に行くと思ったことの無い田舎の高校生にとって、これは大きな転機だった。

その旅行ではマカオには香港から日帰りで訪れただけだ。餌の模型を目がけて走るドッグレース場の犬のお間抜けぶり(高校生をこんな所に行かせるとは)、昼食のちゃちい洋風料理(今思い返せば、あれはポルトガル料理ではない)...と、たいした記憶は無いのだがこの街の魅力に気付いてしまったのは確かだ。バイト代を貯めて、4ヵ月後の春休みに再訪したのだから。

それから10年。ポルトガル人の後を追ってリスボンやマラッカ、シンガポール、九州(平戸/五島/長崎/島原/天草/鹿児島/種子島/沖縄各地)を何度も旅をしたが、言葉では表現できないがいつも奥深さを感じさせる。
中国と西洋の混じった"中西"な不思議な街、マカオ(街中には[中西美食][中西装飾]などの看板をみかける)。まだ目が離せない。

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【もっと知りたい】
歴史をざっと知りたいのなら普通はモンテの丘に有る博物館(ポルトガル軍の要塞が有った)に行くのだろうが、もっと深く本当に調査したいのなら民政総署の2階にある文書館と、聖オーガスティン教会の傍のロバート・ホートン図書館。ポルトガル統治下の数百年間の資料が誰でも閲覧できる。民政総署(海外領行政府)には本当に貴重っぽい書類が誰でも閲覧できる。言葉(ポルトガル語か、せめて英語でも)が分かれば絶対楽しいはずなのだが...

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【マカオでの食事】
タイパ島官也街にはお手頃価格のレストランが多いのだが、その中の「サントス(山度士葡式餐廳)」。残留ポルトガル人のサントスさんの経営。ポルトガルの素朴な料理多い。味も良い。ポルトガル人がテレビを観てサッカーの応援をしていたりする。

セナド広場から徒歩10分ほどの[]は大航海時代の産物マカオ料理。アフリカや中近東のスパイスと、中華の食材のmix。定番はカレークラブ、アフリカンチキンなど。

ポルトガル軍の将校クラブだった「ミリタリークラブ(葡萄牙陸軍餐庁)」ではポルトガル料理とワイン。お手頃メニューから豪華コースまで。団体ツアーでも使われるが、セットメニューではなくアラカルトで頼むとちゃんとしたのをつくってくれる。料理、ワインとも種類多い。

サンズやリスボア、ベネチアンなどのカジノのレストランは意外と庶民的な値段だが、金さえ出せばすごい料理も。広東料理がハズレが無いような気もする。いやそんなに場数踏んでないけど。(でも、上の3つ以外のカジノのレストランは全然イケテない。昔はハイアットの1階奥にあったレストラン[フラミンゴ]が良かったのに!本当に)

以前、リスボアでパーティを企画したことが(実現しなかったが)有ったが値段が天井知らずですごかった。豚1匹丸焼きして美味しい所だけ食べるとか(笑)。広東人金持ちってステキ。


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【マカオの観光名所】
セントポール教会の跡にツアーだと連れて行かれるのだが、観光地化されていて面白くない。これだけを観てマカオを後にすれば、マカオのイメージは良くないものとして残るだろう。
教会もギア教会(世界遺産だが)は素朴で歴史もあるのだが、今ひとつ。近くにはポルトガル軍の要塞跡が有る。

廟、道教寺院も北の方に何件か有り趣は有るが、自分は一度行けば十分。

それよりも普通に、街を散策するほうが楽しい。
福隆新街には真っ赤な中国風の置屋(昔の歓楽風俗街)が並ぶ。
中国との国境付近には元不法入国者の雑多なマンション(見ても面白く無いが)。
廟の近くの広東人達の昔の暮らし(共産中国では廃れてしまった文化)。
半島南部の超高級住宅ヴィラ街(誰が住んでるんだか)。
路環村の古い南国風?の民家。

マカオには30もの世界遺産に指定された建物がある。
この狭い土地にこれだけ密集するのはローマとマカオだけだろう。見所は多いのだがそれよりも、マーガレットのエッグタルトか、義順のプリンでも買って、カモンエスの広場でのんびり時間を過ごすひと時(カジノで熱くなった頭を冷やして)が良い。


【泊まるところ】
マカオにはバックパッカーが泊まるようなゲストハウスやYHは無い(有るのかもしれないが必要無い)。中国の大都市に有るようなあまり面白みの無いホテルで数千円も有れば泊まれる(ホテルや予約サイト、日本で申込ではなく、現地の旅行会社を通すと安い)。

最近出来た欧米資本のカジノホテル(ベネチアンとか)は設備サービスともに良いと思われる(まだ僕は泊まったこと無い)。 これまでマンダリンオリエンタルが高級と言われていたが、自分の感想としては、値段の割りにたいしたこと無いイメージ。

特殊なホテルとして挙げるなら、マカオ半島の南端に有るポウサタ・デ・サンチアゴ(聖地牙哥酒店)。300年前のポルトガル軍の要塞を改造したホテル。クラシックな内装で人気。テラスで海を眺めて大航海時代に思いを馳せながらお茶するだけでも良いが、宿泊を薦める。全室スィート。12部屋のみ、早めの予約を。チャペルは昔からある本物なのだがしょぼい。


【マカオに住む人】
実際に住んでいるのはほとんどが広東人。何百年も住む人も、数十年前に不法入国してきた人もどちらも多い。
昼時には昼ごはんを食べに家に帰る、制服を着た学生をたくさん見かけるだろう。みな真面目に見える。カジノの制服を着たディーラー達の出勤風景もお馴染みだが、みな真面目そうだ。
カジノや歓楽街が住宅地と密接しているのは教育に悪いのでは無いかと考えるのだが、そうでも無いようだ。反面教師として捉えているのだろうか。「外国人や大陸人のようにカジノにはまると失敗するのよ!真面目にカジノで働いてあいつらからがっぽりせしめるのよ!」みたいな。

タイパ島にマカオ大学が有る。歴史は浅いが、伝統的に豊かな中国人は子供の教育には力を入れる。欧米に留学する人も多いのだろう。

ザビエル教会で、父親がポルトガル人と中国人とのハーフで、母親がアメリカン人という女の子とここで出会った。ハワイ大学で神学を学び、生まれた街マカオに戻ってきたという。こういうのがマカオっぽくて良い。


【おまけ】
3D-MACAU 

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