2011年9月アーカイブ



海岸の方に進む。国道はアスファルト舗装がされているが、それ以外の道はまだされていない。瓦礫はほぼ片付いていて、車・歩行者とも通行に問題は無い。津波が来た地域は新しい家を建てることは禁止されているのだが残った建物(と言っても外壁だけ)で商売している店もわずかだが有る。ガソリンスタンドなど。

だが堤防も損傷しているのでまた津波が来たらどうしようもない。夜は完全に無人地帯、暗闇となるので住むのはまだ無理。


道をふさぐものが有ったので車を降りて見てみるとなんと蒸気機関車だった。これはさすがに動かせない...まわりは除去された瓦礫が数メートルの高さで積まれている。

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周囲は見渡す限り何も無い。津波が届かなかった周囲の山の緑との対照が際立つ。風をさえぎるものが無く、砂ほこりがひどい。瓦礫除去作業に携わった人はアスベスト対策なんてしてないだろう。原子力云々だけでなく、ここに長時間居たら健康被害もひどいだろう。次はどこから何を手をつけたらよいかなど全く分からない感じ。


道を挟んで5階建の建物が残っていた。志津川病院だった。志津川病院を目指してきたわけではないのだが、防災庁舎と同じく今回の震災の"舞台"となった場所に自分が居ることに改めて驚く。

志津川病院(震災前からそのままのサイト/現在はもちろん運営されていない)
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/modules/byouin/index.php

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病院には怖くて入らなかった。風が本当にすごい。

志津川病院には地震発生時に107人の入院患者が居た。屋上に避難することが出来なかった患者が多く亡くなった。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110607_01.htm
志津川病院の建物はしっかりしていたのだろう、周囲の建物はほぼ壊滅しているのだが、病院の建物は崩れなかった(現に今もしっかり建っている)。5階までは水は来なかったので何十人かは津波を乗り切ったのだが、悲惨な状態はそれで終わらず、医師達のそれからの奮闘がこの病院の名前を世界に広めることになった。

津波が過ぎた後も周囲はすべて海になってしまい、逃げることは出来なかった人達は屋上で夜を明かした。雪が降り、海の真ん中に居るのと同じ状態、吹きさらしの中で救援が来るまで耐えなければならなかった。何人もの患者が夜を乗り切れずに亡くなったのだが、医師・看護士は食べ物・医薬品・電気・包帯すら無い状態で病人・怪我人の面倒を見続けた。情報も無い状態(テレビでは"宮城県で死者・行方不明者が多く出ている模様です"など言っていた)で耐えるのは大変だっただろう。


この突如として"野戦病院"となった状態で奮迅した医師は、TIME誌の今年の「世界に影響力のある100人」に選ばれた。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110607_01.htm
http://www.asahi.com/international/update/0422/TKY201104220187.html

ここに来て意外、想像と違ったのは、病院が海のすぐそばに有ったことだった。高さはほぼ海抜0メートル(たぶん数メートル)、海岸線からも数百メートルの場所。よくこんな立地で生き残ったなぁと思える場所にこの病院は有った。


病院の前は国道で、気仙沼方面へ向かう車が、数分に一台くらいのペースで通る。仙台から気仙沼方面へのバスもここを通っていた。周囲の荒涼とした風景をバスの乗客は食い入るように見ていた。

国道398号線(本吉街道)を登米から東へ向かう。
なだらかな峠を越えて、平野に出てきてまず見えたのが合同庁舎だった。

山間部に有る小さな平野部に有るその建物は目立っていた。生まれて初めてこの目で見る津波の被害を受けた建物、すぐにはそのことに気付かなかった。それまで走ってきた山間の平和な道から見る風景とあまりにも異なり、近くに来ればもちろん分かるのだが、あまりにも突如とて現れるので、心の余裕ができていなかったのだ。

実際は何も無い平野に庁舎だけ建てられるはずはなく、津波が来る前はこの周囲には家が立ち並んでいたのだろうが全く無い。何も無いのだ。基礎がしっかり出来ていて鉄筋建のこの建物以外はすべて流されたようだ。道の右側にこの合同庁舎が有り、左側に川が流れているのだが、津波はこの川をさかのぼってきた。地図も見ないできままに走ってきたこともあり、新聞やネットでよく見かけた"南三陸町合同庁舎"がいきなりまず見ることになるとは思っていなかった。


道沿いにファミリーマートが営業していた。写真にも写っているが、高台に建っている家はなんとも無いようだが、平野部は何もかもが無くなっている。[OPEN SALE][スタッフ募集中]の張り紙が何とも言えない。広い駐車場の端で、部活帰りの中学生の女の子が数人座って話をしていた。周りは瓦礫の山。


帰宅後地図を見ると、この道の左右の丘の上に志津川中学校と志津川高校が有ることに気付く。津波来襲時にそこから撮影した動画はあまりにも生々しく話題になった。

(映像の最後の方に写っている人は助かったそうです)


すぐ近くに、今は骨組みだけになった防災対策庁舎が有る。この地域で防災と言えば津波だろう。もちろんその対策の為の建物なのだから、ここまでは津波は来ないことを想定して建てられていたはずだ。実際には津波が来ないどころか、この建物以上の高さの津波が来ている。

この建物の3階で避難を呼びかける放送を流していた女性が殉職した。
http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2011/0401minamisanriku-bousai/

生き残った職員が撮影していた写真。見渡す限り水しかない光景。写真でも分かるが海からはかなり離れている(2kmくらい)。上の動画でも分かることだが、津波が来たことを知ってから逃げようと思っても逃げられない。実際に車で走ってみるとよく分かる。
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/uploads/photos1/2064.pdf




【CM】

南東北(福島から仙台、松島/南三陸/女川/石巻)を車で駆け抜けた。

知人の多くがボランティアに参加しているが、自分は"観光"しかしていない。3月11日の地震から5ヶ月。今回は風光明媚な観光地を巡るのが目的ではなく、被災地の現在の様子を観るのが目的だ。被災地にももちろん人は暮らしていて、主要道路は復旧している。車が有れば(原発周囲を除いて)ほぼどこでも行ける。あまり褒められたものではないのかもしれない。自分は新聞記者でもない。だが今のこの様子は今しか見れない(もっと早く行きたかったくらいだ)。これを自らの目で見るのは重要なのではと思う。



【8月5日】
福島市郊外の飯坂温泉の宿を出発したのは朝10時。
もっと早く出るべきだが、温泉宿ではどうしてものんびりとしてしまう。

前夜、直前に予約をして飛込みで泊まったので朝食は付いていない。宿を発つ際に宿の人にクッキーをもらう。震災の影響でサービスが出来ないお詫びだと言う。ただ"安い(4000円)"という理由だけでこの宿を選んだので、こちらとしては全く文句は無い。震災で3階は客を入れられる状態でなかったいうのは宿を出てから気付いた。温泉街を散策している人は少なくどこも大変だなぁと思ってはいたが、原発の風評被害だけでなく、建物の被害も有ったのだ。閉館しているホテルも多いという。温泉の湯は豊富に出ている。もったいない。観光で生計をたてているこの人達の危機感は大変だろう。


スーパーで買ったおにぎりなどを食べつつ、仙台に向かう。
被災者は通行料無料なので、高速道路は混んでいるが流れていた。

仙台市内へは向かわず、仙台空港へ。平地にある仙台空港周辺は津波で大きな被害を受けた。津波来襲時には奇跡的に飛行機が1機も無く、空港内で死者はでなかったが多くの人が数日閉じ込められた。

空港は運行は再開しており、空港内や道路上は整理されているのだが、周囲は瓦礫の山。数メートルの高さ、小山のようなものがぽつぽつと有る。

空港の前の蕎麦屋は崩れている。倉庫は骨組みだけを残しているだけ。
レンタカー屋は小さなプレハブで営業していた。

空港の周囲数kmはこれまで何が有ったのか分からないほど何もない。ところどころ無人の家がぽつぽつ有る。あの家は割ときれいだなと思って近寄ると家の中は土で埋まっていたりする。

高速道路を境にして被害が分かれているような気がした。暫くの間はこの地域には家を建てないようにという看板が立っている。山が無く平らな土地なので海から数km離れていても被害は大きい。

電柱は最近立てられたもの。


七夕祭りで混雑しているだろう仙台市内には入らず、中心部のビルを遠くに見ながら石巻方面に向かう。松島周辺は観光客がたくさん居るし、幹線道路沿いの店々は他の地域のそれと同じくほぼ通常通り営業している。余震は続くとは言え本震から5ヶ月も経っていて、復興のスピードには大きな差が出ている。

松島から三陸縦貫自動車道に入る。松島以遠は震災前から無料開放されている。高架道路上から見る石巻市街地はビルが立ち並び問題無さそうに見えた(この後にそれは内陸部だけであることを知るが)。河北ICで降りて休憩の為に入った道の駅(上品の郷)も、周辺で獲れた野菜や魚を売っていて観光客が群がっているのを見ていると地震のことは分からない。ここでは鯨肉を売っていて興味を持った。

三陸道で北上を続け、終点の登米東和ICから東へ折れる。登米しは内陸に有る農村で、山間の平地では青々とした田んぼが続き静かなところだった。

そして車で20分ほど山の中を東に向けて走ったところ...




【CM】

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