2016年2月アーカイブ







飛行機を降りて、自分で飛行機から預け荷物を降ろしてトラックの荷台へ。
キャビンの下の貨物室に入るなんて初めて。荷物をトラックに積んでからは滑走路を各々歩いて空港のメインビルディング(笑)へ向かう。滑走路は舗装されていなかった。
生まれて初めての氷点下40度は意外と大丈夫だった。
空港では、前もって連絡を取っていたベルホヤンスクの中学校の英語教師のGalinaが迎えに来てくれていた。もうこれでこの旅は半分成功したのも同然。



(2/29ヤクーチヤ航空 R3423便ヤクーツク発バタガイ行)


搭乗前から何かが普通でない事は分かった。
ヤクーツク空港の出発ゲートを入ったところで係員から「帽子は持っているか?」と尋ねられた。もちろん持っているよと答えたが、ゲートを出て航空機に向かうバスに乗った時にそんな質問をされた理由が分かった。 バスの中は-30度だったのだ。乗客が全員乗り込むまでバスの扉は開いている。肌を露出していると危険なのだ。
それにここから先、目的地の気温は-40度以下。勘違いしている乗客はいないか、最低限の装備を持っているかの確認をしているのだ。

飛行機はソビエト時代の名機An-24(アントノフ24型)。5段くらいのタラップ(屋根は無い)を一人づつ上がる。タラップの下に係員がついて2人同時に行かないように制御している。

機内は2人掛けの座席が10列ほど並び、満席だった。
座席位置は指定されているが、滅茶苦茶だ。自分の席は空いているように見えたが、隣に座っている男の子から「パパが来る」と言われたのであきらめて後方の席についた。

乗客が全員搭乗するまでドアが開いているので、機体の中は凍えるように寒い。いや、本当に凍る。ドアを開けていると暖房などつけても無意味なのだ。全員が乗り込むと暖房が入るが、飛行機の暖房だけでは暖かくなるまで時間がかかるので給暖車からホース(パイプ?)を使って暖気が機内に入れられる。ホースは機体前方から客室内に入れられるのだが、こんなのを実際にこの目で見るのは初めてだ。


前方に座っていた人は非常に暑かったと後で聞いたが、後部の座席では寒かった。

飛行機は1時間くらい暖められてから滑走路に向けて動き出した。30年前の旅行記によると-50度になるとエンジンはかからなくなるので、一旦エンジンをかけると一日のフライトすべてが終わるまで止めないと言う。



機内は飛び立つころまでは暖かいとは言えない。スチュワーデスのこんな制服は一見の価値がある。

飛行してからはいつの間にか寒さは気にならなくなった。高度はずっと2000m弱くらいの低空飛行。景色は一面の銀世界。





当初は犬ぞりで、ヤクーツクの町のから17km離れた場所にあるシャーマンツリー(呪術者の木)まで行くつもりだったが、諸般の都合で中止に。
交通手段として乗るのではなく、犬ぞり体験として数百メートルだけ乗った。
結果としてまぁこれで良かったと思う。 シベリアの大雪原をこれで旅するのは少しきつい。























世界で最も寒い村に行く事になり、まず服装の事が問題だった。
サハ共和国の首都 ヤクーツクで衣服は調達できることが判明したのだが、日本で調達できるに越したことはない。
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同行者のほとんどは モンベルで何点かの服(上着も下着も)を買っているようだ。登山をする知人などのアドバイスを参考にしている。
ただ、自分はお金も余裕が有るわけでもないし、また天邪鬼な性格なのか、ヤクーツクの市場で現地の人が着ているコートや靴も考えているのだが、何か別の方法があるのではないかと考えた。
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北海道でも-30度以下になることはある。真冬の北海道でも外で働く人はたぶん居る。登山用品店ではなく、作業服を扱う店で店員に聞いてみた。
新宿萬年屋 http://mannen-ya.co.jp/old_log/cn4/index.html
「-40度くらいでも耐えられる服って無いですかね」
「え、いやうちは-10度くらいならたくさん有るけど、-40度は無いですね、お兄さん何の仕事してるんですか?」

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そんなやり取りを繰り返してたどり着いたのが、下のリンクの会社だ。
http://www.senyouhin.com/?pid=82729066
静岡市 清水で船の乗組員向けの衣服を取り扱う会社(清水港遠洋漁業で有名)。冬の北の大海原の船上で作業する人や、マグロの冷凍庫などで作業する人の服なのだろう、-60度でもと書いてあった服を今回のために購入した。
上下で15000円。スポーツ用品店と比べたらかなり安い。果たして効果は有るのだろうか。結果は数日後に判明する。

追記:この服がダメ(役に立たない)な場合でも、 ヤクーツクに到着後、ベルホヤンスクに出発する前に、現地の人が着る服を買いに行く予定を組んでいます。価格などもだいたいは調べています。また、現地での案内人も話をつけています。もちろん、それでも心配事は尽きないのだが...

日曜日。予定が無いので暇人を集めて(?)、30年以上前に放送されたテレビ番組「シベリア大紀行 」を観た。
これは江戸時代に アリューシャン列島の島に流れ着いて シベリアを横断してサンクトペテルブルクまで行った大黒屋光太夫の足跡をたどるという企画で撮影した紀行番組。

この番組の存在は 椎名誠の「シベリア追跡」を読んで知った。さらにこの番組撮影時に通訳として同行したのが米原万里と知り驚いた (この時の様子は米原万理「マイナス50度の世界」にも書かれている)。
両名ともまだ30代。彼らのこの若い時の経験を、その後30年も経って自分も参考にしようとしているのだから先人は偉大だ。

この番組を観たのは 真冬のオイミヤコンヤクーツクについて知るためなのだが、共産主義時代のソ連の様子が映っていて興味深い。当時ソ連は秘密主義で外国人は自由な旅行が出来なかったし、シベリアの様子は謎に包まれていた。

アラスカの無人島まで飛行機をチャーターして行ったり、真冬のシベリアを横断したり(特に貴重なのはヤクーツクからティンダの道路。当時はシベリア横断道路は開通していないのでそこからは鉄道になる)、この数時間の番組の為に莫大なお金が使われているのが分かる。 一民間テレビ局の番組だが、30年たっても価値がある。構成には冗長な部分も有り、古さを感じさせるのだが...

Batagay空港からベルホヤンスクへの公共交通機関は見つからなかった。10年前にシベリア横断道路を走ったことが有るが、シベリアの道はトラックやバスが走れるような道ではない。 シベリア鉄道沿いの町や村は隣の街への道路事情が悪くても鉄道が有るから物流が成り立つが、今回のベルホヤンスクような街への物流がどうなっているのかは本当に謎だ。特殊な車で行けるという事は、ヤクーツクのコーディネーターが作ったプランやネットでの情報で分かっているが...
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ベルホヤンスクには1300人もの人が住んでいる。冬季は普通の車は動かなくなるとは言え、バタガイからの一本道が有る("それしか無い"という言い方もできるが)。 人が住んでいるからには何らかの移動手段が有るはずだ。距離は60km(東京から小田原くらいか)。その区間を走る車を確保するにはどうしたらよいだろうか...
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それは発想を変えると解決した。行ったことの有る人の報告や、旅行情報を探すからダメなのだ。現地の人に直接聞けば良いではないか。現地と言っても ヤクーツクではダメだ。ベルホヤンスクかバタガイの人にだ (バスも通っていない島根県の山村への行き方を、東京の人に尋ねても無駄だ)。
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facebookで Верхоянск のページにイイネを押している人にメールを送れないかと思ったが、個別の人の情報は表示されない。出身地や住所をベルホヤンスクに設定している人を検索する方法も考えたけど分からなかった。でもВерхоянскと入力したときに出てきた Верхоянский Улусというfacebookページを見たときに"これだ!"と思った。 
「Sardaana Semenovaさんは Верхоянский Улусに引っ越しました」という投稿が現れたのだ。
そこからは同様な人を見つけたり、その人の友達、友達の友達などのページを一人づつ探し、現住所や出身地をベルホヤンスクかバタガイに設定している人を見つけては、手あたり次第にロシア語&英語のメールを、50人くらいに書きまくった。
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「Верхоянская СОШ」「Батагайская-средняя-школа」という二つの学校の在校生・卒業生にたどり着けたのが大きい。その人の友達の中から探せばよいのだから。
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1日たっても誰一人からも返事は無かった。無視されたというわけではなく、そもそもfacebookを日常的に利用しているわけではないのだ。ベルホヤンスクの人がインターネットを利用しているというだけでも十分驚きなのだから。
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3日目に一人から英語のメッセージが来た。チャットで僕が 「Здравствуйте!」と書いても 「Hello!」と返ってくる。英語ができるのですねと尋ねると「私は英語教師」と。どこでかと尋ねると「in Verkhoyansk」という答えが。自分の幸運に驚いた。こんなにうまく進むとは思っていなかったからだ。
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肝心のバタガイからの移動手段だが、自分たちのヤクーツクからの飛行機の便に合わせて、この英語の先生がバタガイ空港に車を手配しておいてくれるという。代金は片道5000RUB(10000円弱)で当日払で良いという。ベルホヤンスクに宿泊施設は有るかという問題も、「ホテルが有る。泊まれるかどうかこれから聞きに行ってあげよう」と言ってくれた。
ベルホヤンスクでは学校に来るようにとの事。残念ながら(いや当然のことだが)英語ができる人は"自分の力が足りず"居ないとの事。

宿と食事の件もクリアした。ネット回線など無いのだからネット予約など出来ないのは当然だ。電話番号もわからない。でも、直接そこに行って予約をすれば良いのだ。

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何事も行動を起こせば道は開ける。ガイドブックも無い、旅行者が動くルートから外れたところにも行けるのが分かった。それも厳冬期の シベリアで。 
このやりとりから1週間以上経ったが、この英語教師以外からは誰一人返信は無い。本当にこれは貴重な繋がりなのだ。

ベルホヤンスクへのツアーが完全オーダーメイドの為、価格が予想より騰がっていくのをみて、現地 サハ共和国の首都ヤクーツクのコーディネーターを介さずに自力で行く事にした。具体的な目算であったわけではないが、今回は人が住んでいる村に行くわけだから、何らかの交通手段が有るはずで、そんなに高いお金を出さなくてもいけるのではと考えたのだ。
(提示された最終金額は参加者3人でガイド・通訳をつけてヤクーツクから航空券・車・宿泊3泊・食事をつけて総額80万円近く)。

しかし、ヤクーツク空港からBatagay空港へはPolar Airlinesという聞いたことも無い航空会社が週4往復便を出している事は分かったのだが、そのバタガイ空港からベルホヤンスクへの移動手段がいくら探しても見つからない。

ベルホヤンスクまでの距離は60km。冬は川が凍結しているので、道路を使わず、川の上を車で走れば2時間ほどで到着するという事はヤクーツクのコーディネーターのプランを見て知っていた。
その車をどうやって手配するかというのが問題だ。冬はあまりにも寒いので普通の車は動かない。「ロシア製のUAZの車だけだ」というのはどこかの記事で読んで知っていた。

google earthでバタガイ空港の様子は分かった。だだっ広いシベリヤの森の中に1000人くらいが住んでそうな町が有り、そこから1kmくらい離れたところに舗装されていない滑走路と空港の建物(木造平屋建)他20軒くらいが有るのが衛星写真から分かる。公共交通機関なんてものは無さそうだ。
ここに送迎車の手配も無しに行って、誰の助けも得られず、もし気温が-50度だったら...空港から出て1時間も経たずに死んでしまうだろう。

でも40人乗りの飛行機が到着するわけだから、少なくともその人達はバタガイの街に行くはずだ。その乗客の誰かと仲良くなってベルホヤンスクまで送ってもらえないだろうか。まさか凍死するのを放置はしないだろう...
とも考えたがあまりにもリスクが高い。何としても旅行前にバタガイからベルホヤンスクへの移動手段を確保できないだろうか。

現地は普通の車は動かなくなるくらいの寒さだ。
ネットを色々なキーワード(日本語・英語・ロシア語)で検索しながら、何か方法が無いか考えた。

今回 バタガイ(Batagay)空港からヤクーツク空港の区間に乗るPolar Airlines。本社は サハ共和国の ヤクーツク。アメリカのポーラーエアカーゴとは何の関係もない。

ウエブサイトはロシア語だけ。日本のSkyscannerやEXPEDIAなどで検索しても出てこないし、日本の普通の旅行会社では取り扱っていない(ロシア専門の会社に手数料払えば出来ると思う)。
ロシア語に悪戦苦闘して航空券発券したら、クレジットカード会社からすぐに電話がかかってきた。不正利用ではないかと。

*追記:skyscannerでも発券国をロシアにすればPolar airへのリンクは出てきます。

今回の機材は アントノフ24型(An-24)。1959年から50年以上高麗航空アンゴラ人民共和国空軍など、共産国やアフリカの航空会社や空軍で飛び続ける名機。楽しみ。

サハ共和国には
*フラッグキャリアの ヤクーチヤ航空
*巨大穴で有名ミールヌイアルロサ航空
もちろんアエロフロート・ロシア航空S7航空、 トランスアエロの他にも、
*ウラジオストク航空
*隣のタイミル自治管区NordStar航空,
*イルクーツク国際空港の Angara Airlines
*ノボシビルスクウラル航空
など結構多くの会社が国内線を飛ばしている。小さな村にもヘリコプターでの便が有ったりする。今回は時間が無いので ベルホヤンスクへ往復するだけだが、観光地でない大自然の真っ只中に有るところにも行ってみたい。夏にね! 

オイミヤコンへは2006年にも行こうとしたことが有る。オイミヤコンは ヤクーツクから片道800kmも離れていて僻地の為に一人で行くことは不可能なのだが、残念ながらその時は参加者が一人も集まらなかった為に企画倒れになった。

オイミヤコンへのツアー自体は非常に有名で、自分が持っている1991-92年の「地球の歩き方~ソ連」にもわずか3行だが記載が有るくらいで、昔から存在するようだ。ツアー代金は参加者数によって大きく変動する。今回最初2人で申込した時点では一人2400USドルとのことだった。3人で参加となり1650ドル/人と言われ、試しに聞いた1人参加だと4500ドルだったので、人数に関わらず1開催4500USドルくらいのようだった。それも料金表があるのではなくほぼカスタムメイドのようで、メールのやり取りでしか分からない。

その旅行会社とメールのやり取りをしていたのだが、オイミヤコンではなく、よりマイナーなベルホヤンスクに行くことになり、いきなり「出発1か月前になったので今後、緊急手配料で30%割増する」と一方的に伝えられ、このやりとりにつかれ、決意した。

「オペレーター(現地旅行会社)を介さずに、自力で行ってやる!」と。

2年ぶりに海外へ行く。目的地はサハ共和国ベルホヤンスクだ。 シベリアの奥地に有るこの町(人口1400人なので町と言うより集落)は北極圏に有り、この季節はオーロラも見れるのだが、この町が有名なのはそれではなく"世界一寒い"という事だ。

当初はベルホヤンスクではなくオイミヤコンを考えていた。オイミヤコンは今から約90年前に-71.6度の当時の世界最低気温記録を出した村だ。 サハ共和国の首都ヤクーツクにある旅行会社の現地発ツアー(ヤクーツクからオイミヤコンまで5泊6日で極寒のシベリアをキャラバン組んで車で行くプラン)に参加しようとしたのだが、その旅行会社とメールでやり取りしていると、オイミヤコンよりも寒い町と言われるベルホヤンスクの方が、近くの町まで飛行機で行けるので日程が短くて済む&不慮の事故に遭う危険が少ないと勧められたのだ。

オイミヤコンの-71.6度の世界最低気温の記録は真偽が疑われていて、その次の記録がベルホヤンスクの-67.8度なのだ。この2か所が 北半球の寒極(pole of cold)と呼ばれている。 実際オイミヤコンよりもベルホヤンスクの方が寒いという日は多い。オイミヤコンに行ったことの有る人は多い(?)が、ベルホヤンスクに真冬に行くもの好きは少ないだろう。

今回の旅は(今のところ)3人で行く。お金の事や仕事を休む事など、寒さによる危険以外にも障害は有ったが、旅に行くことになったのは、この知人が背中を後押ししたのが大きい。 最近世界を飛び回っている彼(先月アマゾン川に釣りに行っていた)に従うことにした。

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