8月終わった。一年の注文の何割かが集中する怒濤の時が過ぎ、ようやく自分の旅行を考えるときが来た。
サラリーマンではなく時間の融通が利くいつものO氏に「どこか行かんか」と電話をする。あまり"普通の人"が行かない珍しい所でも、ベタベタな観光地でも予定が合えば来る都合の良い人だ。


「パプアニューギニアなら旅行関係者枠で安く行けそうだけどどうだ?」「ゲゲゲの女房のせいで流行ってるかもよ」と誘うが、よく調べるとこんな情報が出たので断念。シネシネ村にも行きたかったのだが。




パプアが駄目なら隣のイリアンジャヤ。バリからの便が良い日程では取れず簡単に断念。
いろんな人の旅行記を読んで行きたい思いは積もるばかり。


手軽に行けるようになった秘境、そしてO氏は中国は都市部しか行ったことが無いということで、雲南省。麗江も観光地化されているとは言え、なかなか良い所だ。

今回は玉龍雪山にも行きたい。
前回行った時よりも情勢は安定しており、シャングリラにも行けそうだ。
http://www.unnantour.com/Shangri-la/index.htm
麗江からはバスで数時間、途中には金沙江や瀾滄江といった大河、大自然だ。虎跳峽がここに有るということは今回調べてて知った。怒江流域も以前ニュースで見たときから行ってみたいと思っていた。
http://blog.canpan.info/yunnan/category_12/3
http://japanese.cri.cn/941/2009/03/03/1s136209.htm

うーん、行きたい。スタアラ25000mileで行けるし...問題は土日+2日休まなくてはならないことだ。どちらも日本からその日のうちにたどり着けるのだが、せめて数日は居たい。



車マニアのO氏の意向も考えて海外でドライブ出来るところを考える。
韓国はどうも興に乗らないし、中国は駄目(国際免許が使用できない)、ベトナム・フィリピン・インドネシアは自分で運転するには不向き。という事で、第一希望をマレーシア一周、第二希望をバンコクからタイ南部往復、第3希望にバンコクからミャンマー国境をかすめてスコータイ、チェンマイ周遊でプランをたてる。O氏は中部空港から台湾経由で飛行機の予約を入れたが、自分の予約が思い通りに取れないので断念した。
マイレージが貯まっている事を考えるともう普通にお金払って飛行機乗るような贅沢は出来なくなってしまった。今回も往路をユナイテッド、復路をJALで考えていたのだが...仕事が終わってから出発できるUA、夜行便で帰れるJALだと週末を絡めると一日休むだけで、丸々3日をドライブにあてられると思って計画を進めていたのだ。

ただ、今回いろいろ調べて「タイはレンタカーが安い」「マレーシアでは日本と同じくらいのお金はかかるがレンタカー屋は充実している」ということが分かったので近々行ってみたい。10月の連休を狙っている。


で、とりあえず以前よりskyさんに誘われていた上海だけ航空券を申込。

東南アジアドライブ計画を立てていたときは、それと絡めて航空券は、「バンコクorシンガポール ~ 成田 ~上海~成田~デリー 」(JAL28000マイル)を考えたが、ドライブ計画がぽしゃったので日本から中国への往復( JALだと16000mile ANAだと22000mile)に。
だが9月の連休と言うこともありなかなか無料特典枠が空いていない。結局寄り道だらけのルートになった。

[1] 9月16日(木) NH1421 羽田-関西 20:40発21:55着 飛行時間:1:15
[2] 9月17日(金) CA0164  関西-上海 09:25発10:55着 飛行時間:2:30 
[3] 9月20日(月) FM9193 上海-大連 14:25発15:55着 飛行時間:1:30 
[4] 9月21日(火) CA0953 大連-福岡 11:20発14:10着 飛行時間:1:50 
[5] 9月21日(火) NH0320 福岡-小松 17:15発18:25着 飛行時間:1:10 
[6] 9月21日(火) NH0760 小松-東京 10:05発21:15着 飛行時間:1:10 

skyさん、池さんなどが参加します。
万博だけ、食事だけなど途中合流も歓迎、予定会う方居ないだろうか。

国内線300回まで乗り放題パス300万円】 
http://www.sankeibiz.jp/business/news/100727/bsd1007270502002-n1.htm 
ANAが今回発売したこのチケット。国内線好きな区間を300回乗れて300万円。 
使い方によっては非常にお得かと思うが、実は2年前にもっとすごいのが発売されていた。 
ぜ今回これが300回と回数制限が付いたのかと言うと...

国内線1年間乗り放題 300万円】(2007/10/24) 
http://www.ana.co.jp/pr/07-1012/07-121.html 
この時は300万円で一年間乗り放題だった。だが売れ行きは"応募者殺到"と言うほどでもなかった。だが、ANAは"航空マニアの恐ろしさ"をなめていた。それは半年たって知られることとなった。 

その筋金入りのマニアというのは、全国に何人か存在した。 
この時の「乗り放題パス」は、これを使用した搭乗者にもマイレージは加算される。 
仕事をせず、「飛行機に乗るのが仕事」ともいう人種を発生させたのであった。 


起きたらまず始発のフライトで羽田から大阪へ。 
朝食のジュースとクロワッサンはラウンジで食べ放題だ。 
プレミアムクラスで機内では、有名シェフの作った「空弁」が無料だ。 

大阪に到着後すぐに札幌行きに乗換。 のニュース、新聞を観ながらその日の予定を立てる。 
札幌に到着、次は名古屋乗換えで沖縄に向かうとするか。 内では映画を見ながら昼寝。 

沖縄に到着したらもう夜9時だった。今日はネットカフェにでも泊まるとするか。 
明日朝の宮古島行のフライトは朝が早いからな... 

この日の食事(?)はラウンジも含めて7回。 
獲得マイルは約5000マイル(プレミアムクラスなので) 
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翌朝、那覇空港に向かう。なんと朝9時発の宮古島行のフライトはキャンセル。 
次の11時発に振替だという。これじゃ宮古島11時発の那覇行に乗れないじゃないか。 
今日は那覇と宮古島を4往復して福岡に行くつもりだったのに。 

「次の宮古島行に乗って那覇へ行く予定だったのにどうしてくれるんだ」とクレームをする。 
乗れなくなったのだから払戻しを求めるのは当然だ。金を返せと支店長とやりあう。 
「この航空券は無料だから返金できない」「今あなたは那覇空港に居る」とよく分からない返事だったので切れる。 
こっちは300万円払っているのだ。 那覇~宮古の往復運賃30000円分の返金を求める。 
2時間の交渉の末、現金ではなく20000マイル加算することで同意する。 
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こうして貯めたマイレージは1年間で500万マイル。 
この一年がんばって働いた(飛行機に乗った)おかげで、食費はゼロだ。 
さて来年はこの貯まったマイルで世界一周をファーストクラスで家族で行くとするか。 
何回世界一周出来るかな。ヨーロッパにはルフトハンザで行くことにしよう。 


これはフィクションです、作り話です...と書きたいところだが、かなり派手にやらかした人が居るらしい(マイレージを除名になった人が居るそうな)。 
今回は搭乗回数に限らず一律に20万マイルを加算するとのことである。

滋賀の名物コンニャクは、赤い(exite newsコネタ)


滋賀県というより、近江八幡周辺限定です。 
近江八幡のスーパーと言えば平和堂orマイカルサティ。ダイエーは撤退した。全国チェーンであるサティですら近江八幡店で売っているコンニャクはほとんどが赤いものです。

赤いのは食紅を使っているからで、普通のこんにゃくとの違いは本当に色が違うだけ。味も食感も変わりません。 
【追記修正】
食紅ではなく、酸化鉄を入れるそうです。酸化鉄バージョンは食感がやや異なる。また、鉄分が摂れるというメリットは有る。

数年前、一時期全国のデニーズで「赤こんにゃく」を使った料理(確か肉じゃがだっけ?)が使用されて話題になりました。 

知らない人が見たら「グロい」と思うのか...それは新鮮な発見だ。 
自分が他府県に出て一人暮らしを始めた際に、「灰色のコンニャク」がスーパーに並んでいるのを見たときには「グロい」と思ってしまったのだが...

中国全土の鉄道時刻を検索。これは便利!
時刻だけでなく、料金まで計算出来ます。
直行の列車だけしか表示されず、乗換を含む検索は出来ないんだけどね。
(直行列車が存在しない場合はエラーが出ます)

~検索結果の見方~
【列車番号】列車の番号です。
【タイプ】列車の種類です。
【始発駅】列車の始発駅
【出発駅】選択した出発地の出発駅(一つの街に複数の駅がある場合がある)
【出発時刻】その駅を出発する時刻
【到着駅】選択した目的地の出発駅(一つの街に複数の駅がある場合がある)
【到着時刻】その駅に到着する時刻
【終点駅】列車の行き先(列車の最終目的地)
【代金】硬座(2等座席),硬臥(2等寝台),軟座(1等座席),軟臥(1等寝台)の価格。単位は中国元(現在の日本円と中国元の両替レート)。

日本人観光客が熱狂する「意外な」商品
(中央日報2009年9月2日)

まさしくこの記事中写真の売り場でお土産を買った。ロッテマートのソウル駅店2階食料品売り場。

ワッフルは買わなかったが(知らなかった)。定番の海苔、コチジャン。レトルトパックのサムゲタンは帰国後すぐ食べきった。ゆず茶も家に常備している(これは買わなくても自分でも作れるが)。

韓国は食事が安くて美味しいのが良い。

景福宮を観光した後、徒歩で「チェジュ料理(済州島の料理)」の店に向かう。ソウル中心の官庁街ではあるが小さな路地に、その店は有った。
アシアナ航空で働くSさんの元同僚が経営する店だという。韓国人の男性と結婚し、ソウルに移住し夫婦で開いた料理店。テーブル席の他に、上がり框の有る10人くらいが入れる座敷。日本でいうところの「定食も食べれる居酒屋」だ。家の近くにこんな店があれば重宝するだろう。それぞれの座席(畳の部屋を貸切、田舎の宴会スタイルだ)に着いた時に、店の人が言った。

「最初のスープですが、『味噌のスープ』が良いですか?『ウニのスープ』が良いですか?」
...

聞くまでもない。全員が即座に『ウニのスープ!雲丹、ウニ!』と答えたのであった。

韓国に来て2日目。日本の味「味噌汁」が恋しくなったのではないかという親切な配慮なのであろうか。それとも韓国では味噌と雲丹が同等の価値を持つのであろうか。又は味噌スープの具は豪華絢爛なのであろうか。いや、しかし皆の心は互いに確認するまでも無い。ウニを食べたい!のであった。

味は当然満足のいくものだった。ウニとわかめのスープ。
メインが来るまでにテーブル一杯に並べられたキムチなどの惣菜。
30cm鍋にぎっしりと入った太刀魚の辛煮。

昼間からマッコリを飲み、満腹になった一団は満足して店を出た。
満足の理由は味だけではない。値段にも有るのだが、正確な金額は忘れた。チェジュ島の料理と名乗るからには、蛸や新鮮な魚介類のフェ(韓国風刺身)も出すのであろう。日本人なら誰でも喜ぶだろう。韓国で居酒屋を開拓するのも楽しい。
仁川空港に到着後、他の便で来る知人を待つ。折角なので待ち時間にウエルカムボードを作成。
コンビニで太字のペンを赤黒2本購入、店の横に捨ててあるダンボールを拾い、ダンボールを適当な大きさに折りたたみ、裏に「歓迎」などのメッセージを書く。ビジネスクラスで韓国来たが、やってることはホームレスだ。いざ、到着ゲートへ。

ベンチでがさごそしている僕を、韓国人おじさんが興味深そうに見ている。ゲートでは同じNWの便を待っている大学生グループに「ジャパンジャパン」と言われ?、小さな子供に替りにボード持ってもらい喜ばれたり(?)、束の間の交流をして過ごす。
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みんなと合流後は、市内の宿に。今回の宿は団体ということで、日本から予約していた普通っぽいホテル。どこかで聞いた名前にそっくり(しかし、パッカー宿)。

僕だけ予約していなかったのでドミトリー。同室になったのは、日本に進出希望の韓国企業に技術コンサルティングに来ているという日本人ビジネスマン(と言うか大阪商人)と、オマーン人旅行者。この日本人は3週間も滞在しているそうな。オマーン人は1週間くらいいるということだが、いつも眠っているので会話せず。 なんだか僕の部屋だけ"濃い"ような気がするのだがどうしてだろうか。

いつもの大元旅館とは違う。だが清潔だし、ネットも無料。ロビーで何か飲みながらゴロゴロしてたらそれなりに話し相手も出来そうで、まぁこんな宿も良いかなと思った。
1泊たしか17000W(1500円くらい)。
今回もまた成田空港にぎりぎりに到着。少しでも時間を短縮するため、柴山千代田行に乗って東成田駅下車。第2ターミナルまで600mダッシュ。 今回はアルバイトのYさんに助けてもらう。Yさんは以前成田のJALに居たので、直通の電話番号が分かった。

必死の形相だったのだろうか。出発カウンターにたどり着いた途端、職員に「お急ぎですか?」と声をかけてもらえた。誘導で優先カウンターでチェックインさせてもらう。

カウンター「中西様、お電話ありがとうございます。まだ間に合いますよ」
N西 :「はぁはぁ」
カウンター「中西様、お荷物は有りませんよね」
N西 :「えぇ。はぁはぁ」
カウンター「中西様は通路側が宜しいですよね?」
N西:「そんな登録してましたっけ?はぁはぁ」
カウンター「あいにく窓側はすべて埋まっておりますので」
N西:「あ、別にかまいませんよ。はぁはぁ」
カウンター:「中西様、ではお時間迫ってますので、すぐ出国手続きへどうぞ」 

座席番号は7Cだった。 あら?この飛行機って全席エコノミーだったかしら?
シートに座り、「あ、新型機なんだ、なんて良い座席なんだろう?」と思う。あら、リクライニングが180度になるじゃないか! マッサージ機能まで有る。あ、これがシェル型シートか。隣も後ろも気にならないや...
http://www.jal.co.jp/aircraft/conf/777er.html
http://www.jal.co.jp/inflight/inter/executive/c_seat/3d.html

この時点でビジネスクラスにアップグレードされたことにやっと気付いた。JALさんありがとう。Yさんのおかげかな?電話をしたからだろうか?ぎりぎりに行ったからか?いや、きっと自分の日頃の行いが良いからだ。たぶん。
帰らなかった日本兵」 長洋弘

太平洋戦争後も、インドネシアに残留、日本に帰らなかった(帰れなかった)日本人のその後を追うルポ。幸せに過ごす人、どう見ても幸せとは言い難い人。波乱万丈の人たちの戦後を追う。
この本が書かれたのは10年前。判明しているだけで当時177人の人がまだ生きていた。
この本に出てくる人達は今はどうなっているのだろう。


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「私は大正10年(1921年)2月13日秋田県河辺郡浜田村で生まれました。子供の時から船乗りになると決めていました。 千葉の砲術学校で訓練を受けた後に「秋田丸」に乗りました。20歳でした。船長は岡田熊吉さん(千葉県出身)で、乗組員は38人でした。神奈川県の三崎港を基地にしてトラック島やサイパンでマグロを捕っていました。

そんな時、太平洋戦争が始まりました。昭和17年11月20日、船が海軍に徴用されました。乗組員はそのまま全員が軍属(軍属:戦闘を行う軍人ではなく、軍で働く者)になりました。正式には日本海軍暁部隊の軍属です。三崎港からニューギニアまで食料・弾薬・兵士を運びました。その後は日本軍の進駐したインドネシアのジャワ・スマトラの島嶼間を、食料品・油などを運びました。

昭和18年になるとアメリカ軍の爆撃がひどくなりました。海の上で見つかったら、こんな小さな船、一発でおしまいです。運が良かったのか。徴用された船で残ったのは秋田丸くらいです。終戦はシンガポール、マラッカ沖でラジオを傍受して知りましたが、誰も信じませんでした。

敗戦を実感したのは8月下旬パカンバルに連合軍の憲兵が上陸し、150人の(連合軍の)捕虜を解放したときです。連合軍の命令で、その開放された捕虜たちをシンガポールに運びました。船尾に掲げていた日本海軍旗は降ろされました。その後は秋田丸は復員船として、スマトラ各地からシンガポールの間を行き来しました。敗戦国日本の将兵はみじめでした。

私は昭和22年(1947年)、秋田丸を下りた時に国を捨てる決心をしていたのかもしれません。
秋田丸は私の人生そのものです。鳥海山、十和田、なまはげ。秋田丸には私の祖国そのものが詰まってました。

日本軍が居なくなったインドネシアでは、オランダからの独立運動が盛んに成ってました。義勇軍出身のインドネシア人に誘われてゲリラ戦を闘いました。インドネシア独立後も私はインドネシア海軍に残りました。マレーシア紛争、イリアンジャヤ奪回作戦に参加した私はインドネシア海軍が日本から購入した輸送艦アマハイラ号に乗って、船の修理のため横浜に行きました。インドネシア海軍軍人としてです。22年ぶりの帰国でした。

母はその2週間前に老衰で亡くなっていました。父は私の幼少の頃に亡くなっています。私はこの帰国の2年前に初めて手紙を書きました。「万次郎です。お許しください。内地では私は死んだものとなっていると思います。元気です。ご安心ください。日本の商船、漁船がたくさん来ています。一度私も日本に行ってみたいと思います」

私はインドネシア政府から英雄勲章をはじめ15の勲章をいただきました。しかし私の勲章は秋田丸なのです。秋田丸はイギリス軍に引き渡してから見ていません。もう一度あの白い船体を見てみたいものです。」

1970年(昭和45年)、安藤はインドネシア海軍を退役し、長い戦いは終わった。
彼は1960年(昭和35年)の夏の出来事を今でも鮮明に思い出すと言う。

「インドネシア海軍がソ連(当時)に発注した軍艦エリアン号を受取にウラジオストックに行きました。その時私はそこで、ドッグで働く多くの日本人と出会ったのです。白髪が混じりまるで老人のようでした。終始監視され自由の全く無い彼らは、日本が平和になったことすら知りませんでした。戦後15年経っているのに。彼らがその後どうなったかは私は知る由も有りません。あの時に離隊した私に比べ、戦後の祖国を知らない彼らより私は恵まれていると思いました」

~~イスマエル・タンジュン・アンドウ ~日本名:安藤万次郎
ジャカルタにて過ごす。妻と子供7人~~

秋田県の記録によれば、秋田丸は秋田県水産試験場調査船として1933年建造。東部太平洋、沿海州の漁業調査後、1944年海軍に徴用、スマトラ文政官所属漁業指導船となる。戦時下の記録は混乱のため不明。1945年スマトラ島パカンバルにおいてイギリスに没収、乗組員は捕虜として抑留後復員、とある。

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波乱万丈の人生を過ごした人が次々と紹介される。
上記の彼の歩みは特に、僕が行った場所といろいろとかぶることもあり、気になった。
ちなみに彼はかなり成功した部類に入る。悲惨な人は本当に悲惨な人生を過ごしている。
清濁併せ呑む街、マカオ。ポルトガルの海外領土として500年。中国の行政地域となったとはいえ、中国本土とは違う文化が生きている。最近この10年の急激な開発、カジノの人気ぶり、大陸人の流入での雰囲気の変化は憂えているのだが...

キリスト教(カトリック、プロテスタント)、仏教、道教、船乗りが進行する各国土着の宗教、様々な宗教の信徒が住む街。 その反対に、世俗的な人も世界中から集う街。
ニューヨークがミックスジュース(人種の個性が混ざる街)ではなくサラダボール(各人種の個性が共存する街)に例えられるようになったのは今から15年位前から。マカオはそれよりも以前からサラダボールの状態だった。

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シンガポールで"音吉"の墓を見てから1ヶ月。「海嶺」を読み、音吉が数年間滞在したマカオについて関心が深まる。太平洋を漂流しイギリスを経由しマカオにたどり着いた彼らはマカオで、イギリス商務省役人でキリスト教伝道師でもあるギュツラフのの保護を受ける。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1200067687&owner_id=843613

国籍や信仰宗教によらず誰でも暮らせる街マカオ。
この混沌とした街の魅力に以前から自分は惹かれてきた。

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マカオには各国から人が集った。大航海時代のポルトガル人だけではない。スペイン人、オランダ人、香港がイギリスの植民地となるまでは、イギリスやアメリカ人。軍人、商人、金持ちから奴隷まで。朱印船貿易時代は多くの日本人も訪れた。

本人の意思に因らず訪れた多くの亡命者。迫害を受けて逃げてきた各地の難民。江戸時代には鎖国で追われた日本人、政変で追われてきた明・清国人、越南(ベトナム)人。

第二次世界大戦時代の、共産党・国民党・日本軍・イギリス人・アメリカ人の不思議な共存生活。(ポルトガルは中立国だったので、マカオは大戦中も中立地帯だった。実際は小競合いは頻発し、各国スパイが暗躍した)

文化大革命の騒乱。共産中国と資本主義国ポルトガルとの対立。 インドシナ・ベトナム戦争時の思想対立。インドネシア騒乱と、東チモール難民の受入れ(東チモールもポルトガル領だった)。

タイパ島と対岸の中国との間は泳いで渡れる距離で、昔は不法入国者も居たようだが、中国の生活水準が上がったこともあり中国難民は今は居ない様だ。海岸の警備兵も今は居ない。

だが、現在もどんな組織に属している者も受け入れる不思議な街。
後継者争いに負けた(?)金正男もマカオで家族と暮らしている。(北朝鮮特務もマカオではさすがに手を出すことができないようだ) 


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【マカオとの関わり】
僕が初めて海外旅行に行ったのが香港とマカオ。高校の修学旅行でだ。
アジア各国6コースの中から一つを選ぶと言うものだったが、なぜそのコースを選んだのかは分からない。しかしそれまで海外に行くと思ったことの無い田舎の高校生にとって、これは大きな転機だった。

その旅行ではマカオには香港から日帰りで訪れただけだ。餌の模型を目がけて走るドッグレース場の犬のお間抜けぶり(高校生をこんな所に行かせるとは)、昼食のちゃちい洋風料理(今思い返せば、あれはポルトガル料理ではない)...と、たいした記憶は無いのだがこの街の魅力に気付いてしまったのは確かだ。バイト代を貯めて、4ヵ月後の春休みに再訪したのだから。

それから10年。ポルトガル人の後を追ってリスボンやマラッカ、シンガポール、九州(平戸/五島/長崎/島原/天草/鹿児島/種子島/沖縄各地)を何度も旅をしたが、言葉では表現できないがいつも奥深さを感じさせる。
中国と西洋の混じった"中西"な不思議な街、マカオ(街中には[中西美食][中西装飾]などの看板をみかける)。まだ目が離せない。

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【もっと知りたい】
歴史をざっと知りたいのなら普通はモンテの丘に有る博物館(ポルトガル軍の要塞が有った)に行くのだろうが、もっと深く本当に調査したいのなら民政総署の2階にある文書館と、聖オーガスティン教会の傍のロバート・ホートン図書館。ポルトガル統治下の数百年間の資料が誰でも閲覧できる。民政総署(海外領行政府)には本当に貴重っぽい書類が誰でも閲覧できる。言葉(ポルトガル語か、せめて英語でも)が分かれば絶対楽しいはずなのだが...

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【マカオでの食事】
タイパ島官也街にはお手頃価格のレストランが多いのだが、その中の「サントス(山度士葡式餐廳)」。残留ポルトガル人のサントスさんの経営。ポルトガルの素朴な料理多い。味も良い。ポルトガル人がテレビを観てサッカーの応援をしていたりする。

セナド広場から徒歩10分ほどの[]は大航海時代の産物マカオ料理。アフリカや中近東のスパイスと、中華の食材のmix。定番はカレークラブ、アフリカンチキンなど。

ポルトガル軍の将校クラブだった「ミリタリークラブ(葡萄牙陸軍餐庁)」ではポルトガル料理とワイン。お手頃メニューから豪華コースまで。団体ツアーでも使われるが、セットメニューではなくアラカルトで頼むとちゃんとしたのをつくってくれる。料理、ワインとも種類多い。

サンズやリスボア、ベネチアンなどのカジノのレストランは意外と庶民的な値段だが、金さえ出せばすごい料理も。広東料理がハズレが無いような気もする。いやそんなに場数踏んでないけど。(でも、上の3つ以外のカジノのレストランは全然イケテない。昔はハイアットの1階奥にあったレストラン[フラミンゴ]が良かったのに!本当に)

以前、リスボアでパーティを企画したことが(実現しなかったが)有ったが値段が天井知らずですごかった。豚1匹丸焼きして美味しい所だけ食べるとか(笑)。広東人金持ちってステキ。


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【マカオの観光名所】
セントポール教会の跡にツアーだと連れて行かれるのだが、観光地化されていて面白くない。これだけを観てマカオを後にすれば、マカオのイメージは良くないものとして残るだろう。
教会もギア教会(世界遺産だが)は素朴で歴史もあるのだが、今ひとつ。近くにはポルトガル軍の要塞跡が有る。

廟、道教寺院も北の方に何件か有り趣は有るが、自分は一度行けば十分。

それよりも普通に、街を散策するほうが楽しい。
福隆新街には真っ赤な中国風の置屋(昔の歓楽風俗街)が並ぶ。
中国との国境付近には元不法入国者の雑多なマンション(見ても面白く無いが)。
廟の近くの広東人達の昔の暮らし(共産中国では廃れてしまった文化)。
半島南部の超高級住宅ヴィラ街(誰が住んでるんだか)。
路環村の古い南国風?の民家。

マカオには30もの世界遺産に指定された建物がある。
この狭い土地にこれだけ密集するのはローマとマカオだけだろう。見所は多いのだがそれよりも、マーガレットのエッグタルトか、義順のプリンでも買って、カモンエスの広場でのんびり時間を過ごすひと時(カジノで熱くなった頭を冷やして)が良い。


【泊まるところ】
マカオにはバックパッカーが泊まるようなゲストハウスやYHは無い(有るのかもしれないが必要無い)。中国の大都市に有るようなあまり面白みの無いホテルで数千円も有れば泊まれる(ホテルや予約サイト、日本で申込ではなく、現地の旅行会社を通すと安い)。

最近出来た欧米資本のカジノホテル(ベネチアンとか)は設備サービスともに良いと思われる(まだ僕は泊まったこと無い)。 これまでマンダリンオリエンタルが高級と言われていたが、自分の感想としては、値段の割りにたいしたこと無いイメージ。

特殊なホテルとして挙げるなら、マカオ半島の南端に有るポウサタ・デ・サンチアゴ(聖地牙哥酒店)。300年前のポルトガル軍の要塞を改造したホテル。クラシックな内装で人気。テラスで海を眺めて大航海時代に思いを馳せながらお茶するだけでも良いが、宿泊を薦める。全室スィート。12部屋のみ、早めの予約を。チャペルは昔からある本物なのだがしょぼい。


【マカオに住む人】
実際に住んでいるのはほとんどが広東人。何百年も住む人も、数十年前に不法入国してきた人もどちらも多い。
昼時には昼ごはんを食べに家に帰る、制服を着た学生をたくさん見かけるだろう。みな真面目に見える。カジノの制服を着たディーラー達の出勤風景もお馴染みだが、みな真面目そうだ。
カジノや歓楽街が住宅地と密接しているのは教育に悪いのでは無いかと考えるのだが、そうでも無いようだ。反面教師として捉えているのだろうか。「外国人や大陸人のようにカジノにはまると失敗するのよ!真面目にカジノで働いてあいつらからがっぽりせしめるのよ!」みたいな。

タイパ島にマカオ大学が有る。歴史は浅いが、伝統的に豊かな中国人は子供の教育には力を入れる。欧米に留学する人も多いのだろう。

ザビエル教会で、父親がポルトガル人と中国人とのハーフで、母親がアメリカン人という女の子とここで出会った。ハワイ大学で神学を学び、生まれた街マカオに戻ってきたという。こういうのがマカオっぽくて良い。


【おまけ】
3D-MACAU 

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