海岸の方に進む。国道はアスファルト舗装がされているが、それ以外の道はまだされていない。瓦礫はほぼ片付いていて、車・歩行者とも通行に問題は無い。津波が来た地域は新しい家を建てることは禁止されているのだが残った建物(と言っても外壁だけ)で商売している店もわずかだが有る。ガソリンスタンドなど。

だが堤防も損傷しているのでまた津波が来たらどうしようもない。夜は完全に無人地帯、暗闇となるので住むのはまだ無理。


道をふさぐものが有ったので車を降りて見てみるとなんと蒸気機関車だった。これはさすがに動かせない...まわりは除去された瓦礫が数メートルの高さで積まれている。

<photo src="v2:1275474827:l">
周囲は見渡す限り何も無い。津波が届かなかった周囲の山の緑との対照が際立つ。風をさえぎるものが無く、砂ほこりがひどい。瓦礫除去作業に携わった人はアスベスト対策なんてしてないだろう。原子力云々だけでなく、ここに長時間居たら健康被害もひどいだろう。次はどこから何を手をつけたらよいかなど全く分からない感じ。


道を挟んで5階建の建物が残っていた。志津川病院だった。志津川病院を目指してきたわけではないのだが、防災庁舎と同じく今回の震災の"舞台"となった場所に自分が居ることに改めて驚く。

志津川病院(震災前からそのままのサイト/現在はもちろん運営されていない)
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/modules/byouin/index.php

<photo src="v2:1275474915:l">
病院には怖くて入らなかった。風が本当にすごい。

志津川病院には地震発生時に107人の入院患者が居た。屋上に避難することが出来なかった患者が多く亡くなった。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110607_01.htm
志津川病院の建物はしっかりしていたのだろう、周囲の建物はほぼ壊滅しているのだが、病院の建物は崩れなかった(現に今もしっかり建っている)。5階までは水は来なかったので何十人かは津波を乗り切ったのだが、悲惨な状態はそれで終わらず、医師達のそれからの奮闘がこの病院の名前を世界に広めることになった。

津波が過ぎた後も周囲はすべて海になってしまい、逃げることは出来なかった人達は屋上で夜を明かした。雪が降り、海の真ん中に居るのと同じ状態、吹きさらしの中で救援が来るまで耐えなければならなかった。何人もの患者が夜を乗り切れずに亡くなったのだが、医師・看護士は食べ物・医薬品・電気・包帯すら無い状態で病人・怪我人の面倒を見続けた。情報も無い状態(テレビでは"宮城県で死者・行方不明者が多く出ている模様です"など言っていた)で耐えるのは大変だっただろう。


この突如として"野戦病院"となった状態で奮迅した医師は、TIME誌の今年の「世界に影響力のある100人」に選ばれた。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110607_01.htm
http://www.asahi.com/international/update/0422/TKY201104220187.html

ここに来て意外、想像と違ったのは、病院が海のすぐそばに有ったことだった。高さはほぼ海抜0メートル(たぶん数メートル)、海岸線からも数百メートルの場所。よくこんな立地で生き残ったなぁと思える場所にこの病院は有った。


病院の前は国道で、気仙沼方面へ向かう車が、数分に一台くらいのペースで通る。仙台から気仙沼方面へのバスもここを通っていた。周囲の荒涼とした風景をバスの乗客は食い入るように見ていた。

国道398号線(本吉街道)を登米から東へ向かう。
なだらかな峠を越えて、平野に出てきてまず見えたのが合同庁舎だった。

山間部に有る小さな平野部に有るその建物は目立っていた。生まれて初めてこの目で見る津波の被害を受けた建物、すぐにはそのことに気付かなかった。それまで走ってきた山間の平和な道から見る風景とあまりにも異なり、近くに来ればもちろん分かるのだが、あまりにも突如とて現れるので、心の余裕ができていなかったのだ。

実際は何も無い平野に庁舎だけ建てられるはずはなく、津波が来る前はこの周囲には家が立ち並んでいたのだろうが全く無い。何も無いのだ。基礎がしっかり出来ていて鉄筋建のこの建物以外はすべて流されたようだ。道の右側にこの合同庁舎が有り、左側に川が流れているのだが、津波はこの川をさかのぼってきた。地図も見ないできままに走ってきたこともあり、新聞やネットでよく見かけた"南三陸町合同庁舎"がいきなりまず見ることになるとは思っていなかった。


道沿いにファミリーマートが営業していた。写真にも写っているが、高台に建っている家はなんとも無いようだが、平野部は何もかもが無くなっている。[OPEN SALE][スタッフ募集中]の張り紙が何とも言えない。広い駐車場の端で、部活帰りの中学生の女の子が数人座って話をしていた。周りは瓦礫の山。


帰宅後地図を見ると、この道の左右の丘の上に志津川中学校と志津川高校が有ることに気付く。津波来襲時にそこから撮影した動画はあまりにも生々しく話題になった。

(映像の最後の方に写っている人は助かったそうです)


すぐ近くに、今は骨組みだけになった防災対策庁舎が有る。この地域で防災と言えば津波だろう。もちろんその対策の為の建物なのだから、ここまでは津波は来ないことを想定して建てられていたはずだ。実際には津波が来ないどころか、この建物以上の高さの津波が来ている。

この建物の3階で避難を呼びかける放送を流していた女性が殉職した。
http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2011/0401minamisanriku-bousai/

生き残った職員が撮影していた写真。見渡す限り水しかない光景。写真でも分かるが海からはかなり離れている(2kmくらい)。上の動画でも分かることだが、津波が来たことを知ってから逃げようと思っても逃げられない。実際に車で走ってみるとよく分かる。
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/uploads/photos1/2064.pdf




【CM】

南東北(福島から仙台、松島/南三陸/女川/石巻)を車で駆け抜けた。

知人の多くがボランティアに参加しているが、自分は"観光"しかしていない。3月11日の地震から5ヶ月。今回は風光明媚な観光地を巡るのが目的ではなく、被災地の現在の様子を観るのが目的だ。被災地にももちろん人は暮らしていて、主要道路は復旧している。車が有れば(原発周囲を除いて)ほぼどこでも行ける。あまり褒められたものではないのかもしれない。自分は新聞記者でもない。だが今のこの様子は今しか見れない(もっと早く行きたかったくらいだ)。これを自らの目で見るのは重要なのではと思う。



【8月5日】
福島市郊外の飯坂温泉の宿を出発したのは朝10時。
もっと早く出るべきだが、温泉宿ではどうしてものんびりとしてしまう。

前夜、直前に予約をして飛込みで泊まったので朝食は付いていない。宿を発つ際に宿の人にクッキーをもらう。震災の影響でサービスが出来ないお詫びだと言う。ただ"安い(4000円)"という理由だけでこの宿を選んだので、こちらとしては全く文句は無い。震災で3階は客を入れられる状態でなかったいうのは宿を出てから気付いた。温泉街を散策している人は少なくどこも大変だなぁと思ってはいたが、原発の風評被害だけでなく、建物の被害も有ったのだ。閉館しているホテルも多いという。温泉の湯は豊富に出ている。もったいない。観光で生計をたてているこの人達の危機感は大変だろう。


スーパーで買ったおにぎりなどを食べつつ、仙台に向かう。
被災者は通行料無料なので、高速道路は混んでいるが流れていた。

仙台市内へは向かわず、仙台空港へ。平地にある仙台空港周辺は津波で大きな被害を受けた。津波来襲時には奇跡的に飛行機が1機も無く、空港内で死者はでなかったが多くの人が数日閉じ込められた。

空港は運行は再開しており、空港内や道路上は整理されているのだが、周囲は瓦礫の山。数メートルの高さ、小山のようなものがぽつぽつと有る。

空港の前の蕎麦屋は崩れている。倉庫は骨組みだけを残しているだけ。
レンタカー屋は小さなプレハブで営業していた。

空港の周囲数kmはこれまで何が有ったのか分からないほど何もない。ところどころ無人の家がぽつぽつ有る。あの家は割ときれいだなと思って近寄ると家の中は土で埋まっていたりする。

高速道路を境にして被害が分かれているような気がした。暫くの間はこの地域には家を建てないようにという看板が立っている。山が無く平らな土地なので海から数km離れていても被害は大きい。

電柱は最近立てられたもの。


七夕祭りで混雑しているだろう仙台市内には入らず、中心部のビルを遠くに見ながら石巻方面に向かう。松島周辺は観光客がたくさん居るし、幹線道路沿いの店々は他の地域のそれと同じくほぼ通常通り営業している。余震は続くとは言え本震から5ヶ月も経っていて、復興のスピードには大きな差が出ている。

松島から三陸縦貫自動車道に入る。松島以遠は震災前から無料開放されている。高架道路上から見る石巻市街地はビルが立ち並び問題無さそうに見えた(この後にそれは内陸部だけであることを知るが)。河北ICで降りて休憩の為に入った道の駅(上品の郷)も、周辺で獲れた野菜や魚を売っていて観光客が群がっているのを見ていると地震のことは分からない。ここでは鯨肉を売っていて興味を持った。

三陸道で北上を続け、終点の登米東和ICから東へ折れる。登米しは内陸に有る農村で、山間の平地では青々とした田んぼが続き静かなところだった。

そして車で20分ほど山の中を東に向けて走ったところ...




【CM】

鮒鮨(鮒寿司、ふなずし)の名前を聞いたことが有る人は多い。その鮒寿司が滋賀県の名産であることも多くの人が知っている。しかし意外なことにそれを食べた事の有る人は、滋賀県以外ではほとんど居ない。

そして食べたことが無いのに「鮒寿司は臭い」ということは知られていたりする。

その断片的な知識だけのために、誤解が生まれるのだろう。

この記事のように、鮒寿司は"つまみ"である、握り寿司のように"主食ではない"、そして"おかずでもない"ことを予め知っていたら、もし鮒寿司を口にする機会を幸運にも得た人は抵抗なく食べれるのかもしれない。

チーズなのだ。メインのおかずではない、主食でもない、調味料とも違う。

フランス料理を食べた後に「フロマージュはいかがですか?」と尋ねられるように、料亭で焼物・ご飯など食べ終わった後、デザートの前に、鮒寿司が一切れでたらオサレだと思うし、都会の人も受け入れると思う。

スカイマークの航空券が残っていたので週末沖縄へ行ってきた。

旅で悩むと言えばお土産。まぁ毎度のことで毎回そんなに悩んでいるわけでもないのだが、特に意識しないで旅をしていると帰りの空港でありきたりのものを買うことになってしまう。いや、まぁそれが望まれているような気もするのだが。
特に途上国に行った場合、そして普段旅をしない人へのお土産はいつもかなり難しい。昔、中国土産にひまわりの種(もちろん食用)を渡したときはかなり不評だったし。


で、今回。街をぷらぷら歩いていると、道端の民家の前でのかごに入れられ、あるモノが売られていた。

さすが南国沖縄。道端でドラゴンフルーツが無造作に売られているではないか。それも1個100円。実家(滋賀)の近くでは葱とかが売られてたり、千葉でも卵の無人販売はあるが、ドラゴンフルーツの路上販売は見たことが無い。

思わず大きなものを何個か選ぶ。Yさんはこども2人いるし、AさんもKさんも1個じゃ寂しいよな...と考えつつ10個選んでいると、家の中からおばさんが出てきた。

「本州に持って帰っても問題ないですよね(沖縄から本州へのサツマイモなどの持込は法律で禁止されているので)」と一応確認しながら袋に詰めるとおばさんが、「これ、虫が喰っとるがね」と1個取り出して指差す。

「あ、本当だ。気付かなかった、交換して良いですか」と聞くと
「いや、これはあんたにあげるから、新しいんを選びなさい」。

え?良いのと思い、1個新たに袋に入れると、
「こんな小さいので良いん?これ、もらいなさい」と別のも袋に入れる。

へ?と意味が理解できない僕は無視しておばさんは言った。
「10個だから1000円」
...薦められるまま袋には12個入っている(1個は虫食いだが)。

「おばさんありがと」と1000円渡すとおばさんは言った。
「虫が喰っとるやつは人にあげたらあかんよ。自分で食べなさい」

*---
今回のスタッフへのお土産は安くついた。ただ、かばんが重たい。 
Kさんにはドラゴンフルーツ食べるのは初めてと言って喜んでもらえた。 良かった。


[おまけ]
スカイマークカードは85万円買い物すると、好きな路線(日本国内)の往復無料航空券がもらえる。かなり敷居が低いと思うのだが、どうでしょう? 

上海万博は一日60万人が来場する。

食べ物は持ち込み禁止になっている。厳格に守られているかと言えば、そうでも無いようではあるが、おおっぴらに持込している人はない。食事はどこかの施設で食べるしかない。市内や中国のほかの都市の物価に比較するとやはり割高なのだが、日本人の感覚からすれば無理な値段設定ではない。ただ、あまり"豪華な食事"はほとんどなく、ファーストフード的なものがほとんどだ。

ザハットなどの世界的にメジャーな店も出店しているのだが、さすが中国。中国の各都市・省それぞれの有名チェーンが出展していて、それぞれのお国自慢料理が販売されているのだ。

食事時間帯でないからかもしれないが、どこも空いており、並ぶことはまず無い。すぐ食べられる。
(一般中国人の感覚からすれば、万博会場内の食事はやはり高いのだろう...)

<北京>
「全聚德」
他の店と比べるとやはり値段高めですが、内容と価格が一番見合っている店のような気もする。
<天津>
「狗不理包子」
"有名"ですね。"犬も食べない"理由とは...
<河北省>
「保定会館」
ロバの肉?ラクダだっけ?
<内モンゴル自治区>

「小肥羊」

日本でもおなじみですね?中国から海外に進出して最も成功したチェーンなのでは。

<遼寧省・大連>
「大連紀達」
<吉林省>
「延边考世貿民俗山庄」
<青海省・ゴルムド>

 「伊清斋」

<江西省>
「新九龙塘」
<浙江省>
「嘉兴五芳斋」

なんと日本語学校の学生。これは何?と聞いたら「これは生肉のチマキ。これはサーロインのチマキです」と解説。サーロインのちまき...日本語とは正しいんだけど...

かなり恥ずかしがって話してくれて、万博内で出会った人の中でとりあえず一番かわいいです。

<新疆ウイグル自治区>

 「新疆维吾尔自治区委员会办公厅干部培训中心」

<蘭州>
「」

 

<マカオ>

「ホテルリスボア」

マカオ料理。中華と言うのかどうかは分からないが。

<香港>

 「美心MX」

<陕西省・西安>
西安饭庄

 西安の本店は特級レストランだそうだ。

<チベット・ラサ>
「雪域源创火锅」
<雲南省>
「茶马古道」

 

<重慶>
「陶然居」
<海南省>
「龙泉人渔村」
南国っぽいです。チキンライスなど。
<広西>

 


楓涇(feng jing) からバスで上海市内に戻り、夕食は黄河路美食街に、5人で向かう。
店は直接その美食街に行ってから決めることにする。

一通り歩いて良さげな店に。店構えで選ぶ。

「苔聖園酒家」
エレベータに乗って上のフロアに。上に上がれば上がるほどレベルは上がると信じて。

  • サラダ  (中国では珍しい、が、いたって普通のサラダ)
  • 仏跳墻 (仏さまも飛べあがるほど美味しいという意。あわび、ふかひれなどの入った贅沢なスープ。
  • 豚肉の煮たもの
  • 上海蟹
  • 小龍包 

この日のお目当ては上海蟹、みんな黙々と食べる。ミソが美味しいのが分かった。
隠れメインは仏跳墻。スープだが凝っている。中国人が喜ぶ食材が目白押し、美味しくいただく。美味しんぼで紹介されていた。

ビールなどを含めて一人当たり250元(3000円)くらい。蟹と仏跳墻を他のメニューに変えればおそらくもっと低価格だが、この値段で美味しいものを、これだけ食べれるのはありがたい。

【苔聖園酒家(黄河店)】
上海市黄浦区黄河路50号
021-6375-0022
*地下鉄「人民広場」駅8番出口から, 国際飯店の右側の道(黄河路美食街)を入ってすぐ。
いつものことだが、帰国日はどたばた。
飛行機の出る2時間前に宿を出て、龍陽路駅(リニアの始発駅)までタクシー。
黄浦江を渡るがそんなに距離が無いのか、タクシー代は20元。
リニアは50元。残念ながら時速301kmまでしか出ない列車だった(ダイヤによるが、最高速度は431km/h)が、さすが10分弱で空港に。

日本各地への便が何便か出る時刻だがそんなに混んでいない。
あぁ、間に合った!と、ANAのカウンターに駆け込む。

Zさん 「N西さま、いつもご利用ありがとうございます。少々よろしいですか?」
N西 「えぇ。あ、荷物はこれだけです。預ける荷物は有りません」
Zさん 「ありがとうございます。実は次の成田行は満席になっているのです」
N西 「そうですか」 (連休の最終日だしね)
Zさん 「ですので、N西様のお座席は無いのです」
N西 「え? 大連行のフライトが無くなったから、大連経由ではなく成田行に乗るようにって言われたから」
Zさん 「はい、ですがこの成田行のフライトも予約は入っているのですが、お座席は埋まっているのです」
N西 「オーバーブックで次の便にって言うんだったら、そう予め言ってくれれば、」
Zさん 「えぇ、そうなんです、ちょっと待ってください」
(Zさん:電話で誰かと中国語で話している)

Zさん 「ですので、N西さまは今回はビジネスクラスにお乗りください」

もう、じらさないで最初からそう言ってください。もう不安がらせないで。

今回の旅行、既に3回目のフライト変更。 「こいつは変更の融通が利くから、予約は後回しにしてもOK」とでも端末に登録されているのかしらん。

確かに普通のビジネスマンより融通が利くし、怒ったりしないから扱いやすい客なのかもしれない。

ビジネスクラスは空いていた。半分くらい。連休だし観光客ばかりでビジネスマンは居ないのかもしれない。747-300型機。あら?欧米路線専用じゃないんだ!?

昼間っからシャンパン、つまみは「アラレ」。
機内今回の機内食、メニューは素っ気無いが、ボリュームはそれなりに。
「鯛の日本酒蒸し、あんかけ」「松茸ご飯」。赤出汁の味噌汁に涙が出る。
朝食の肉まん(1元)も美味しかったが、日本食もまたうれしい。
ANAに乗ったら、ドリンクはビールではなく、かぼすジュース(これはエコノミークラスでも出るが)。

お茶をお持ちしましたと言うスチュワーデス(中国に急須で緑茶を淹れられるとうれしい)、「南極料理人」を観て涙を流しているのを見られる。
「これ美味しいんです」と応えると、「食事をお召し上がりになられないお客様が居られましたので」と、笑いながら、もう片方のメイン「フィレステーキ」を持ってきてくれた(笑)。
ビジネスクラスで機内食をおかわりをする35歳男独身。そういオーラを出しているのか。
いや、「こいつはサービスを受けたらちゃんと喜ぶやつだ」と思われているのだ(プラス思考で)。

最後の最後まで充実した、だけどあっという間の短い旅だった。
夕食は新天地で。
池さんとskyさん、そして万博の日本館で働く鈴木さん(仮名)と。

店は鈴木さんの紹介で「采蝶軒 ZEN」。広東料理。
欧米など海外(日本でも大丸東京店にカフェが)に店が有るそうだ。

  • 采蝶軒 ZEN 新天地店 (シャンハイナビ)
    何かと名前をよく聞くこちらのお店、人気なのは新天地にあるオシャレで美味しい広東料理だから?と思っていたんですが、実は理由はそれだけではないんです。1980年に前身となる・・・
  • 蝶軒 ZEN 新天地店 (エクスプロア上海
    「国際美食案内」に世界十大レストランと評判された国際餐飲集団公司―采蝶軒が中国大陸で構えた初めての支店です。店に入ると、白い壁、黒い床、ハスの花型の灯りなど仏教的なデザインでシックで落ち着いた感じの店内・・・

4人も居れば一通り頼める。中華はやはり人数が居ないと。
携帯電話のカメラで写真映りが今一なので、写真は上記のリンク先の紹介ページを。
どれも美味しくいただく。
海老が大きくプリプリ、東波肉もかなり食べる。
5枚目のブロッコリーの料理のソースはカニ味噌をつかったもの。

ビールなどを含めて一人当たり160元(2000円)くらい。












 

瑞金賓館がイギリス様式でなかなか良い雰囲気だったことも有り、次もまた旧邸宅ホテルに行くことに。

次の「東湖賓館」は同じ時代だが、イギリス人ではなく中国人の建てたもの。そしてその中国人というのは上海マフィアのトップ杜月笙と聞けば、もう行くしかない。全く裏社会とは関係のない一市民が行商人からスタートしてマフィアのボスにまでのし上がるには本人の才覚・力だけでなく、運、そしてその時の歴史のいたずらが無くてはならないだろう。

イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・日本などの列強諸国、そして中国国内の各派閥、共産党と国民党だけではない、たくさんの裏組織が上海の中で勢力争いをしている中で生き延びるには、その各国ともちろん中国国内事情に通じていなければならない。

その彼の邸宅だ。期待をしてタクシーで向かった。

杜月笙は、上海事変後に日本軍の勢力に押されて、香港に脱出する。この建物も交通銀行(現在の中国五大銀行の一つ)となる。太平洋戦争中はアメリカ領事館として使われた。

戦争後に共産党が上海に入ってからは上海市政府の招待所となる。そして1982年、一般人でも泊まれるホテルとして開放された。


ホテルは一般道路を挟んで二つに分かれている。まずは本館の方に向かう。ちょうどリムジンが誰かを下ろして



 

 



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