近江八幡の名前の由来ともなった、日牟礼八幡宮は実家のすぐそばに有る。
小学生の夏休みに毎朝ラジオ体操で行った身近な神社なのだが、ここに珍しい絵馬が有る。日牟礼八幡宮は名前のとおり八幡信仰(一般的には戦の神)の神社だが、この絵馬は商人が納めたものだ。
近江八幡は近江商人の故郷と言われる。
みな、この小さな街から外に出て商売を始めるのだが、この絵馬を納めた「西村太郎右衛門」は目的地をベトナムにした。時代は江戸時代初期。まだ幕藩体制は整っていない。 安土桃山時代の文化、習慣は残っており、鎖国体制も完全ではなかった。近江や堺、長崎からは大勢の者がマカオ、タイ(シャム国)、ベトナム(安南)、フィリピン(呂宋)、カンボジアに出かけ、商売を行った。彼も成功を夢見て、近江八幡を出てアジアに出た。
だが20年後、ベトナムでビジネスに成功した彼が日本に戻って来た時、知らされた現実は過酷なものだった。 江戸幕府は鎖国政策を始め、海外から戻った者は死刑にするという掟が定められたのだ。長崎の港まで戻ってきた彼は上陸することは出来なかった。彼は長崎の町から船に絵師を呼び寄せ、自分の姿を絵に描かせ、その絵を地元の神社(日牟礼八幡宮)に届けさせた。
童門冬二「西村太郎右衛門」 <1><2>
この「安南渡海船額」は現存する。当時の様子を伝える貴重な文物ということで国の重要文化財に指定されたため本物は見られないのだが、レプリカが社務所の横に普通にかけてある(レプリカといっても年代物)。その絵の中に描かれている商人達は、船の上で食事を摂ったりしているのだが、活き活きとした良い表情で、実に楽しそうなのだ。(この神社には他にも国指定重要文化財が5点有る)
鎖国が始まってから、近江商人の活躍の場はアジアから日本国内に変わる。松前(北海道)との貿易を独占し、京、江戸で名前を挙げ、全国各地に支店網を作り、現代の商社の基礎を完成させた。
アジアとの貿易は忘れられ、西村太郎右衛門がベトナムのトンキン(現在のハノイ)やホイアンで、どんな商売をしていたのかは分かっていない。だが彼の墓は、太平洋戦争後ベトナムで発見された。正福寺(この寺も実家のすぐ傍だ)の過去帳には彼の名も載っているので実在したのは確かだ。
タイのアユタヤ、カンボジアのプノンペン、ベトナムのホイアンには当時(約400年前)の日本人町の跡が残っている。ホイアンには当時の商家/街並みが現存し、1999年に世界遺産に指定された。
江戸時代の小さな田舎町から、大きなことを考え外に出た人が多く居る。
このことを思うと嫌な事は忘れ、自分も何か出来るのではと夢を見ることが出来るのだ。
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