中世からの隔絶集落-菅浦

昭和49年に道路が出来るまでは船でしか行けない隔絶された集落だった菅浦集落へ再訪。小さな集落だが、中世(平安から室町)の集落の自治組織怱について書かれた書類[菅浦文書]が国宝に指定されていて有名。

もちろんテーマパークでも展示施設ではなく、今も住民が暮らす集落。集落入口に駐車場が有り、住民以外の車は集落に入らないようお願いする文章が有る(禁止されているわけではないが集落内に駐車場は無い)。

今回は集落が運営する資料館へ初めて入る。展示されている菅浦文書は複製だが、室町時代の能面や鼓は本物、いくつかの文書の展示など小規模だが興味深い内容。平安時代からの文書が残っているのはすごい。文化度が高かったことも分かる。

神社もごく小ぶりで平成に再建された建物のよう。参道も平成15年に整備されている。

神社裏には淳仁天皇の陵墓があるとの伝説があり、境内は土足厳禁など興味深い歴史が有る。階段前でスリッパに履き替える。


帰宅後調べたところ、淳仁天皇は47代天皇だが廃帝になり淡路島へ追放され逃亡した旨。宮内庁は淡路島にある丘が陵であるという認識。菅浦文書も平安時代以降のもので、奈良時代の出来事は謎。敵対した称徳天皇の意向で淳仁天皇は天皇と認められず、1200年以上前の政変ということもありこのような伝承が生まれたようだ。

阿弥陀堂は立派。時宗とのこと。このあたりでは珍しいのでは。


割烹料亭が一軒だけ有ること、湖魚定食や冬には鴨料理を出しているのを知り訪問。扉を開けたところで「え、お客さんですか!?」と驚かれる。営業時間内に飲食店に入って驚かれるとは一体どんな店なのか(笑)。実は料理人である主人は今は資料館の受付に出かけており料理が出せないとのこと。資料館は日曜のみ開館で、集落の者が持ち回りで受付業務を行っており、たまたま今日がこの家の番とのこと。さっきの資料館のおじさんがこの店の店主だったのか(驚)。昼食はあきらめた。
小さな湊には釣り人。集落の目の前こんなところで釣れるのかと思うが、さすがに琵琶湖北端は透明度も高い。浜ではなく水深も意外とある。泳いでいる小魚が肉眼でも見れた。

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快晴で暖かく、風も無く琵琶湖は穏やか、静かな集落は非常に心地良い。ここでのんびり過ごすのも良いのだか、空腹に耐えられず集落を後にした。


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