略歴(旅のことを中心に)

B型、うさぎ年生まれの乙女座


【1975】9月7日 滋賀県近江八幡市にて生まれる。幼いころの具体的な記憶はあまりない。おとなしい子供。長男・両親にとって初めての子供で、毎週のように京都の動物園に連れて行ってもらっていた(らしい)。

【1981】小学校でもフツーの子。田舎だったのでのんびり遊んで暮らす。

【1987】中学校では真面目と思われ困る。学校での勉強は楽しくなかった。運動音痴。親の勧めで、自分では知らぬ間に中1から塾に通い始める。初めて勉強というものをする。それなりに楽しかった。受験勉強というものはどこか他人事だった。あの頃塾に一緒だった友達とはまた会いたい。音信取るすべも無いが。

【1990】地域トップの県立高校の受験に落ち、家から近い某私立高校に入学。もしかしたら結構個性の有る学校だったのかもしれない。同級生の男はすべて変な奴個性の有る人ばかりだった。高校時代のことは詳しく覚えている。

【1992】高校2年修学旅行で香港へ。なぜ香港を選んだのか良く分からない (修学旅行なのにグループに分かれ、人によって目的地が違うのも変な学校だ)。
修学旅行(初の海外)は驚きの連続だった。飛行機に初めて乗る。どんなことにも興奮した。 夜ホテルの部屋を出て近くのゲームセンターに行くのだけで大冒険だった。現地の交換校と交流会のようなのが有った。 言葉が通じないとつまらなそうにしている友達が多かったが、自分は楽しかった。外国人と会話をしたのは初めて。 意外と通じるやん。[香港/マカオ]

【1993】登校前に新聞配達などのバイトをして貯めた資金で、修学旅行で知り合った高校生を尋ねる為、 春休みに香港へ一人で向かう。親に隠れて準備を進めた為に、航空券が家に郵送されてきた時は少しもめる。 修学旅行でシンガポールに行った女の子が「みんな親切で町はキレイだった」と言っていたのでシンガポールにもついでに行く。
夏休みに韓国へ行く。ゲストハウスやYHに泊まる。いわゆるバックパッカーを知ったのはこの時。
[香港/マカオ/シンガポール/マレーシア/韓国]

【1994】高校入学時には良かった成績もこの頃は悲惨なことになっていて、 大学に行くとは思っていなかった(浪人すると思っていた)ので、まとまって休みが取れるのはこの時しかないと思い込み、他の多くの人は大学受験している高校3年の2月に旅にでる。東ヨーロッパを駆け足で回る。
旅行前に郵送されてきたワルシャワ行の航空券を僕よりも前に親が見つけ、「ワルシャワと言ったらワルシャワ条約やないか!」とよく判らない理由で怒られる。

旅行中は動きまくる。 ベオグラードを観光している時、頭上にはNATOの戦闘機が飛んでいた。危険な事はしていない。受験勉強しないで情報収集は本当に時間をかけた。 あの頃はインターネットなるものは無かった。変な高校生の相手をしてくれた各国の大使館の人達などには感謝する。
この旅行以来なぜか旧共産国によく行くようになる。[ドイツ/ポーランド/チェコ/スロバキア/ハンガリー/ルーマニア/セルビア/ブルガリア]

大学入学後、実家から出て大阪で暮らす。最初1年は新聞配達をしてお金を貯める。 学校へはまともに行かず、アルバイトをしては旅行に行く。ヒマな時は本を読んでいた。夏休みに穂高縦走する。新聞配達のせいかパーティの中で最も持久力が有るということで重い荷物を持つことになる。高所恐怖症のため、崖の登攀などに苦労する。

【1995】大学2年目からいきなり取り付かれたように海外へ出かけるようになる。旅行情報誌「エイビーロードwest」創刊にあたり、読者投稿欄にネタが無いので何か書いてくれと声がかかる。 「初めての一人旅で香港でインド人に騙された話」が掲載される。
旅先で知り合った人と日本でも会い、飲みに行ったりするようになる。
旅に行くことが仕事にならないか考える。授業の合間を縫ってアルバイト。昼間はリクルート社で編集、夜はコンビニで。空いた日には派遣スタッフとして、短期で色々な仕事に。
[アメリカ/フランス/スペイン/韓国/タイ]

【1996】中国でパスポートと財布を紛失(が、保険金が貰える)。手作り感いっぱいのパスポートを大使館で取得する。[韓国/中国/台湾/香港/マカオ]

【1997】1年前には達成出来なかったシルクロードを陸路横断。パキスタンまで行く。この年日本人23人目のエルトール小川型コレラ菌保有者になり、新聞に載る(当時は法定伝染病だった)。バイキンマン扱いを受け、2週間隔離される(が、保険金が貰える)。 [韓国/中国/パキスタン/タイ]

大学卒業後、半年間だけの会社員生活の後、無一文同然で上京する。本当に無職&起業予定だったのでほとんどの不動産屋にあきれられ相手にされなかった (このあたりの詳細は本人に会った際にさりげなく聞いてください)。 江戸川区小岩のアパートに住む。

【1998】チケットアルファ開業(個人事業)。頭の中で考えているのではなく、実際に商売(あえてビジネスとは言わない)を始める。大成功と言えるものではないかも知れないが、 現在も生計を立てていけているということで まぁ失敗ではないと変な自信を持つ。当時はネットの黎明期だったこともあり、 こんな規模でもマスコミの取材を何回か受けたりもした。[タイ/ミャンマー]

【2000】国税庁の査察(マルサ)に入られる。[中国]
【2002】[台湾]
【2003】家賃の安さに惹かれ千葉に引越。東京の不動産屋に「都落ちですか?」と堂々と聞かれ返答に窮する。 新しい部屋の間取りが変(2LDKK。KKって何?)で気に入る(元居酒屋の店舗付住宅)。[イタリア/クロアチア/ボスニア・ヘルチェゴビア/シンガポール/インドネシア]

【2004】自家用車でユーラシア大陸横断。 全線開通したばかりのシベリア横断道路を全線単独走破。単独で、このルートで同一車両自走でポルトガルまで行ったのは恐らく世界初だと思われる。[ロシア~ポルトガル~イギリス(16カ国)]

【2005】調子にのってMTBを買い、マカオまで行こうとするも、ブレーキをはめていなかったという信じられない理由で事故に遭う(自宅から数十メートルで)。右腕の骨を折り入院。リハビリを含め全治2ヵ月半。[アメリカ/中国/香港/マカオ/マカオ]

事故にめげずまた自転車に乗り、 千葉から滋賀県まで自転車で帰省する。
株式会社化。仕事場を自宅から切り離す。[韓国/中国/ロシア/シンガポール/インドネシア/マカオ/香港/グアム]

【2007】その後も暇な週末などに、自転車で旅を続ける(九州まで行く)。中学生の男の子の夏休みみたい…[アラブ首長国連邦/イエメン/韓国/インドネシア/パラオ]
【2008】趣味が昂じて、旅行業を行う法人を設立。

【2011】リーマンショックなどの景気低迷は切り抜けるも、東日本大震災以降、本業の売上が低迷。事業規模を縮小、千葉の事業所を閉鎖。東京都中央区に引越。

【2012】[プーケット(タイ)、オークランド(ニュージーランド)、ラロトンガ、マンガイア(クック諸島)、シドニー(オーストラリア)、ホーチミン(ベトナム)など]

【2014】五島列島の福江島に出来たばかりのゲストハウスに泊まり、島旅・ゲストハウスの楽しさに目覚める(?) 以降毎年のように五島列島に行くようになる。

バンコク、パーイ、メーホンソン、パタヤ(タイ)

【2016】世界で一番寒い街、サハ共和国ベルホヤンスクへ行く。公共交通機関の無い、ネットで検索しても全く情報の無いシベリア奥地の街へどうやって行くか、マイナス50度以下の極地へは何を持っていくべきかなどの課題を考える旅の準備の過程が非常に楽しく、そして「誰も行ったことがないところへ行く」ことの楽しさを発見する。[ロシア連邦,サハ共和国,香港]
旅の報告会・講演会を開催する。後に他の人にもその楽しさを味わってもらいたく「旅人会」を創る。

梅里雪山の麓の村を散策。麗江,香格里拉,徳欽,飛来寺,明永村(雲南省)

【2020】コロナ禍で旅行自体が忌むべきものと思われる風潮だが、一人旅は問題ないではないかという信念をもち、国内旅行(主に過疎地域)を続ける。個人経営の宿の楽しさを知る。

現在は仕事に勤しみ、空いた時間に旅行に行くフツーの日本人である。