しげる君の送迎会
ビリヤニハウス元住民のしげる君が来月からパナマに赴任し暫く会えなくなるので、farewellpartyが先週末に有った。少し懐かしい面々に会ったのだが、同じ1年でも人によって時間の経ち方が違うように感じた。
しげる君が 伊藤忠商事に入社してわずか1年半。新卒入社2年目で海外駐在というのはすごく早い(同期で2人目だそうだ)。ほとんど未経験の人間を海外の第一線に出す会社の決断もすごいが、本人の実力もきっとすごいのだろう。それは現在ではなく未来のものかもしれないけど。
伊藤忠商事は(自分の中では)イメージが良い。近江商人贔屓だけというわけではなく、人と人との繋がりを重視するこの会社のこれまでの歴史が作り上げたものだ。他の総合商社よりスマートさではなく泥臭さいイメージが強いところも。
昨日映画「海難1890」を見た。映画の後半は イランイラク戦争時の テヘランからの在留邦人の脱出を描いている。戦争が始まり欧米各国は自国民避難の為にテヘランに臨時便を飛ばすが、日本からは救援機は来ない。取り残された300人以上の日本人を救出したのはトルコ航空だった。映画では日本大使がトルコ大使館員を通じてトルコ首相に救援機を依頼するという話だったのだが、現実はそれだけではない。
当時のトルコ首相に救援機派遣を頼んだのは、映画では触れられていなかったが伊藤忠商事のトルコ支店長だ。この事件より何年も昔に一駐在員だった彼は、石油資源もない貧しい農業国にすぎなかったトルコに農業用トラクターの製造工場を作った。部品の日本からの輸入、資金調達、完成品の輸出まで伊藤忠が行い、それがきっかけでトルコ経済は発展した (もちろん伊藤忠も)。トルコ側の担当だった役人はその手腕を買われて大臣になり、首相になったのだ。その長い付き合いの友人からの依頼だったから、トルコ首相は何の金銭的見返りも求めず、日本人の救出に動いたのだ。
伊藤忠の”三方よし”の姿勢が国を動かした。最初に取引を行った時点ではそこまでの事は予測していなかったはずだ。小さな人と人との繋がり、互いの発展を通じて、互いの信頼は大きくなり、この話に繋がった。
今回しげる君は前もって、この日に「僕に会いたい」というメッセージを重ねて伝えてきていた。facebookイベントではなく自分の文章で。些細な事で人の印象は決まる。人間関係を重視するこの会社の教育の賜物か、天性のものかは分からないが、彼は味方を作るのがうまいと思う。
このコミュニティ(←いわゆるビリヤニ)に交じって2・3年。自分にはあっという間に感じるし、特に成長していないが、自分より若い年代の人は違うように思う。彼&彼に関わる人達のこれからの未来が楽しみ。