ミャンマーの秘密警察
ミャンマーがいきなり騒々しくなってきた。なぜ急にこんなことになったのだろう。ミャンマーは軍事政権ということで、政府のイメージは昔から悪かった。先月の石油の値上がりの影響とか言われているが、いきなりすぎるので驚く。
ミャンマーに行ったのは10年前の2月。暑かった。首都ヤンゴン(3泊)、マンダレー(1泊だけ)、パガン(1週間)に滞在した。物価は安くすごしやすかった。パガンでは、日差しの強い昼間は廃墟となった寺院跡で日陰を見つけて昼寝(サソリに注意)しながら、自転車で遺跡を回った。
ミャンマーは静かだ。アジアにありがちな押売りや客引きは居ない。興味心旺盛な人につきまとわれることもない。静かで落ち着いている。でも寂しくなることは無い。人が適度の距離感で接してくるのだ。この旅行で気になったことが。
マンダレーの宿を出る時、これからパガンに行くと言った僕に、宿の人が親戚が経営しているというパガンの宿を教えてくれた。宿へ渡すようにと紹介文を書いてくれ渡してくれた。良くあることだ。礼を言って別れ、長距離バスでパガンに向かった。
バスで隣に座った男の人に英語で声をかけられた。パガンは観光でか、ミャンマーのイメージはどうかなど世間話。よくある事だ。話し相手は居た方が楽だ(しつこくない人だと)。僕が「パガンに何泊するかも決めていない」と言うと、この男は「親戚が宿をやっているからそこにしなさい」と言った。既にマンダレーの宿で同じことを言われ、そこに泊まるつもりだと答え、マンダレーで書いてもらった手紙を男に見せると、男は「その宿は自分も知っている良い宿だ。良い旅を」と言った。東南アジアはよく客引きをされるのだが、ここではそんなことが無い。この男も親切で声をかけてくれたのだろうと思い、気持ちよく分かれた。
パガンでは1週間ほど滞在した。本当にのんびり出来る良い所だった。
そしてヤンゴンへ向かい旅は終わるのだが、ヤンゴンへ向かうバスで驚いた。マンダレーから来た男が居たのだ。確かその時は夜行バスで、隣の席ではなかったので、そんなに話はしなかったのだが、こんなことも有るのかと思った。仕事でヤンゴンに行くという。
ヤンゴンではスーレーパゴタ(巨大な仏塔、今回のデモの現場でもある)で座ってガイドを見ている時、また男の人(バスで出会った人ではない)が隣に座り僕に「マンダレーはどうだったか」と声をかけてきた。なぜ、僕にマンダレーの感想を聞く?不自然とまではいかないが。その本を見せてくれと言われた僕は「あなたには読めないから見せない」と答えてしまった...
ヤンゴンでは往路で滞在した同じ宿に泊まった(この時偶然、同じサークルの岸田君とさゆりさんと出会う)。卒業旅行の学生など、同年代のバックパッカーで宿は賑っていたが、この話をすると何人かの人が同様の体験をしたと言う。別の都市で他の都市で会ったことのある人に遭った、なぜか自分の行動を知っている人に声をかけられた、とか。そう思うからそうなのだ、別人だ、偶然だ、秘密警察や私服警官が居ても全ての外国人を管理できるわけが無い、こんなばればれの秘密警察なんていない、とみんなで笑いあったのだった(ありがち)。
次の日、声をかけてきた身なりの良い男の人に寺を案内してもらったのだが、その男が「自分は貧しいのだが子供が5人も居て…」と話はじめたのを聞いて僕は、そろそろこの街から出ようと思った。ミャンマーで物乞いに出会ったのは初めてだった。
ダラダラ書いて、話にまとまりがなくなってしまったが、自分は「長井さんは狙われていた」と思うのだ。流れ弾ではない。今日の写真を見て確信している。あの国では有り得る。観光ビザで入っても関係ない。怪しい行動をとる人、長井さんは監視されていたはずだ。偶然ではない。僕が会ったミャンマー人に秘密警察、私服警官が居たかどうかは分からないし、断言できない。ミャンマーにそんなのは居ないと、観光旅行で行った人は思うかもしれない。でも...戦前の日本のように、何かがあるような気がするのだ。
ミャンマー人は静かで親切で、旅行しやすい国だ。パガン遺跡はすごい。日本人が犯罪に巻き込まれることは皆無に近い。でも、何かいまだ分からない。こんなことを書きながらも、本当にミャンマー政府は悪いのかどうかも。ミャンマーが潰れずにやってこれたのは、軍事政権を支える中国、人道援助(らしい)を行っている日本と関係が有るのかどうかも僕には分からないけど。 (当時から欧米は経済制裁、渡航制限を続けている)。
ミャンマー人は静かだ。でも何か感情を抑えているかのような、何もかも知っているのだという不思議な雰囲気がある。
オーイ、水島、日本に帰ろう
p.s.関係ないが、乗換えでカオサン(バンコク)で一泊した時、そこで半年前の旅行で出会った人(日本人)と偶然再会し、久しぶりの日本食を食べた。
さらに帰国日の朝、路地裏で入った屋台で、三和銀行で働くことになったというI君とバッタリ会った。日本での話ではない、バンコクで偶然でだ。
あの頃はそんなことがよく有った。みんな旅をしていた。
I君、岸田君は就職して以来会っていない。さゆりさんは数年ぶりに飲み会であったが今はイタリアに住んでいる。