サンキュー、ぴあ

情報雑誌「ぴあ」が、今日発売の号を持って廃刊となる。自分が「ぴあ」を初めて読んだのは恐らく小学校高学年か中学生の時で、従兄弟の家でだった。上の従兄弟は自分と歳がたしか6年くらい離れていて、当然自分よりも情報が早い。その家に行くと漫画がたくさん置いてあり、小さな頃は羨ましかったものだ。そこで「ぴあ」を初めて観たのだが、その情報量に自分は興味を持った。たぶん今よりも小さな字でぎっしりと演劇や映画の情報が載っていた。インタビュー記事などより、いつどこで何が行われるかといった情報の掲載に重点が置かれていた。滋賀県の田舎で観劇など行ったこともなく、映画館すらない街に住んでいたのになぜ興味を持ったのかは分からない。写真も少ない文字ばっかりの雑誌から”文化の香り”が出ていたのだろうか。
本編記事(というか情報の羅列)の横に、読者からの投稿を掲載する、はみだしコラムの欄が有った。秀逸なものが多かったはずだ。今となっては内容は覚えていないが、読みふけったのは覚えている。
そんな自分が、高校を出て大阪で一人暮らしを始めたときに「ぴあマップ」を買った。ただの地図ではない。エンターテイメントや飲食店情報という目的を持って書かれた地図というものは、その時代には「ぴあマップ」しかなかったのだ。インターネットの無い時代に”情報”に目をつけた「ぴあ」はスゴイと思う(「ぴあマップ」はその後何年か愛用した。東京に来てからも購入した)。
社会人になり「ぴあ」の創業時、拡大期について書かれた記事を読んだ。たぶん日経の「文化」欄。そのエピソードが面白く、興味を惹きつけられた。
社長である矢内氏は大学時代に映画が好きだったが、当時どこでいつ何の映画をやるかと言うのはその映画館に行かないと分からない。毎日のように映画を観に行っていた彼は自分の足で得た情報を紙にまとめて週刊で(?)知人などに配布した。その情報誌(?)は好評で、大学生の彼はこれを売ろうと考えた。素人大学生が創った雑誌は出版流通ルートに乗せてもらえない。彼は書店を当たって、了承を得られた書店に並べてもらう。これがその後のサクセスストーリの始まりだった。
“学生ベンチャー”のハシリである彼の行動力、目の付け所の良さ。
その映画情報は東京だけでなく地方にも広がり、田舎に居た自分の所にまで届いた。どんなに素晴らしいもの(映画だけでなく音楽でも何でも良い)も、その存在を伝えるモノが無くては広がらない。”ヨイショ記事”ばかりの雑誌ではなかったのが良かったのかもしれない。雑誌”ぴあ”に載っていたのは、”面白いよ”といった主観的な記事ではない。客観的コメントでもない...もっと単純な「7月20日11時よりABC映画館1300円」といった情報。でも、それが”文化を広める”のに役立ったのだ。
シンプルな編集方針に徹するのは簡単なようで難しいのかもしれない。ライバル誌は現れたが、最後まで生き残ったのは”ぴあ”だったのだから。真似をしようとして簡単に出来るものではないのだ。だが、即効性・検索性にも優れたインターネットの普及で、このような情報は雑誌で得るものではなくなってしまった。
さようなら、今までサンキュー、「ぴあ」。
ぴあ最終号特設サイト「39ぴあ」
蛇足だが、ぴあ創業者の矢内氏が表紙の雑誌に、僕のことも小さく載ったことがある。”チケットぴあ”がサイトを創ったばかりの頃。あれから10年...自分は成長していない...そこに掲載された何社かはもう消え去っている。やはり”ぴあ”はスゴイ。
これを書いているときに、ぴあの今年の新入社員入社式でのスピーチをネットで見つけた。
これまでの話がまとめられていて興味深い。
ぴあメッセージ