[東京国立博物館] 等伯の松林図

新年の蛇の置物などの展示に人だかりは出来ているが、インドの精密画、バローチタンのテキスタイルなどの展示には人が少ない。なかなか渋い展示。いつ来てもさすがだ。



そして長谷川等伯の「松林図屛風」。以前も国立博物館150年記念展の時にも見たのだが、今回はシアタールームでの解説付(別途600円)。自分がこの絵に興味を持ったのは、日本経済新聞の連載小説の「等伯」。今から10年以上前に1年以上にわたって朝刊で連載されていて、当時自分は毎朝、文化欄の「私の履歴書」とこの小説から新聞を読んでいた。
この一見簡素に見える水墨画もだが、等伯についても謎に包まれている。能登の田舎に生まれた長谷川等伯は、都で隆盛を誇っていた豪華絢爛で力強い画風の狩野派の絵師とよく比較をされる。上京して頭角を現した等伯は、秀吉から寺社の襖絵などの注文を受けるようになる。壮年時に息子と一緒に描いた絵は華やかで繊細なものが多い。
でも等伯の最高傑作と言われるのはこの水墨画。日本の水墨画の頂点とも言われ大きな作品なのに、何のために描いたかすら謎。そもそもこれは完成作品ではなく下絵だという説もある。跡継ぎにしようとしていた息子の急死、狩野派との対立、豊臣から徳川に時代が変わっていく頃に、等伯の身の上に何かが起こり、心境の変化が有った。
解説では、この絵をどのようにして描いたのかも謎に包まれているという話を聴いた。筆だけでなく藁を束ねたものやヘラ(?)などをも使っているかもしれない。薄い部分から濃い部分を何層にも重ね、故郷の能登の冬の森、雪の中の木々を立体的に描いている。
徳川幕府ができ、歳をとった等伯は新しい絵の仕事を得ようと江戸に旅立つ。そして江戸に到着した翌日に急死。江戸時代になり狩野派はさらに有名になり、長谷川派は忘れられていく。また日の目を見るようになったのは昭和になってから。第二次大戦後、国宝第一号に選ばれたのはこの長谷川等伯の松林図。今は国立博物館で正月に公開される。今回は1月13日まで。

VR【国宝松林図屛風
乱世を生きた絵師等伯】
東京国立博物館
東洋館地下1階シアター