阪神大震災から25年

25年も経ったのか。そう、あの時にスマホは無かった。インターネットは多くの人は存在すら知らなかった。携帯電話は限られた人だけのものだった。PHSすら無かった。ポケベルは有ったが。

この地震の3か月後に、マドリッドで出会った阪大の工学部の学生からインターネットの存在を聞いて知った。地震の6か月後に初めてメールアドレスを持ち、パソコン通信を始めた。1年半後にPHSを持った。

地震が起こった瞬間(朝5時46分)は、大阪市淀川区の十三大橋のたもとに居た。新聞配達をしていたのでその時刻でも外に居た。とっさに掴まったガードレールがゆがんだ。目の前で道路にひび割れが走るのを見た。東北の震災とは違って、体で感じる余震はほとんど無く、あの1回の揺れだけが大きかった。

すぐ近くの神戸の街が燃えているのを知るのは夜になってからだ。大学の後期試験の一日目だったが、阪急電車が全面運休になったので大学には行かず。滋賀の実家には割と早くに電話が繋がったので、その後は家で昼寝をしていた。震源地がどこかと言う事ですら、自分が知ったのは午後になってからだと思う。

災害が起こったら”ボランティアに行く”という概念すら自分は持ち合わせていなかった。それから数日間、家のすぐそばの淀川通は車がピタリとも動かない大渋滞で、神戸に向かおうとする消防車が何時間も立ち往生していたが、彼らですらカーラジオしか情報を得る術を持っていなかった。

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