南青山で暮らしていた人

「南青山は自分で稼いで住むべき土地」 児相建設に住民反発!揺れる港区
https://www.fnn.jp/posts/00401660HDK

南青山の住民(の一部)が、児童相談所設に反対しているという記事。
色々な環境、違った性格の子供が一緒に育つ方が、子供にとって良い環境だと思うのだが(自分だけでなく多くの人もそう考えていると思う)。

ところで、その南青山に大正時代に”青山脳病院”という精神病院が有った。病院を開いたのは斎藤紀一という明治時代にドイツ留学したと言うエリートなのだが、強烈な個性の人だった。南青山に土地を買い、レンガを使ってヨーロッパの城のような外観の病院を建てた。莫大な利益をだしてその資金を使って、病院経営の傍ら国会議員にまでなる。大言壮語で周囲の人には煙たがれていたらしい。

当時は精神病患者に対するイメージは良くなく、多くの精神病患者が入院していたこの施設は、周囲の住民との折り合いは良くなかったのではないかと思う。青山脳病院は火事になり焼け落ちて、その後に移転する。再建反対の声が上がったのではないだろうか。

新しく再建された場所は、当時は野原だった世田谷区梅ヶ丘。現在は光明特別支援学校になって周囲に溶け込んでいる(ビリヤニハウスに行った事の有る人ならわかるだろう)。斎藤紀一は、岩手の貧しい学生に資金を出して自分の養子にした。彼はそこで勉学に勤しみ日本を代表する詩人(医師でもある)斎藤茂吉となった。茂吉の長男は精神科医で文筆家の斎藤茂太、次男は北杜夫だ。彼らは幼少時に資産家から生活が急変した経験を持つ。

この頃の様子は北杜夫の「楡家の人びと」に詳しい。もし彼らが、資産家の家庭の子供とだけしか接していなかったとしても大成しただろうか。

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