観光ルートでは無い国への旅

「ファインマンさん最後の冒険」を読んだ。ノーベル物理学賞を受賞したリチャード・P・ファインマン氏は好奇心が強く、物事を独自の視点で考える人だった。この本は彼の古くからの知人が書いた、ファインマン氏と著者がトゥヴァ共和国へ行く旅の記録だ。旅の記録と言っても、本の内容のほとんどは旅立つまでの数年間の話がほとんどで、実際の旅に出ている期間についての話はほとんど無い。エピローグで触れられているだけだ。
ファインマン氏と著者のレイトン氏はアメリカ人。地理オタクである彼らは地名しりとりをしている時に「KYZYL(キジル)」という町の存在を知る。「母音の無い地名とは面白い、どんなところだ?」という他愛の無い好奇心からこの話は始まる。
当時はアメリカとソ連は冷戦の真っ最中だった。キジルはトゥーバ自治共和国の(当時)の首都だ。トゥーバはソビエト連邦に属していて、外国人が自由に旅をすることは出来ない。
ソ連国営旅行社に行っても「トゥーバは観光ルートではないので行けない」と言われ、シベリア鉄道やバイカル湖の旅を勧められる。ならばと彼らは「トゥーバに行きたい」と複数の知人と旅行社に問合せをたくさんして、旅行社に「トゥーバはアメリカ人に人気の観光地だ」と思わせようという作戦を立てたり、ロシアの短波ラジオ局にリクエストのハガキを書いたりと、様々なルートで渡航を試みる。
他にも自分の車のナンバーを「KYZYL」にしたり、「トゥーバ友の会」を立ち上げたり...どれも旅に行くという目的に近づいているのかどうかよく分からないことばかり。(ファインマン氏は世界的に有名な物理学者だ)
ある日、大学図書館で借りた本の中にキジルの写真が何枚か有る事に彼らは気付く。写真はソ連のプロパガンダ目的で撮られたもので官公庁が写っているものがほとんどだ(”ソ連は僻地でもこんなに近代化されてます”と言いたいのであろう)。そこに「第2小学校」と説明が書かれているのをみたファインマン氏は喜んだ。つまりキジルには「第2小学校」が有るという事が分かったからだ。普通の人にはこの意味することにすぐ気づくだろうか。ファインマン氏はすぐに行動に移った。「ソビエト連邦 トゥーバ共和国 キジル 第2小学校 校長」宛に手紙を書いたのだ。番地なんて分からなくても良い。これでハガキは届く。文面は「私はアメリカ人で、トーゥーバに興味が有る。行きたい(あなたに会いたい)ので協力してほしい」と書く。 ソ連入国には現地の機関が発行した招聘状(Invitation)が必要なのだが、それにはまず現地とのコネクションが必要なのだ。
自分がこの本を読み一番興奮したところだ。自分は今年サハ共和国のベルホヤンスクへ行った。観光ルートでない、誰も行かない、公共交通手段の無いベルホヤンスクに行く方法がどうしても分からなかったのだが、彼と同じような方法をとって自分は行く事が出来た。ネットで見知らぬヤクート人にメッセージを送りまくり、ベルホヤンスクの中学校の英語教師とコンタクトを取れたからだ。
この発想を考えた時の自分は冴えていた。さらにすぐに行動に移せたのも良かった。
すごく単純な事だし、他人から見れば馬鹿げている事なのだろうが、かと言ってこんな事をする人は少ないはずだ。今年の自分の最も大きな出来事だ(現地では大歓待を受け旅は成功した)。
さて、ファインマン氏にはかの地からそのハガキへの返事は無かったのだが、話は進んでいく。その間にチャレンジャー号爆発事故が起こり彼はその調査委員になったり、冷戦は終わりに向かい、ソ連で出土した少数民族の博覧会をアメリカで開催する仕掛け人になったりと情勢はどんどん変化していく。どうやってトゥーバ共和国へ行ったのか、それはかなり壮大な話になるのだが、各自本を読んでください。ファインマン氏はその旅の直前に亡くなり、著者など残されたものはトゥバへ行く。
もうお気づきかと思うがこれは次のイベント 【報告会&壮行会&体験会】世界一 寒い所へ行ってきた&行ってきますver.2【寒極-52度への挑戦】北極圏で暮らす人々の宣伝です。こんな話を出来たらよいなと思っています。