【Zhilaya Baza “Shimanovskaya”】2年ぶりの訪問/シマノフスク
シマノフスカヤ駅に到着したのは23時を過ぎていた。駅を出てからの交通手段が無い可能性が強いので心配だった。
2年前に車で来た時のホテルまでの道はうろ覚え。地図も無い。深夜で真っ暗、シベリアの片田舎、マフィアとまでいかなくても強盗でも居たらどうしようかと不安は尽きない。
シマノフスカヤ駅で列車を降りたのは10人くらいだった。駅のホームは小さな外灯が点いているだけだが、何も見えず手探りというわけではなかった。一応、シベリア本線の駅だ...。でも駅舎の規模を例えると、東千葉駅、安土駅といった感じか。決して大きな駅舎ではない。
一緒に降りた人の後をつけて駅舎の外に出ると、列車の客を迎えに来たのであろう乗用車が数台止まっていた。みな次々と車に乗り込んで行く。ここで取り残されると恐らく路頭に迷うことになる。凍死しかねない。意を決してその中の一台に声をかけると、運転手は「分かった、分かった、早く乗れ」と言う。運転手の他には助手席にもう一人男。ちょっと怖い...
車は自分の覚えていた道とは違う道を進んで行き、1kmほど走ってその男を下ろした。男は50ルーブルを払っている。
もしや?と淡い期待の通り、この車はタクシーだったのだ。そこからホテルまではすぐだった。同じように50ルーブルを渡すと男は言った。「スパシーバ」。あまりにもスムーズに事が運んだことに喜んだ。
ホテルのドアは閉まっていたのだが、木の扉をたたき呼び鈴を鳴らすと、中から閂を外してくれた。女の人が出て来る。泊まりたい旨を伝えると、フロントで宿帳を出してきた。宿帳に書く前に部屋を見せて、この部屋でも良いか尋ねられる。前回と同じ部屋だ。ソファーだけしかない、トイレは共同の6畳くらいのシングルルーム。900ルーブル、たぶん価格も変わっていない。相変わらず高いのだが、フロントに料金は掲示されているのでボッタクリではない。
名前を書いたところで、前回訪問時の写真をみせた。なぜこの写真を持っているのか尋ねられる。話を聞きつけて部屋から出てきた人が「おぉー」と声を上げる。この人の顔は僕も覚えていた。
去年の宿帳からオバサンが僕の記録が無いか探している。握手を求められる。僕が写真を出すたびにみんな喜んでいろいろ聞いてくる。
人に囲まれ次々と話しかけられながら、紅茶と牛肉炒めという不思議な組み合わせの夜食(こんなので180ルーブル。高い)を食べる。持ってきた焼酎を勧めると、ウォッカが出てきて、いつの間にかいつもの光景が...今回はロシア語の会話集が有る。前回のような緊張感は無く、心地良い時間が過ごせた。
眠ったのは夜2時ごろ。途中、警官の見回りも来た。
酒を控えようとする雰囲気が有ることに気付いた。アルコールは勧めると男は飲むのだが、最初の一杯まではわりと遠慮している。ウォッカを一杯口にすると、そこからは早いのだが。
ソ連崩壊後、飲酒により死亡率が大幅に上がったこともあって、「飲酒は悪」という意識が浸透しているようだ。女の人は全く飲もうとしない。男達が酒を飲み始めると女の人達は帰りだした。
禁酒の傾向が有るのは喜ばしいことなのだが、ロシア人のイメージが変わってしまい少し寂しい。
日本人の禁煙傾向と同じ様な感じ。自分は吸わないし、周囲でも同年代ではタバコを吸う人はほとんど居ない。
部屋の中は暖かい。安心して眠れた。