集落に現れる巨大仏-スリランカ人が開いた寺

日本の田舎に、突然ブッダが現れる

坂東市を離れ、次に向かったのはつくば市郊外。このあたりまで来ると、つくば中心部の研究学園都市というイメージとはずいぶん違う。畑と住宅が広がる、普通の茨城県の集落である。そんな道を車で走っていると突然、巨大なブッダが現れる。

周囲は日本の田舎の風景。その中から、明らかに日本の仏像とは違う巨大なブッダがこちらを見ている。知らずに通りかかったら「何だ、これは?」となるだろう。実は同行者を驚かせようと思って、この仏像があることだけは事前に調べていた。タイ系の寺院だろうと勝手に思っていたのだが、到着してみると様子が違う。スリランカの寺院だった。人を驚かせるつもりで来た自分が、一番驚いてしまった。

普通の古民家から始まったスリランカ寺院

さらに驚いたのは、この寺がどのようにつくられたのかという話。もともとここに立派な寺院があったわけではない。日本で暮らすスリランカ人たちがお金を出し合って、日本の普通の古民家を購入。その建物を本堂や僧侶の居住スペースとして使い、敷地内に仏像や仏塔を少しずつつくっていったという。つまり、誰か一人の資産家が建てた巨大寺院でもなければ、観光施設でもない。日本で暮らすスリランカ人たちが、自分たちの信仰の場所としてつくった寺なのだ。

そう聞いてから境内を見ると、最初に受けた印象とはかなり違って見えてくる。巨大なブッダだけを見れば、かなり派手だ。しかし、その後ろには日本の古民家。スリランカの仏教と日本の農村住宅が、何とも不思議な形で一緒になっている。最初から完成形を設計してつくった寺というより、必要なものを一つ一つ、自分たちで増やしていった場所なのだろう。だからこそ、ここにしかない景色になっている。

ブッダガヤから来た菩提樹

境内には、さらに特別な木が植えられていた。菩提樹である。仏教に詳しくなくても、「釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた」という話は聞いたことがあるだろう。インドのブッダガヤには、その聖地であるマハーボディ寺院がある。ここに植えられている菩提樹も、そのブッダガヤの菩提樹から枝分けされたものだという。つまり、単に南国らしい木を植えたというわけではない。スリランカの仏教徒にとっては、信仰上特別な意味を持つ木なのだ。

日本の冬を越さなければならないので、木を守るための仏塔までつくられている。つくばの田舎の古民家。その庭に巨大なブッダがあり、仏塔があり、その中にはブッダガヤにつながる菩提樹が育っている。なんとも不思議な光景だ。

たまたま居合わせたスリランカ人が案内してくれる

境内を見ていると、日本語を話すスリランカ人男性に出会った。寺の関係者かと思ったら、そうではない。この日の仏事のために栃木県から来たという。せっかくなので話を聞いてみると、境内を案内してくれることになった。自分たちだけで見ていたら、「大きな仏像だな」「これは何だろう?」で終わっていたはずだ。しかし説明を聞きながら歩くと、目の前にあるものの意味が少しずつ分かってくる。旅行でもそうだが、建物だけを見るより、そこにいる人から話を聞けた時の方が圧倒的に面白い。しかも今回は、案内を予約していたわけでもない。たまたまこの日に訪れ、たまたま日本語を話す人がそこにいた。こういう偶然があるから、予定を固めすぎない旅は面白い。

ちょうどこの日から、特別な仏事が始まる

そして、この日は寺にとって特別な日だった。午後から大きな仏事が始まるという。聞いた話では、6人の僧侶が交代しながら24時間途切れることなく読経を続け、それを2週間にわたって行うというもの。そのためにスリランカから僧侶たちが来日していた。自分たちは何も知らずに、まさにその初日にやって来たことになる。24時間、しかも2週間。その間、常に誰かが祈り続ける。日本、あるいは世界の平和を祈るためだという。境内には午後から始まる仏事の準備が進められ、普段の日とは違う雰囲気になっていた。仏像を見に来ただけのつもりだったのに、とんでもない日に来てしまった。

スリランカの上座部仏教

日本もスリランカも仏教国だが、仏教のあり方はかなり違う。日本で一般的なのは大乗仏教。一方、スリランカでは上座部仏教が主流である。上座部仏教はスリランカのほか、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスなどにも広がっている。だから最初に「タイ寺院かな」と思ったのも、まったく見当違いというわけではなかった。僧侶の姿も日本とはかなり違う。スリランカの僧侶は袈裟をまとい、出家者として戒律に従って生活する。案内してくれた人の説明では、僧侶は結婚せず、生涯を仏の道に捧げるという。同じ「仏教」「お寺」「お坊さん」という日本語で表せても、その中身は日本の仏教とはかなり違う。日本にいながら、その違いを実際に見ることができる。

手首に白い糸を巻いてもらう

僧侶に呼ばれ、本堂(?)へ上がり、そこで手首に白い糸を巻いてもらった。スリランカ仏教では、僧侶が読経して加持した糸を手首に巻く習慣がある。身を守り、幸福や無事を願うものだという。日本のお守りとは形がまったく違うが、「祈りを身につける」という意味では少し似ているのかもしれない。海外旅行で寺院を訪ねた時なら、こういう経験をすることもある。しかし、ここはスリランカではなく、茨城県つくば市。朝から車で坂東市を回り、今はつくばの集落にある古民家でスリランカの僧侶に白い糸を巻いてもらっている。今日一日の振れ幅が大きすぎる。

鐘も鳴らしてみる

境内には鐘もある。日本のお寺の梵鐘とは形も音も違う。案内してくれた人に勧められ、鳴らしてみる。

でも、鐘を鳴らし、僧侶に糸を巻いてもらい、そこに集まった人たちと話をする。そうすると、ここが単なる「珍しい外国寺院」ではなく、実際に人々が集まり、祈る場所なのだということが少し分かってくる。

なぜ日本にスリランカ寺院が必要なのか

考えてみれば、寺院がつくられるのは当たり前のことなのかもしれない。外国から日本へ移り住んだ人も、食べて働くだけで生活が完結するわけではない。故郷で信仰してきた宗教がある。人生の節目に行う儀式がある。同じ国の人たちと集まる場所も必要になる。前に坂東市で見たパキスタン人の小さなマスジッドもそうだった。外から見れば何の変哲もない建物でも、その地域で暮らす人たちにとっては大切な場所になっている。このスリランカ寺院も同じなのだろう。ただし、こちらはかなり目立つ。何しろ巨大なブッダがいる。

日本の風景の中に根を下ろしていく異国

特に面白いと思ったのは、スリランカ風の立派な寺院を日本にそのまま再現したわけではないことだった。まず日本の古民家を買う。そこを本堂にする。敷地に仏像をつくる。仏塔をつくる。菩提樹を植える。少しずつ、自分たちに必要な場所へ変えていく。

その結果、日本の古民家と巨大なブッダとスリランカ仏教が同居する、世界のどこにもないような風景が生まれた。これは観光客向けにつくられた「異国情緒」ではない。日本で暮らす人たちが、自分たちの文化や信仰を持ち込み、長い時間をかけて日本の風景の中に根を下ろしていった結果なのだ。外国人が日本で暮らすということは、人だけが移動することではない。食べ物も、言葉も、宗教も移動する。
ブッダガヤの菩提樹までつくばの土に根を張る。つくば市郊外の小さな集落で出会った巨大仏。最初は「なんでこんなところに?」と思った。しかし寺を出る頃には、「ここに必要だから、ここにある」のだと思うようになっていた。

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